これまで


2011(平成23)年
2月1日-25日 松竹座
二月大歌舞伎 昼の部
『彦山権現誓助剣:毛谷村:奥』
六助-15仁左衛門・園-孝太郎
後室-5竹三郎・斧右衛門-弥十郎
(前)六太夫=勝二郎/(奥)葵太夫=宏太郎

「毛谷村」日記(10/10)

毎度遅ればせの「ただいま」であります。

▼1月26日 荷出し

 新橋演舞場正月興行千穐楽。大阪松竹座行きトランクの荷造りをする。歌舞伎座時代は役が上がるとトランクを楽屋口に出して帰ることができたが、新橋演舞場では千穐楽終演後、所定の場所まで出しに行かねばならず、私など14時には上がっているので、とても打ち出しまで待ってはいられない。さいわい宅配便の営業所が劇場の近所にあり、そこまで持参し自前で送る。

▼1月27日 付立

 9:15起床。9時間半眠った。いくらでも寝られる気がする。起きて大阪宿舎送付のトランク荷造り。詰める品物はエクセルで「荷物表」というのを作っているので、それに従って詰めるが、2月に向けた特殊なものは別で、それを考えている内に時間経過…。2時間近くかかった。
 東銀座東劇ビルの松竹稽古場にて2月興行稽古。三味線の宏太郎氏と控室でさらう。今回の「毛谷村」は今までやってきたものと三味線の手が違うので注意する。本日の稽古は順が逆転して四幕目の「毛谷村」より開始。京極内匠の6愛之助丈は浅草公会堂出演中に体調を崩され、本日は弥十郎丈が代役に立たれる。弥十郎丈とは3猿之助丈の芝居でよくご一緒したが、親切な方なので後輩の代わりもさっとこなされる。15仁左衛門丈初役の六助は模索中。「毛谷村」のあと「一味斎屋敷」「釜ヶ淵」の補曲と作曲もしたのでそれぞれ立ち会う。
 よく通った三田の『麦』というカフェが、惜しくも明日で閉店というのでお名残に伺う。以前、銀座に『シャーリー』というお店があり、そちらが閉店となった後、その常連が移動し、皆でよく逢っていた。『麦』は近所のお勤め人さんが主要なお客様だったが、次々にオフィスが移転してしまい、残念ながら立ちゆかなくなったとのこと…。
 また銀座に戻り、このごろよく伺う『R』へ。こちらの常連の方から、「歌舞伎の竹本という枠にとらわれず、自分を主体にした演奏会を催したらどうか」と勧められる。私のことを思ってくださり、ありがたいことではあるが、私は歌舞伎俳優あっての義太夫を研究しているので、演奏会などにはあまり関心が湧かない。不器用ということもあって、それを固守してきたので、現在までそれほど脱線しないで来られたのではないかと考える。消極的ではあるが…。このごろ「分」というものをよく考えさせられることが多い。

▼1月28日 付立・乗り込み

 大阪乗り込みの前に、築地本願寺にて5中村富十郎丈の本葬にお参りする。倅・瓢太夫も昨年の5富十郎丈の「文屋」に出していただいたので、感慨深いものがあるらしい。お焼香の順を待つ間、スピーカーからお堂の中での鷹之資丈のご挨拶が聞こえてくる。お父様譲りで、はきはきとした口調に涙する。
 築地『寿司岩』にて握りランチ「梅」を食べる。値段の割りにおいしくきちんとしていてうれしい。倅は清元の師匠の稽古場へ。
 松竹稽古場にて「毛谷村」付立。
 終了後、東京駅より新幹線で大阪へ。ぜいたくをしてグリーン車に乗ったが、中国人3人連れの一人がのべつ携帯電話で通話する。これからの道中ずっとそれではたまらないので、片手で拝むような身振りを加え、「通話は廊下でお願いできませんか」と願う。「オー、ソーリー」と来た…。きっと言われるまではやり続けたであろう。通路を隔てた隣の日本人はお弁当を遣うとそのゴミを通路に出す。係の人が来たときに持っていってくれるが、それまではまるで朝のゴミ出しなり。その人は食後、土足で前のシートに足を掛けている。以前はグリーン車というものは、「そこそこの人」が乗るものだと思っていたが、当節、このような情けない光景をよく見受けるのがつらい。「金さえ払えば…」という問題ではないと思う。
 21:00大阪宿舎到着。荷解き。

