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開設にあたりまして
表記につきまして

2012年を迎えまして(2012/1/1)

 皆様、新年明けましておめでとうございます。

 旧年中は更新もなかなかはかどらず、ご期待くださいました皆様にはお詫び申し上げます。かと申して、本年はまめに更新できるかというと、はなはだ心もとなき次第であります。

 年末にPCを購入いたしました。まだ使用を開始しておりませんが、おそらく現在よりも快適なPC環境となると思われます。また、加入しておりますOCNで提供されている「ブログ人」というサービスで『萬覚帳』というブログを始めてみました。まだ試運転中ですので、よく仕組みが解っておりません。正月の芝居が落ち着きましたら、PC・ブログ共にいろいろといじってみようと思っております。

 昨年を振り返りますと、いつに増して早い一年間でありました。

 公演では、
1月『妹背山婦女庭訓:姫戻りより金殿』
2月『彦山権現誓助剣:毛谷村(奥)』
3月『伽羅先代萩:御殿(全)』
4月『一條大蔵譚:奥殿(奥)』・『絵本太功記:尼ヶ崎(前)』
5月『義経千本桜:河連館(奥)』
6月『石切梶原(全)』
7月『播州皿屋敷:鉄山館』』
8月は休演(但し、松尾塾子供歌舞伎『神霊矢口渡:頓兵衛住家(前)』・『傾城阿波の鳴門:どんどろ大師』、亀治郎の会『芦屋道満大内鑑:保名内(全)』)
9月『菅原伝授手習鑑:寺子屋』
10月『一條大蔵譚:奥殿(全)』
11月『日本振袖始:桜狩より大蛇退治』
12月『源平布引滝:実盛物語』

…と毎月大役の日々でした。

 復活狂言の作曲も、
2月『彦山権現誓助剣:一味斎屋敷(補曲)・釜が淵(作曲)』
7月『播州皿屋敷:鉄山館(補曲)』
10月『當世流小栗判官:湯の峯(補曲)』
11月『日本振袖始:桜狩(作曲)』

などをいたしました。

 お稽古も、竹本研修第19期生の修了公演、第20期生の手ほどき、伝統歌舞伎保存会の既成者研修、自宅での若手俳優さんのお稽古…などをいたしました。

 他人様の稽古より我が稽古ですが、何かにつけてご教示を頂戴する文楽の9綱大夫師が9源大夫となられ、ご子息の5清二郎改め2藤蔵様と『文楽の家』という著作をお出しになられました。私は原稿をまとめるお手伝いをさせていただき、じかに多くの芸談を拝聴できたことに感謝しております。

 竹本連中は2月に綾太夫師、12月に時若師が逝去され、正一郎師は引退、清太夫様は病気療養中ということで、太夫は喜太夫様の次が私という並びで、いよいよ責任重大となりました。ただいま太夫が17名(うち3名はほとんど休演)、三味線が13名という陣容で、各座に義太夫狂言が掛かりますとたいへんです。私など声が強い方ではないので、一度こわしますと、お役を勤めながら快復させますのに難儀いたします。お聴きになる皆様もともに難儀と思います。三味線の方でも腱鞘炎になりながら我慢して勤めておいでの方も何人かいらっしゃいます。本年も各地で公演があるようですので、体調管理に注意をはらいつつ勤めたく存じます。

 このように思い返してみますと、だいたい本年も同様の仕事をしていくことと思われます。

 さいわい体調はよろしく、本年52歳になりますが、いまだに「肌が若々しい」と誉められます。肌より芸を誉められるようにならなければいけませんが、やはり健康でなければ芸もできないわけでございまして、油断はなりません。一昨年の暮れより絹の靴下と綿の靴下二枚履きを実行しておりますが、これは低体温の私にはよろしいようです。またこの頃は腹巻きも欠かさぬようにして体幹部を温めるようにしております。旅先では洗濯物がたいへんです。色気がありませんが…。

 声のお医者様の書かれたものに、50歳代が最後の「声変わり」の時期だとありました。確かに変わってきておりまして、以前は拵えなければ出なかった声が、すっと出るようになりました。義太夫節として良い方向へ声が変わればよろしいのですが、お聴き苦しい声にならぬよう、注意せねばなりません。

 舞台で語りますのに、「大きな声でお聴きいただきやすい語り」をするのはもちろんですが、歌舞伎義太夫の場合は「俳優さんにお芝居をしていただきやすい語り」でなければなりません。まだまだ配慮が足りぬ部分があり、俳優さんからご注意を頂戴しますが、「あの太夫なら任せておける」と思っていただけるよう、ひとつひとつ積み重ねたいと思います。

