| 年 |
月 |
年齢 |
記事 |
備考 |
| 1960年 |
11月 |
0歳 |
10日、東京都大島町(伊豆大島)に生まれる 。幼時は時代劇やチャンバラ遊びなどを好む。 |
家業は観光休憩所経営。まったく芸事と無関係の家庭。 |
| 1970年頃 |
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10歳 |
ときおり、テレビ中継の歌舞伎を見ることがあった。 |
いわゆる「歌舞伎十八番」ものの様式美に興味があった。 |
| 1973年 |
7月 |
12歳 |
東京の親戚に連れてもらい、初めて歌舞伎座で観劇 。 |
3猿之助奮闘公演。昼の部「俊寛」「鏡獅子」「一本刀土俵入」。 |
| 1973年 |
11月 |
13歳 |
二度目の歌舞伎座観劇。舞台上の竹本の存在を意識 。義太夫のレコードや歌舞伎・文楽の古書を集めるようになる。 |
7菊五郎襲名披露興行昼の部。 「組討」(白鸚・7梅幸)米太夫・松三郎両師の力強い演奏に興味を覚える。 |
| 1976年 |
8月 |
15歳 |
女流義太夫の竹本越道師に入門。学校の長期休暇を利用して上京。手ほどきの稽古を受ける。この頃より竹本講習第1回生(清太夫様たち)
の授業を聴講。職業としての歌舞伎義太夫を意識。 |
「竹本講習」は国立劇場・松竹株式会社・伝統歌舞伎保存会・義太夫協会が竹本の太夫・三味線養成のために1975年に発足した事業。現在では「歌舞伎音楽研修(竹本)」として、第19期生までを送り出す。 |
| 1979年 |
3月 |
18歳 |
東京都立大島高等学校普通科卒業。 |
卒業後、単身上京。 |
| 1979年 |
4月 |
18歳 |
国立劇場竹本講習第3回生2年次編入。 |
聴講生としての下地があったので編入となる。 |
| 1979年 |
5月 |
18歳 |
竹本扇太夫師の前名「竹本葵太夫 」を頂く。 |
2代目となる。 |
| 1979年 |
7月 |
18歳 |
初舞台。国立劇場7月公演『仮名手本忠臣蔵』「山崎街道 」。 |
海老蔵(12團十郎)丈の勘平。 |
| 1980年 |
3月 |
19歳 |
竹本講習第3回生修了。 |
同期の現役は寿治郎氏・松也氏。 |
| 1980年 |
4月 |
19歳 |
竹本連中の一員となる。このころより盛んに3猿之助一座の公演で大役が付く。 |
公演ごとに、竹本藤太夫師にご指導いただく。 |
| 1980年 |
10月 |
19歳 |
初の切場 。サンシャイン劇場10月公演『源平布引滝』「義賢最期 」。 |
「切場」は劇が展開する主要な場面のこと。導入部の簡単な場面は「端場」と称される。3猿之助丈の義賢。 |
| 1980年 |
12月 |
20歳 |
初のシン 。中日劇場3猿之助舞踊公演『高野物狂』。 |
「シン」は複数の演奏者で演奏する場合のリーダー。 |
| 1981年 |
10月 |
20歳 |
初の海外公演参加 。松竹大歌舞伎ヨーロッパ公演『平家女護島』「俊寛 」。 |
竹本藤太夫師(3猿之助一座の義太夫の責任者)の病気休演のため、3猿之助丈の指名により急遽派遣される。 |
| 1981年 |
12月 |
21歳 |
22日、藤太夫師逝去。以後、猿之助一座の中心的場面を受け持ち、豊澤重松師に弾いていただくようになる。 |
重松師との年齢差44歳。 |
| 1982年 |
10月 |
21歳 |
歌舞伎座にての初の切場 。『菅原伝授手習鑑』「桜丸切腹 」。このころ7梅幸・13仁左衛門の諸優よりお声掛りが多くなる。鶴澤英治師にご指導いただく。 |
歌舞伎座で切場を勤めるということは、ほかの劇場とは重みが違うという意識が当時あった。
7梅幸丈の桜丸、7芝翫丈の八重、13仁左衛門丈の白太夫。 |
| 1983年 |
3月 |
22歳 |
国立劇場3月公演「奨励賞」を受賞。『島鵆月白浪』「招魂社」の演奏による。 |
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| 1983年 |
3月 |
22歳 |
芸団協助成「義太夫協会新人賞 」受賞。 |
竹本の太夫で初めての受賞。 |
| 1983年 |
3月 |
22歳 |