▼1月29日 付立

 11:30法善寺『インデアンカレー』へ。以後足繁く通うこととなる。
 11:45楽屋入りして楽屋設営。
 「釜ヶ淵」付立に立ち会う。今回新たに加えられた場面にて、私が竹本作曲を仰せつかった。『彦山権現誓助剣』では須磨浦でお菊が内匠に返り討ちに遭うが、今回は場所を京都の南方、釜ヶ淵(石川五右衛門をゆでた釜が流れ着いた所という伝承地)にしている。ちょっと『敵討天下茶屋聚:福島天神の森』の返り討ちに似ている。この場を勤める六太夫・勝二郎お二人に気の付いた点を申し上げる。
 今回「毛谷村」は、後室の入り込みまでを端場にして、~\跡には不審とつおいつ…」からを奥(文楽はここで分割する)に当初分割していたが、15仁左衛門丈は再考され、やはり歌舞伎でよくやるお園の出から分割することになる。その方が芝居が引き立つと思われたとのこと。やはり芝居の先人は「引き立つ」ということをとてもたいせつにお考えになったのだなと思う。ちなみに後室の「入り込み」をこのごろ「入れ込み」と言う方があるが、以前は「入り込み」と言っていたと思う。「入れ込み」はお客様が入場なさるときに劇場職員の方がそう言うものだと思う。
 終了後、大阪へ単身赴任の家内と待ち合わせ北浜のイタリアンへ。NHKドラマ『てっぱん』収録で大阪滞在時、7菊五郎丈奥様がよく立ち寄られた店とのこと。
 私には珍しくサッカーアジア大会決勝戦をテレビで観戦。手に汗握る試合であった。

▼1月30日 総ざらい

 9:45楽屋入り。昨日私の「毛谷村」持ち場は減ったが、逆に増えてしまった端場の六太夫・勝二郎お二人に~\跡には不審とつおいつ…」以降を稽古。その後「釜ヶ淵」総ざらいに立ち会う。人のやるのを聞きながら自分で反省…。
 @きちんと本を読み込み、役柄・状況を把握すること。Aその役柄・状況にふさわしい表現を選択すること。Bその表現を確実な技術を以て実行すること。Cこれらが適切であったか常に反省を怠らぬこと。
 …と解ってはいるのだが…。

▼1月31日 舞台稽古

 12:30楽屋入り。『彦山権現誓助剣』舞台稽古。「発端」「一味斎屋敷」を客席で見学。通し狂言の場合、できる限りほかの場面も見ておくようにしないと、さてことここに至ったときに枷が掛からない。案外見ている竹本人が少ないのが残念である。「釜ヶ淵」まで見る。「毛谷村」、15仁左衛門丈より、お園の出の前にオクリを付けるご注文あり。
 20:50稽古終了後、島之内『いほり』に六太夫・勝二郎お二人を誘い、おいしく夕食。

▼2月1日 初日

 12:00楽屋入り。初日ご挨拶。「釜ヶ淵」を袖から見る。ようやくまとまり安心。「毛谷村」も無事。

▼2月2日

 二日目。記者観劇日。

▼2月3日

 三日目。「毛谷村」の役は14:20より。本日「仇討」のあと豆まきあり。
 16:00法善寺節分会へ参詣。
 京都へ出て『祇園波木井』にて祗園町・宮川町の「おばけ」を拝見。「外郎売」「浮世風呂」「お祭り」「必殺仕事人」「喜撰」「玉兎」「狐火」「山門」などを若い芸妓さんたちが楽しい趣向で披露。おおいに腹をかかえる。なかにはある俳優さんにセリフの稽古を付けていただかれたという芸熱心な方もおいでになる。こうして歌舞伎を題材に洒落てくださり、この世界の人間としてうれしく思う。しかし、ご見物のお客様にはなんのことか…ということも多々あると思う。むずかしきところなり。