 本年も楽しく精進いたしたく存じます。
2011年を迎えまして(2011/1/1)

 皆々様には2011年の新春をご機嫌よう迎えられましたことと、お慶び申し上げます。

 私は、昨年父が他界いたしましたので喪中ではございますが、個人的には人の死というものはそれほど忌み嫌うものではないと考えます。やはり昨年、家族でお世話になっている方がお亡くなりになり、おとむらいに伺いましたら、そちらのお家のご宗旨では「死は穢れと見なさない」とのことで、会葬のご挨拶にその趣を示され、浄めのお塩は付いておりませんでした。私は大いに納得いたしました。新年早々、おとむらいのお話でおそれいりますが、「正月は冥途の旅の一里塚」と古来申しまして、やはり「萬歳萬歳萬々歳」…とばかりも言っていられないと思います。私はだんだんと身近の皆様がこの世を卒業なさるので、他人事とは思えなくなりました。いつお召しがあるか判りませんが、少しは覚悟をせねばと思います。

 昨年は「50歳」という節目を気にしながらの一年でありまして、芸の上でも私生活でも、ちょっと今までとは、ものごとの捉え方が変わってきたと思います。勝手かも知れませんが、「好きなことをしていたい」「縛られたくない」…ということが強く芽生えてきました。反面、「正しいと思ったときが間違いの始まり」という箴言もございます。よく肝に銘ずべきと存じます。私には芸の上で目標とし、敬意を以て学ばせていただく神様のような存在の方が幾人もあります。そうした方々に近付きたいという私をさまたげる存在はなるべく回避し、残された私の時間内にできるだけ神様のお膝元に近付きたい…と思います。他人様と協調することはたいせつですが、それがために自身の精進の気持ち、行動を削ることは避けたいと思います。と、申しましても四六時中そんな気持ちではなく、パァーッと開放するときには開放しておりまして、思わず知らず心身のつりあいはとっているようですが…。

 父を亡くしてから、健在な母をよろこばせたいと、いろいろなことを考えます。暮れに京都南座出演中は京都に招きまして、2泊3日の観光に案内いたしました。離れ小島の伊豆大島から何十年ぶりかで京都に出てきた母は、とてもよろこんで帰ってくれました。いっぽう家庭では、家内が昨年春から東京国立劇場勤務が大阪国立文楽劇場に異動で大阪暮らしとなり、私が仕事で地方に出ますと、倅は東京にひとりで暮らし、親子三人散り散りばらばらとなります。そうなりますと、やはり家族は常よりたいせつに思え、今まで思いが及ばなかったことも気が付くようになります。そんなこんなで、見えなかったものがいろいろ見えてきた一年であったかなとも思えます。「義太夫は教えられても情(じょう)は教えられん」という教訓がございますが、照れくさいのですが、親子の情、家族の情が今までよりもひしひしと感じられてまいりました。

 私はよく外にお酒を楽しみに出かけますが、そうしたところで思いもかけぬご縁に逢うことがあります。お店の方がご縁を結んでくださいますが、とても楽しいことです。ときには「歌舞伎に出ている義太夫さんで…」と紹介され、それからそれへお話がつながりますと、この稼業につながっていればこそ…と感謝したくなります。私が存じ上げない分野の著名の方とお話しさせていただき、翌日楽屋で皆様にそのことを申し上げますと、「葵さん、もったいない…」とうらやましがられるような方ともお話しさせていただくこともあり、ありがたいなと思います。つくづく考えますと、私は世間を知りませんで、この歌舞伎や義太夫節の中や周辺を一生懸命泳いでおりますことが、期せずして望外のご縁につながるのではないかと思います。深く掘り下げようとしていることから何か深く掘り下げていらっしゃる方に同調する部分があるのかも知れません。私の場合、やれ家柄が、人脈が、リサイタルをして、社会的地位が…ということは関係なく、俳優さんに起用していただき、その職務を全うし、さらにご見物から「あの義太夫はよかったじゃないか」と思い出していただけるような芸になりたい…ということを専一にしておりますので、ある種「無欲」がよろしいのかも知れません。