「松尾芸能賞舞台音楽新人賞 」受賞。 |
竹本の太夫で初めての受賞。 |
| 1983年 |
5月 |
22歳 |
御園座5月公演「御園座社長賞 」受賞。『奥州安達原』「袖萩祭文」の演奏による。 |
竹本の太夫で初めての受賞。 |
| 1987年 |
3月 |
26歳 |
昭和61年度「芸術選奨文部大臣新人賞 」演劇部門で受賞。 |
竹本の太夫で初めての受賞。 |
| 1988年 |
7月 |
27歳 |
歌舞伎座7月興行「精励努力賞」受賞。通し狂言『義経千本桜』「渡海屋(入水)」「鮨屋(中)」「河連法眼館(奥)」の演奏による。 |
この賞は竹本全員が受賞。 |
| 1990年 |
8月 |
29歳 |
初の研究公演作曲 。伝統歌舞伎保存会主催葉月会公演 『敷島怪談』「責め場」。 |
以後の研究公演作曲演目=『敷島怪談』『傾城重の井』『恋闇鵜飼燎』『花井お梅』『新累女千草嫁入』『美少年千草花嫁』『だっきのお百』以上「葉月会」上演/『狐静化粧鏡』「中の芝居」上演/『苅萱・高野山』「宗十郎の会」上演/『山月記』「中村京蔵の会」上演/他に舞踊曲『野宮(藤間紋瑠里師)』『義経残照(五條詠昇師)』『卒都婆小町(初世藤間紫師)』『大蛇退治の後半(初世藤間紫師)』。
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| 1991年 |
4月 |
30歳 |
歌舞伎座4月興行にて6歌右衛門丈の『妹背山婦女庭訓』「吉野川(妹山)」を勤める。以後6歌右衛門丈の舞台は必ず勤めるようにとお言葉をいただく
。豊澤瑩緑師のご指導を多く受けるようになる。 |
以後の6歌右衛門丈関連の演目=「金閣寺」慶寿院/「園部邸合腹(前)」梅の方/「二月堂」渚の方/「楼門」錦祥女。 |
| 1991年 |
11月 |
31歳 |
歌舞伎座11月興行「歌舞伎座賞」受賞。『伽羅先代萩』「御殿(全段)」の演奏による。 |
政岡は7菊五郎丈。 |
| 1991年 |
12月 |
31歳 |
3猿之助丈のご紹介により、文楽の5竹本織大夫(のち9源大夫)師のご指導をいただくようになる 。 |
以後お稽古いただいた演目=「尼ヶ崎」「合邦庵室」「楼門」「阿古屋」。 |
| 1995年 |
10月 |
34歳 |
歌舞伎座10月興行「松竹社長賞 」受賞。『伽羅先代萩』「御殿(まま炊き)」 |
竹本の太夫で初めての受賞。 |
| 1996年 |
3月 |
35歳 |
国立劇場3月公演「優秀賞」受賞。『女殺油地獄』「豊島屋」の演奏による。 |
竹本の太夫で初めての「優秀賞」受賞。 |
| 2000年 |
12月 |
40歳 |
本興行初の作曲。歌舞伎座12月興行『華果西遊記』。 |
以後の本興行作曲演目=『華果西遊記』『怪談敷島譚(責場)』『南総里見八犬伝(簸川村・玉返し)』『楼門五三桐(大炊之助館・大仏餅屋)』『彦山権現誓助剣(釜ヶ淵)』 |
| 2001年 |
1月 |
40歳 |
国立劇場1月公演『奥州安達原』「文治住家」補曲。 |
古典の切場(二段目)の補曲。以後の本興行補曲演目=『椿説弓張月(大島)』『妹背山婦女庭訓(蝦夷館) 』『競伊勢物語(春日村)』 |
| 2001年 |
5月 |
40歳 |
インターネットサイト「歌舞伎義太夫 竹本葵太夫」開設。 |
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| 2001年 |
7月 |
40歳 |
文部科学大臣より重要無形文化財歌舞伎の保持者として認定を受ける。 |
社団法人伝統歌舞伎保存会の第10次会員となる。 |
| 2002年 |
8月 |
41歳 |
京都造形芸術大学より特別講師の委嘱を受ける。 |
『伝統芸術基礎(歌舞伎)』「義太夫狂言」講義。 |
| 2005年 |
4月 |
44歳 |
独立行政法人日本芸術文化振興会より「伝統芸能伝承者養成研修講師」を委嘱される。 |
「歌舞伎音楽(竹本)」と「歌舞伎俳優」講師。それまでは講師助手として歌舞伎音楽(竹本)の研修を務める。 |
| 2007年 |
8月 |
46歳 |
京都造形芸術大学より非常勤講師の委嘱を受ける。 |
『伝統芸術基礎(伝統芸能)』「歌舞伎を知る/歌舞伎を体験する」講義。 |