▼2月4日

 立春になったのでコートを換えてみる。
 四日目。楽屋は子役さんと一緒。宏太郎氏が三味線の糸に手拭いを掛けて音を消し、「タタタン!タタタン!…」と腕固めをするのを弥三松役の子役さん、じっと見入る。「毛谷村」はご見物によく受ける。東京とは違った受け方なり。皆に節分の豆が劇場より届く。

▼2月5日

 五日目。「釜ヶ淵」、毎日少しづつ修整があるようで、竹本両人一生懸命やっていらっしゃる。「毛谷村」、お園が出てきてから、ならず者数人がからむところで、今回は抜かない詞章が台本に書かれていたのでそちらをやっているが、それではしぐさが余って俳優さんを待たすことになるので、明日より短い方をいかがでしょうと孝太郎丈に提案する。
 倅・瓢太夫、東京より遊びに出てくるというので、京都で親子三人待ち合わせ、祗園『千花』『祇園波木井』と豪遊する。『千花』さんにはひさびさに伺う。家内は28年ぶりくらい、倅は初めてで感激していた。『祇園波木井』さんでは倅のために舞妓ちゃんを知らす。帰りはMKタクシーのワゴン車で三人揃って大阪へ。「エムケイがおむけいにめえりやした」(=MKがお迎えに参りました)。これは私の作中、秀逸と自分では思っている。 

▼2月6日

 11:30宿舎で出かける準備中、綾太夫師奥様よりお電話あり、綾太夫師、昨5日夜、脳梗塞にて逝去と伺う。大いに動揺す。1月にお目に掛かったときには安全度の高い手術で2ヶ月後には復帰できると聞いていたが…。そもそも当月の「毛谷村」は常時15仁左衛門丈を語られる綾太夫師のお役にて、入院のため私が代わったような次第なり。取り急ぎ竹本協会員に同報メールで逝去の謹告。
 六日目。15仁左衛門丈・4段四郎丈・孝太郎丈に綾太夫師訃報を申し上げる。お役前にどうかとも思ったが、やはり並一通りでないお付き合いの皆様なのでお耳に入れる。15仁左衛門丈は昨日番頭さんに綾太夫師御見舞のお花の手配を申し付けられたところなりと…。「毛谷村」は、昨日の私の提案の方が芝居と合ったので申し上げてよかった。

▼2月7日

 朝より綾太夫師訃報・御葬儀・生花関連の連絡多数やりとり。食事する間もなく楽屋入り。
 七日目。松竹株式会社作成の訃報、楽屋に掲示さる。楽屋で売っているパンを2個食べて舞台へ。
 19:00相合橋筋『末廣鮓』にて親子三人夕食。握りのおまかせ一通り。旨し。大主人は昨秋68歳で逝去とのこと。「ようこそー」「えーよろしゅうございます」という大阪の響きが懐かしい。跡継ぎの倅さんがまた古風な大阪弁(…に私には聞こえる)でたのもしい。

▼2月8日

 綾太夫師御葬儀関連の連絡多数。弔電打電。綾太夫師は寝坊助であった。巡業等で相部屋の時、起こすのがひと苦労。「…寝るのがお好きでしたが、どうぞ心おきなくお休みください…」という内容の一文を加える。竹本連中の後継者が無く、存続を危ぶまれていたときに現在の「竹本研修」を立ち上げた功労者のお一人である。私はたいへんお世話になり、海外公演では毎日のように観光にご一緒していた。温厚な性格でいらしたので、とかく声の大きい人が得をする幕内ではちょっとご損もあったかも知れない…。私のことを頼りにもしていただいたようで、昨年、「葵君、ぼくに何かあったときには、遺品などのことは君にいろいろ頼みたいと家族にも言っているので今度うちに見に来てよ」と言われ、「まだそんな…」などと会話もあり…。
 11:20北浜『吉田理容所』にて散髪。
 八日目。孝太郎丈、クドキを少し工夫したいとのお話あり。
 19:10島之内『よかろ』にて親子三人でおでん。旨し。安し。
 東京では綾太夫師お通夜。