 業績として何を勤めた、かにを勤めたということもたいせつかも知れませんが、今現在の歌舞伎に「いかに役立っているか」ということがたいせつと考えます。中学の修学旅行で比叡山にお参りしたとき、お坊さんが「崖の上の松は材木にはならないがその姿で一幅の絵ともなりえる。人それぞれその立場で輝くことはできるものだ」というようなお説教をしてくださいました。「一隅を照らす」ということの説明でしたろうか…。われわれ歌舞伎義太夫はその持ち場で輝いてこそ値打ちであります。ですから、舞台では毎月毎月のお役をきちんと先輩方のお手本をなぞり、俳優さんのご意向を伺い、さらに自分なりの工夫を加え、ご見物にも何を語っているのか理解していただく。楽屋で先輩のお手伝いをするなら、そのきっかけに注意して、よい間合いで手を出す。後輩に稽古をするなら出し惜しみをせず、自分が教えられてきたこと、また培ってきたことをお話しし、さらに自分ができなかったことを付加して手渡す…。このようなことをコツコツとやっていきたいと思います。まだまだ未熟な私自身がもっともっと向上することを心がけつつ、始まったばかりの五十代を楽しく生きていきたいと思います。
2010年を迎えまして(2010/1/1)

 新しき年を迎え、皆々様のご多幸をお祈り申し上げます。

 私は本年50歳になります。もう「そのうちに…」とか、「将来が期待される」などと言われることのない歳で、「これだけやってきてこの程度では、あとは知れている」という年代であります。しかしこのまま終わってしまっては悔しい…。昔は「人生五十年」でしたが、現在は平均的な余命も延びておりますし、まだしばらくは元気で過ごせると思います。「長足の進歩」は無理でしょうが、なんとか少しでも前に進みたいと思います。

 さいわい健康には恵まれているようで、元気にいろいろなことができます。しかし、健康の検査も久しくしておりませんので、今年はその辺もきちんとしておこうと思います。なんと申しましても劇場に身体を持っていかねば話になりません。ときおり、「お若いですね。どうしたら肌がそんなにきれいなのですか」と言われることもありますが、肌も心もきれいでいたいと思います。心の持ちようもたいせつだと思います。

 しかし、いつ「ハイ!それまで」が来るかわかりません。それに備えて悔いの無いよう、やるべきこと、やらなくてもよいことを考え、選択していかねば残り時間がもったいない…。やるべきことはどうしたら実現できるかをよく考え、そのための生活も吟味したいと思います。

 芸歴は30年を越しました。ということは30年もこの世界で養っていただいているわけです。はたしてお役に立っているかどうか、心許ないのですが、芸ではなかなかお役に立てなくても、なにかでお役に立てればと思います。この世界にご恩をお返しできればと思います。

 一昨年から昨年に掛けて、国立劇場養成課、また関係各位のご尽力で竹本研修生を募集し、現在太夫2名、三味線1名が研修中です。彼らのお稽古を担当することも多く、責任重大です。事前に自身でもさらい直し、どうしたら理解してもらえるかを考えますが、これも私自身のお稽古になります。初歩から一緒に学び直し、私の声も以前より安定してきたような気がいたします。

 現在の竹本の先輩方は、太夫では綾太夫師77歳・病休中の清太夫様75歳・喜太夫様72歳、三味線では正一郎師79歳です。われわれ後続の者はのんびりしていられません。

 本年もひとつひとつのお役をたいせつに勤めるのはもちろんですが、「心おぼえ」ももっとこまめにまとめておきたいと思います。このサイトも、いつも気にはかかるのですが、「世に出す」からには、そこそこきちんとしたことを書いて出したいと思います。そのため、つい慎重になって更新も遅れがちです。ですが、ご期待くださる方もあり、私も楽しみなことですから、無理の無いよう、今年も続けていきたく思います。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。

2009年を迎えまして(2009/1/1)

 新年あけましておめでとうございます。

 本年もこのサイトにご興味を持っていただき、ありがとうございます。このところあまり頻繁に更新をしておりませんので、期待を持って訪れてくださいます皆様には肩すかしばかりで、お詫び申し上げます。

 なぜ更新が減ったかと申しますと、別段どこかから圧力がかかったわけでもなく、本人のやる気のなさからであります。なぜやる気がなくなったかと申しますと、まず視力が低下しパソコンのディスプレイに向かって文字を打つのがしんどい…。しからばメガネを新規にすればよろしいのですが、なんだかもったいない気もするし、右が遠視で左が近視ですので、度が進行しますとメガネを掛けたときに左右の目の大きさが不揃いになる。今でもそうなのですが、それがさらに顕著になる。それも恥ずかしい…。それからこういうご時世ですので、あまりうかつな内容は書いてはいけないなと慎重になっている…。などでありましょうか。

 それらの事由によって、「自分のまとめ」たるこのサイトが停滞しているということは、ある種「自分がまとめられていない」わけであります。それが私本人にとって好ましい状況かどうかと考えますと、やはり好ましくない。と考えますので、本年はこれを活性化し、よく自分を振り返り、「歌舞伎義太夫のなかで、あるべき姿」を考え、さらに「楽しく」やっていきたいと思います。