▼2月9日

 心斎橋『大丸』にて祖母の三回忌法事用に『鶴屋八幡』のお菓子を送る。
 九日目。楽屋入りすると、綾太夫師のファンというお方から、楽屋でお供えくださいと花束が届いていた。いつもコンビだった宏太郎氏も未知の方。楽屋の上席中央に活け、宏太郎氏がたまたま持っていたプリクラの綾太夫師写真を祀る。本日告別式にて、今ごろは荼毘の煙かと皆で生前の綾太夫師のことを話して供養す。「毛谷村」、孝太郎丈、明日よりノリのセリフを増やすとのこと。
 倅・瓢太夫帰京。

▼2月10日

 十日目。綾太夫師告別式のようすを会葬皆様がメールや電話で教えてくださり、俳優さんよりも多数弔意があったことを知らされたので、一座の皆様に御礼に廻る。15仁左衛門丈は、弔電の文章を通常番頭さんに任せてしまうことが多いのだが、今回ご自分でお考えくださったとのこと。「…ぼくは綾さんのファンでした…」という心籠もったものだったらしい。4段四郎丈は3猿之助丈一座で綾太夫師とは長いお付き合いだったので、思い出話が尽きず。海外公演でホテルの朝食時、綾太夫師と4段四郎丈が同じテーブルになった。4段四郎丈が椅子の背にポーチを掛けていたが、何者かがすっとそれを持ち去った。「あの…段四郎さん。先ほど鞄を椅子に掛けられましたね…?」「はい」「…今男の人が持って行ったようですが…」「エエ!」皆でソレッ!と追いかけたら男はポーチを放り出して逃げ去った。落語の「長短」で火玉が着物に落ちたのを知らせる気の長い人そのままで、綾太夫師らしいお話である。片岡比奈三丈は「若鮎の会で謝礼も充分できない時代に、綾太夫お師匠さんは手弁当で毎年出てくださったので…」と弔電をくださった。皆様のお気持ちに感激…。

▼2月11日

 大阪はひさびさの雪降り。
 十一日目。15仁左衛門丈、後半のノリのセリフを早めて言ってごらんになる。しかしすんでから、「ぼくが父のビデオを見たときに何を言うているのか解らなんだくらいやから、やっぱりあんまり早う言うたらお客さんに解らんな…」とのこと。
 藤間勘吉郎師、昨10日ご逝去を知る…。

▼2月12日

 十二日目。
 夕刻、松竹演劇部より電話にて3月は新橋演舞場『伽羅先代萩:御殿:全段』と決まる。6歌右衛門丈追善狂言、心して勤めたい。
 夜中、昭文社刊の『でっか字まっぷ大阪24区』を精読。面白し。

▼2月13日 中日

 十三日目。
 19:00阿倍野『やすらぎ天空館』にて藤間勘吉郎師お通夜。濃紺のネクタイを買い、締めて伺う。勘吉郎師は長年3猿之助丈一座の振付をなさった。舞踊以外のお芝居のしぐさなども、問われると即座に付けてくださるので皆様に頼りにされていた。私はときおりお食事に誘っていただいたり、稽古場でちょっとした間があくとおしゃべりのお相手をすることがあった。歯に衣着せぬ話柄は、うかつにうなずくと大変な「秘話」も飛び出した。3猿之助丈の軽井沢のお稽古場から東京への帰路、新幹線の中では独演会にて、次々と楽しいお話を聴かせてくださったのが懐かしい。またよく誉めて…と言うか励ましてくださり、やる気にさせてくださったのもありがたい。当月の座組みには4段四郎丈の縁で3猿之助丈一門のお弟子さんも来ており、皆様お別れができてよかったと思う。

▼2月14日

 十四日目。15仁左衛門丈よりご注文2点。園の~\はたちの上を…」をサラリ、~\始終とっくと聞きすまし」をカット。
 本日バレンタインデーなれどチョコレートをいただくこと無し…と思いきや、楽屋を出たところで、昔からのファンの方が用意して待っていてくださった。ありがたし。この方は15仁左衛門丈のファンでもある。綾太夫師の悔やみをおっしゃりながら、一方では私が15仁左衛門丈の舞台を勤めていることをよろこんでいらっしゃる。園の「何の家来の一人や二人、どうなとしたがよいわいなぁ」というのはこういうことなのかなと思う。ある方には「一層忙しくなってよろしいではないですか」と言われた。心中複雑なり…。
 本日、9綱大夫師お誕生日にて、ご子息の5清二郎氏に電話する。4月の親子襲名に向けて、「こんなに襲名行事が多いとは思わなかった」とのこと。

▼2月15日

 十五日目。15仁左衛門丈、昨日ご注文の~\はたちの上を…」は詰めすぎとのこと。~\始終とっくと聞きすまし」は復活。昔の師匠方はこうしたとき、詞章の上に△印を書き入れ削除とし、それを復活させるときは「イキル」と書き入れた。

▼2月16日

 十六日目。斧右衛門の~\トチチン」を聞き過ぎてしまい、弥十郎丈に謝る。
 私共の楽屋はパテーションというのか、仕切りにてお囃子さんと部屋が分けられている。その昔、7梅幸・17羽左衛門お二人の「毛谷村」が巡業で出たとき、着替えの前に六助が、「用意じゃ用意じゃ」と言うとお囃子が黒御簾で~\ヨーイ」と言って「物着の合方」にかかる。私共の義三郎師が、菊五郎劇団囃子の望月太左之助師に「用意じゃ用意じゃって言われたらヨーイって返事するんじゃなくてハーイって言うんじゃないの?」と言ったので太左之助師は7梅幸丈に「義三郎さんがこうこう言うので今日はハーイと言います」と言って本当にそう言ったら一同爆笑となった。この話をお囃子の部屋でしたら、隣の竹本の部屋と両方大爆笑であった。今は亡き皆様の話である。俳優さんによっては「用意じゃ用意じゃ」を「支度じゃ支度じゃ」とおっしゃる方もあるが、案外こうしたことを気になさって言い換えているのかも知れない。

▼2月17日

 十七日目。今回の「毛谷村」の特色は展開の早さであろうか。

▼2月18日

 十八日目。15仁左衛門丈より後半のノリのセリフが間違っていないかと問われる。ちょっと三味線弾きさんの方で拵えた間が俳優さんには「ウッ…」と不安になってしまう原因となっているらしい…。自分で「やりたいこと」が相手に「やって欲しいこと」なのかどうかよく吟味しないといけないと私自身も反省。
 ようやく竹本連中3月の配役出揃う。
 京都へ出て、京都国立博物館にて『筆墨精神』展拝見。金曜日は20時まで開館延長。私は書が好きであるが、展示を拝見すると、書道史上意義のある作品かも知れないが、今ひとつ馴染めるものが少ない。中で禅僧の「首座」「書記」という大字には心を打たれた。
 先斗町でお世話になっているお茶屋『上田梅』が、このほど元芸妓・市兆さんを迎えて代替わりしたので御祝を持参。『祇園波木井』にも寄って賢く京阪で帰る。

▼2月19日

 十九日目。15仁左衛門丈~\誤り入ってぞ平伏す」を小さくなるよう、威張らぬようとご注文あり。「塩町」というフシであるが、やはり気持ちがそちらに行っていないと武張ったものになってしまう。
 楽屋にてある人の話に、胃カメラを呑んだとのこと。この頃は鼻から入れるので苦痛も無しと。私はまだ呑んだことがないので、今度やってみようかと思う。
 竹本若手をご招待し、あるお店で紹介された難波の『ゆきや』で会食。食後、紹介してくださったお店に行くがお酒がおいしくなく、これは体調不良の前触れかと皆様に謝り早々にお開きとさせていただく。
 宿舎で早寝。