 昨年は11ヶ月出演し、掛け持ちもあり、17演目(うち初役5役)に出演いたしました。お役も大役に恵まれありがたいことでした。ただし、気をつけていても風邪をもらったり、無理な発声をして声帯を痛めたりという商売人にあるまじきことも数回あり、これは大いに恥ずべきことで、今年はさらに気をつけねばと思います。

 このところ皆様から言われますのは「声が変わりましたね」ということであります。変えようとして変わったのではなく、「力を抜いてよく響く声を出す」ということを考えて実行しているうちにこのようになったのであります。結果、渋い演目にも違和感がなくなってきたようでもありますが、反面華やかさに欠ける憂いがあり、この辺を注意して勤めたいと思います。

 私はただいま竹本連中太夫の序列では4番目でありますが、先輩3人は70歳を越しておいでです。お元気に舞台をお勤めですが、だんだん無理はできなくなってきている状況。後輩に熱心な方もおいでですが、いわゆる「出し物」「切場」を語れる方は限られてきています。自身が毎月の舞台を勤めるとともに、後継者育成ということも考えねばなりません。

 国立劇場では平成21年度開始の竹本研修の募集もしております(→こちら)。このサイトをご覧の方で「職業」として歌舞伎義太夫にご興味がおありの方はぜひご一考ください。たいそうなことを申すようですが、日本国ある限り、歌舞伎は不滅です。歌舞伎ある限り主要演目たる義太夫狂言は遺りますし、その上演に不可欠の職業、歌舞伎義太夫はなくなりません。この不安定な時節、こんな確かな仕事はありません…と思います。

 私には先人が工夫して遺してくださった歌舞伎義太夫の「職人芸」を伝える義務があります。まだ自分がきちんとしていない現状では「人のことより我がこと」なのですが、私がいつ「きちんと」なるかわかりません。ならずじまいで終わってしまうかも知れません。そうしたことも視野に入れてやっていきたいと思います。

 私はこの仕事が楽しくて仕方がありません。「楽しく思えるなんて自分に厳しさが欠けているからだ」とお叱りを頂戴するかも知れませんが、楽しい。

 勝手ながら今年も楽しくやらせていただきます。

2008年を迎えまして( 2008/1/1)

 新年あけましておめでとうございます。

 本年、戊子歳(つちのえねどし)は私、「年男」でございます。次回の庚子歳(かのえねどし)の年男は本卦に返ります「還暦」。そう思いますと、この12年はうかうかしていられないと思います。じたばたしても始まらないのですが、あせります。

 このところ身辺にいろいろと変化が生じ始めました。身体は今のところ健全であろうと思うのですが、だんだん点滅している信号を走って横断しようというような気が起きなくなってきました。わりかたせっかちであり、何かのときも先頭が好きだったのですが、人に譲ることも多くなりました。消極的と言えばそうですし、よく捉えれば気が長くなったとも言えます。私を取り巻く環境は、年長の方が物故されたり、病気がちになられたりで、刻々と変わってきています。この竹本でも、先輩方がだんだん無理できなくなってきていらっしゃるので、私ども後進の者が先輩方の仕事を引き継ぐ機会が多く、仕事量が増加の傾向にあります。自身のためには勉強になり、ありがたいことなのですが、それも過ぎますときちんと対応できず、かえって皆様に迷惑をかけてしまいます。本年はその辺のことを心して行こうと思います。

 昨年を振り返りますと、たくさんの「段物」を経験させていただき、ありがたいことでした。一昨年が「並び物」ばかりだったのとえらい違いです。どんなお役によらず誠心誠意勤めるしか私には能がございませんので、本年もひとつひとつのお役を掘り下げてたいせつに勤めてまいる所存でございます。

 このごろ私どもの業界では、「人に習う」という学習法がめっきり減りました。ビデオや録音で憶えて舞台にかけ、俳優さんから何も言われなければ可とする傾向が顕著で、時世時節ではありますが、なるべく経験者の教えを乞うという習慣を普及させたいと私は考えます。ただいま国立劇場様で竹本の研修生を新規に募っておりますが、意欲のある方が入って見えて、「よかったな」と思える職場にしたいと思います。

 何と申しましても、私自身がきちんとしていなければいけません。本年も自身のまとめとしてこのサイトを続けてまいりますが、いよいよ以て毎日毎日をたいせつに過ごさねばと改めて思う次第でございます。

2007年を迎えまして(2007/1/1)

 皆々様におかれましては、すこやかに2007年の新春をお迎えになられ、おめでとうございます。…というご挨拶は、昨年義父を亡くし「服喪」ということになっております私といたしましては申し上げるのを控えるべきなのですが、まあお堅いことはさておきまして、世界人類揃って新年を迎えた節目にお慶びを申し上げたいという気持ちから、まずはおめでとうございます。

 昨年の私は、どちらかと申しますと地味なお役が多かったような気がいたします。不足を申し上げるではないのですが、今年は「段物」にじっくり取り組ませていただきたいなと思っております。ただいま満年齢で46歳でありまして、60歳までにはあと14年しかなく、いまだにこんな程度ではいけないと、いささか焦りも出てきております。自身の目標としておりますところに少しでも早く近付きたく、毎日毎日を過ごしておりますが、思うこととできること、また皆様に感じていただけることは、なかなか一致いたしません。月並みながら、うまずたゆまず、与えられた機会をたいせつに、ていねいに過ごしたいと思います。

 昨2006年10月、引退なさっていらっしゃいました私ども竹本連中の重鎮、野澤松三郎師が94歳の長寿を全うされました。これで現在の竹本には「お師匠さん」と呼ばれる方が消滅してしまいました。竹本研修の出身者は「○○先生」という尊称を講師の先輩方につける傾向が多く、たぶん「○○師匠」といわれている方は今おいでにならないのではないかと思います。たいへんさびしいことです。とともに、これでいいのだろうかと私などは考え込んでしまいます。「時代」はいよいよ替わりました。いたずらに昔を懐かしむのではなく、今、残しておくべきことをよくよく考え、私なりになにか後世に役立つことをしていきたいと思います。

 毎月ご見物の皆様には、竹本連中若手の活躍ぶりもお目に留まっていることと存じます。後輩の中には、どうかもっともっと精進して俳優さんに気に入られ、歌舞伎公演のお役に立つようになっていただきたいと、期待している方が何人もおります。資料をお貸ししたり、先人から伺ってきたお話をお伝えしたり、要望があればお稽古もいたしております。しかし、実を申しますと、もっともっと精進すべきはかく申す私自身でありまして、「毎日の反省を厳しくし、できていない部分を洗い、それが目標とする状態に到達するにはどういう修練をしたらよいか考え、実行に移す」…ということを今年はもっともっと厳しく課していきたいと思います。

 この数年「声変わり」が続いておりますが、以前に比べ声の消耗の度合いが減ってまいりました。声が強くなってきたのか、使い方がましになってきたのか、わかりませんが、以前勤めて不具合だった箇所が知らぬうちに乗り越えられていることが多く感じられます。しかしこんなことは初歩の段階でありまして、まだまだ音曲上の表現や浄瑠璃の特質たる人物表現、また歌舞伎義太夫の太夫として必須の一幕の調和ということも問題山積であります。その問題も取り除いた先に新たな山が視界に入ってきまして、これはずっと続くのだと思いますが、楽しみながら解きほぐしていきたいと思います。

 本年も「自分のまとめ」としてのこのサイトを継続してまいります。おりおり記事の間違いのご指摘や、ご感想のメールを頂戴し、ご精読くださっている皆様にはありがたく感謝いたしております。なにとぞ本年もお気軽にお寄せ下さいませ。ただし、こうしてメールアドレスを公開しておりますと、ときおり妙なものも配信されてきまして、こうしたものは隔離されるようプロバイダに設定いたしました。「件名」には具体的に標題をつけていただけますと幸いです。では佳き新春をお楽しみくださいますよう。

2006年を迎えまして(2006/1/3)

 皆々様にはご機嫌よろしう、2006年の新春をお迎え遊ばし、お慶びを申し上げます。

 昨秋、私は満45歳の誕生日を迎えました。41歳前厄・42歳本厄・43歳後厄・44歳並び…と気にすれば気になる年回りでございましたが、さいわいにして、まずは元気に過ごすことができ、「瓢箪の中くぐり」と申しますか、難所を抜け出て生まれ変わったような心持ちがいたします。何か晴れ晴れした気分であります。しかし同時に、「残り時間」も気になってまいります。

 思えば15歳で初めて義太夫のお稽古をしていただきましてから、はや30年が経ちました。しかし、年数が経ったことと、義太夫が上達することとは比例しないものでございまして、お聞きの通りのことしかまだできません。よく「50歳を過ぎないと義太夫はものにならない」とか「太夫のいい時期は50代後半から70になるまで」などと申しますが、その年齢になれば誰でもそうなるものではございませんし、不幸にして早死にいたしましたら、それまでであります。こんな世の中ですから、いつどんな事故に見舞われるや知れません。悔いのないよう、いちにちいちにちの舞台をたいせつにしたいと思います。