▼2月20日

 夜中、寝ながら自分で舌を噛んでしまい目覚める。このようなことは初めてなり。昨夜のこともあり、風邪など引いてはいけないので、朝風呂で「背中が温まりますように…」と意識しながら浸かる。そう思って浸かっていると温まってくるから不思議なもの。
 二十日目。♪自分で…噛んだ…舌べろが…痛い…♪。
 戎橋筋のある薬屋さんで、「○○の詰め替え用をください」と言うと「爪切りですか?」と訊かれる。滑舌悪きためか…。

▼2月21日

 二十一日目。劇場記録用録画。まずは無事。15仁左衛門丈、十一日目の件で、「やはり改めて聞くと父はちゃんとノリのセリフを言っている」とおっしゃる。お父様はNHKの『芸能百選』という番組で「毛谷村」をスタジオ収録なさり、それが現存する。当時は総ざらいをしたあとカメラリハーサル、その後本番収録というのが常で、師匠方は「NHKでは一日に三回もやらされるんで往生した…」などとぼやいていらした。この番組中、米太夫師と松三郎師が合わなかったり、松三郎師が13仁左衛門丈とノリの受け方が合わないのを無理矢理押し込んでいる箇所が散見される。そのような事情があるので「映像でこうしてやっているから…」というのは言い切ることができない。
 マガジンハウス編集部の方来訪、『クロワッサン』誌取材の打合せ。

▼2月22日

 二十二日目。バランスとか調和ということを思う。三味線は一二三の弦の調和が取れていないと具合が悪く、そのために三味線弾きさんは時間をかけていろいろと楽器を調整する。弾くだけでなく、その調整の善し悪しが演奏の良否に関わる。太夫も同様で、声が一二三調和が取れているのが望ましい。この辺が体調によって難しい…。
 本日「竹島の日」ということにて街宣車頻繁に御堂筋を通行。車体に書かれている団体名が勘亭流なのはちょっと映らないと思うのだが…。

▼2月23日

 二十三日目。なるべく声をしっかり出すよう心がける。当然のことではあるが…。

▼2月24日

 集英社の方より、田辺聖子先生作品の文庫解説執筆依頼あり。どうしてまた私がと思うが、帰京後お話だけでも伺いますと返信。
 帰京に備え、1時間ほどかけてトランクの荷造り。
 二十四日目。出演者にプログラム配布される。なかなか凝ったデザイン。さりながら、私の「釜ヶ淵」作曲はどこにも表示されておらず遺憾に思う。別に名を出したいというわけではなく、「こんな曲誰が付けたんだ」と後世の人が思ったときに責任の所在が判るようにということからである。舞台は湿度も高くぞっぷりと汗をかく。

▼2月25日 千穐楽

 宿舎チェックアウト。
 11:25法善寺『インデアンカレー』にて「レギュラーごはん少な目」。この月の『インデアンカレー』は法善寺店10回・長堀店4回・淀屋橋店1回、計15回。別に記録を樹立しようというわけではないが、好きで食べている内にこのようになった。
 千穐楽。ご挨拶に廻る。本日の舞台が今月私の気持ちの中では一番の出来であった。
 ニュージーランドの震災で建物の下敷きになった被害者の報道を聞き、他人事とは思えず。旧・歌舞伎座がもし震災に遭えば我らもあの通りなり。しかし楽屋ではあまりそういうことを思っている人は無し。
 新幹線にて帰京。途中、京都駅付近より鴨川下流の釜ヶ淵を望めど見えず。関ヶ原には雪が残る。
 帰宅して倅・瓢太夫とお茶を呑む。20:00昨日出したトランクが配達され、荷解きしてくたびれ果てる。
 夜中強風。春一番とのこと。

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