 おかげをもちまして、毎月いろいろなお仕事を頂戴しまして、舞台のお役以外でも忙しくしておりますが、よほど気を付けてこなしませんと、不手際から人様にご迷惑をかけてしまうことになりかねません。『テトリス』というゲームがございますが、上から落ちてまいります素材を順序立ててきちんと並べられればよろしいのですが、どうもこのところ積み上げ方がうまくないようで、反省しております。コツコツとうまずたゆまず…を目標にしておりますが、なかなかそのようにまいりません。

 このサイトも気が向くままに書き散らしておりますが、量の割りには骨組みが今ひとつですので、そんなことも今年は充実させていきたいと思います。とかく、好きなことばかりやっておりますと偏りが生じます。自分が避けていることに向上につながる道があるかもしれませんので、その辺も「楽しみ」に取り込んでしまいたいなと思います。

 「出る杭は打たれる」と申しますが、私はどうも世渡りが下手でございまして、黙って過ごしていたら無難なのについ行動に移してしまいます。「いいんだよ、黙ってハイハイって言っておけば」とか「目立つようなことはしないでそうっとしていればいいの」ということは苦手であります。むりやり人を押しのけて出張ることは好みませんが、相手を見て態度を変えたり、陰でこそこそすることなく、なるがままに正々堂々としていたいと思います。

 そんなこんなで、昔からいわれている「芸は人なり」ということをこのごろよく考えます。少しでも自身の芸を向上させ、大好きな歌舞伎の中でお役に立つには、どのように暮らしたらよいかも気を付けたいと思います。ある俳優さんがある方を「あの人はどうしちゃったの。所帯の苦労が芸に出ているようだね」と評されたことがありました。何かすさんだ感じだというのです。師匠方が、「家では継ぎの当たったものを着ていても、舞台のものには金をかけろ」、「10万円もらっているなら20万円もらっている格好をしろ」とおっしゃいましたが、格好はともかく、心を豊かにして舞台に臨みたいものだと思います。

 今年もひとつひとつのお役をたいせつに勤めながら、皆様によろこんでいただき、自身も楽しめる芸域に、少しでもいいから近付きたいと思っております。

2005年を迎えまして(1/5)

 皆々様にはご機嫌よろしゅう、2005年の新春を迎えられましたこととお慶び申し上げます。旧年中はこのサイトをご愛好いただき、ありがとうございました。皆様よりのアクセス数も日に平均200件、開設時よりの累計も20万件を超すほどになりました。本年も継続してまいる所存でございますので、どうぞ相変わりませずご贔屓のほどを。

 おかげをもちまして昨2004年は、11ヶ月本公演に出していただき、休みの月も小公演にお誘いいただきました。私どもの仕事は、俳優さんのお引き立てによりましてお役がつく場合が多々ございます。そうしたことが、近年増してまいりましたことが、ありがたいことと感謝いたしております。本年はどのような展開になりますか、まったく先が読めないのですが、地道にひとつひとつのお役に取り組むことで、自身の分を全うしたく存じております。

 昨2004年は、「災」という一文字で表される年だったそうですが、天災・人災…いろいろな災害に遭われた皆様にはお気の毒なことでした。私はおかげさまで健康で過ごしましたが、この先どうなるか判りませんので、なおなお気をつけていきたいと思います。年齢は45歳に相成ります。古来「四十、五十は洟(はな)垂れ小僧」といわれますが、と申していつまでも甘えていられず、なんとか少しでも進歩したく存じます。

 この新春は、東西で5つの劇場が初春歌舞伎公演を明けています。なんとも歌舞伎にとりまして、その繁盛振りがありがたいことです。これも歌舞伎をご贔屓下さいます皆々様のおかげであります。しかし、浮かれてばかりもいられません。数ある芸能の中から歌舞伎に向けて下さいますご見物の気持ちをきちっとつなぎとめ、末永くご贔屓いただくには、ひとつひとつの舞台が常に輝いておりませんといけません。それは俳優さんばかりの責任でなく、私ども関係者の責任も重大でございます。毎日心を新たにして自身の芸を反省し、また、置かれている立場を鳥瞰して自分の進路を確認しなければと思います。

 この世界に年を経てまいりますと、いろいろな方に知遇を得、皆様それぞれのお立場から私を励まし、支えて下さり、ありがたいことと感謝いたしております。皆様に共通しますことは、それぞれのお立場で「歌舞伎が好き」ということでございます。脳天気な私も、ときとして自身のやっていることへの批判を耳にしたりしますと不安を感じます。そうしたときに利害を離れた立場で、いろいろな方のご感想を聞かせていただけますと、また気持ちを立て直して進んでいくことができます。正々堂々、どなたの前でも自分のやっていること、その心構えをいつでも申し上げられるようでありたいと思います。

 本年も、ひとつひとつのお役に、「楽しみながら」取り組んでいきたいと思います。

2004年を迎えまして(2004/1/1)

 皆々様には2004年の新春をご機嫌よろしくお迎えになられましたことと、お慶び申し上げます。おかげをもちまして、私も元気に新年を迎えました。また本年も相変わりませず、歌舞伎をご贔屓賜りますようお願い申し上げます。

 昨年の初めに、「多文化共生」ということを申し上げ、この一年、あらゆる局面で、お題目のようにそのことを考えてまいりました。大きなまとまりの国際的なことから、小さな個人的なことに至るまで、どうやらこの考えは大切であるな…という気がしております。それぞれの築き上げた「性根」にしたがい、その表現手段として「様式」があり、その高まったところに「文化」がある。ですから人の数だけ文化もあり、それぞれが仲良く社会生活していくには、「認め合い」、「侵さない」ことが大切でありましょう。しかしながら、こちらがそう思っても先様はそう思わないこともあり、いろいろ難しいこともできてきます。そうなりますと、「無理のない」ことが肝要で、その時節に合わせた自身の処し方も考えなければなりません。

 性根がいよいよたいせつであると思います。「そんな性根だから、こんな半端なことしかできないんだ」とか「あいつの芸は料簡から直さなければいけない」という先人のお小言も身にしみてまいります。誠実で人を裏切らず、ごまかさず、至らないところは精進をして少しでもよい方向へ向け、人様によろこんでいただくことに、自身のよろこびを見出す…。なかなかそうもまいりますまいが、心がけたいと思います。

 先日、舞台でふっと思いました。演じる人物に「なりきる」とよく申しますが、自身の心身に役が乗り移る、憑依する、という状態を。葵太夫という人間の考えはそこには働かず、素直に、戯曲上の人物、舞台で現実に演じている俳優の心持が私の心身に乗り移り、私の口をついて出る…。もちろん、戯曲を読み込まねば、戯曲上の人物も乗り移ってくれませんし、俳優さんの演技の組み立てや、その日の体調も理解できなければ、俳優さんの心持も乗り移ってくれません。「私はこうです」という今日まで培ってきたことにこだわらず、自在にできたら…などと考えてみましたが、やはり、実際には~\なにぃとぉー「ここ、できなかったな…」、やらぁしぃてぇーぇぇ「ああ、まずいな!」ということばかりで、なかなかそのような気になることができません。ひとつひとつの部品にこだわらず、ずばっと一気呵成に雑念なく語れるようになったら、きっとご見物にも心地よくお聞きいただけることと存じます。

 本年も精進してまいります。

2003年を迎えまして(2003/1/1)

 2003年の新春を元気に迎えることができ、有難いことと感謝いたしております。皆々様におかれましても、ご清祥に越年なさいましたこととお慶び申し上げます。

 本年はどのような年になりますでしょうか。世の中は、行く末の不安をつのらすようなできごとが頻繁で、子々孫々の代まで地球が元気でいられるのか心配です。と、同時に歌舞伎界におきましても、「伝統の継承」が今のような状態で、はたしていつまできちんとなされるのか、と思えるできごとが頻繁です。先日、家の近所を歩いていましたら、区立の文化センターの講座のチラシが目に留まりました。曰く、「多文化共生の時代」というテーマ。私はこれは現在の歌舞伎界でも、よくよく考えなければいけないことだなと直感いたしました。

 「文化」ということばの解釈にはいろいろございましょうが、辞書(国語大辞典:新装版:小学館 :1988)によりますと、「世の中が開け進んで、生活内容が高まること。文明開花。/自然に対して、学問・芸術・道徳・宗教など、人間の精神の働きによってつくり出され、人間生活を高めてゆく上の新しい価値を生み出してゆくもの。」と説明されています。適切かどうか分かりませんが、ひとことで「生活内容の高まり」と考えてみます。それぞれの文化が、芝居で申すところの「性根」があり、それから発する行動「生活内容」がひとつの「様式」として表現されていく。言語でも「何かを伝えたい」という性根があり、生活の高まりの中から日本語なり英語なりの様式を生み出す。さらにそれぞれの言語が高まり、さまざまな芸能を生み出す…。ただいまの日本国には、さまざまな民族の方がお住まいで、それぞれの民族の文化をお持ちです。また、さまざまな国の文化を日本国民の多くの方が積極的に取り入れておいでですから、料理にしても芸能にしても多種多様の文化が存在しております。私は多文化共生を否定するのではなく、積極的に受け入れていこうとは思います。思いますが、「共生」するにはむやみに肯定ばかりもできない。やはり人を悲しますことや、地球を滅ぼすようなことには加担したくはないと思います。

 私どもの歌舞伎界で生きておいでの方にもそれぞれに、人としての性根がございます。またそれから発する様式がございます。世の中と同様に、それはそれで認め合い、共に生きていこうというきもちを忘れずにいたいとも思います。ともすると人間は自分の信奉するもの以外は受け付けなくなりがちです。とくに芸の世界はその傾向が顕著で、私もそのひとりであります。しかし、現代を生きる者として、それでは考えが偏狭であります。頭ごなしに異質なものを拒否することなく、よくよくその性根を見極めたうえで、結構なことは自分に取り入れてまいりたく思います。

 このごろは茶髪金髪の歌舞伎俳優さんも珍しくはございませんが、現在の世の中ではあたりまえな普段の姿であります。いまや歌舞伎界の中の私生活できちんと市民権がございます。もっともそれを許す師匠とそうでない師匠はございますが…。私は「生活内容の高まり」から金色に髪を染める彼らこそ「かぶいている」、これぞ「歌舞伎役者」と思えるようになりました。今までそれに気がつきませんで拒否反応ばかりでした。人様からどう思われようと自己の表現に忠実な行動、それはそれで結構だと思います。ただし、そういうことをしない旧態依然たる人は性根が「かぶいて」いないのかと申しますとそうではなく、その表し方「様式」が違う。ですからいろいろな表し方が文化としてある。要は茶髪金髪でも刈上げ頭でも性根に「歌舞伎を愛する心」があるかということが、歌舞伎界に籍を置く人間として肝心でありましょう。

 先日、防寒衣料で着ぶくれながら、荷物をたくさん持って楽屋の頭取部屋の前を通りました。「すみません。脱がなければいけないんですが…」と頭取さんに申しました。そういたしますと頭取さんが、「こういう人がまだいる…。時世時節(ときよじせつ)でね、言いたかないけど、このごろはそういうことが分かってる人がいないんですよ。帽子をかぶったまま通りますからね。昔の幹部さんなんかがいたらたいへんですよ…」とぼやかれました。楽屋の神様が祀られている頭取部屋の前は、コートや帽子をかぶったまま通るのはいけないという常識、人様のお宅を訪問するとき、玄関先でコートを脱ぐのと同様です。しかし、悲しいかなこうしたことも滅びつつあるのです。歌舞伎界において…。こういうことも、日本の文化の一つである「敬意」の性根から生まれた様式のひとつだと思うのですが、失われつつある。「芸さえできればそんなことどうでもいいじゃないか」という意見もあります。「敬意」なくして「伝統芸能」が成り立つか、私はおおいに疑問を感じます。習いに行かなくてもビデオや録音でひと通りの真似はできる。それで観客が満足していればいいじゃないかという意見もありましょうが、私は表面だけのコピーの芸では、いつかご見物も飽きてしまわれると思います。そんなにご見物は甘くない。楽屋のしきたりなどにひそんでいる先人の性根、よくよく心すべきことではないかと考えます。

 本年は出雲の阿国さんの歌舞伎興行400年という記念の年であります。「かぶく」ということば、私は「自分の生活内容の高まりから生じたものをいささか激しく世間に示す」ととらえてみました。私は今年も「私なりに」かぶいていきたいと思います。

 本年も細々とこのサイトを運営してまいります。けっして世のため人のためになるものではございません。自省の場としての意味合いが濃いサイトですが、どうぞご興味のままにお立ち寄りの程を。また旧年中はいろいろと皆様からご感想をお寄せいただきましたが、本年もどうぞお寄せくださいますようにお願い申し上げます。

2002年を迎えまして(2002/1/1)

 皆々様には2002年の新春をおすこやかにお迎えになられましたことと、お慶び申し上げます。

 昨年、5月より開設ご披露申し上げました当サイトも、ご興味をお持ちの方のお励ましを力に、新しき年を迎えることができました。なにしろ、機械に弱く、芝居への出勤の前にいたします仕事でございますので、満足なことができず、ご覧いただきますとおり、あいかわらず仮設住宅のようなページでございます。しかしながら、いつも楽しく書き込んでおりまして、「更新せねば…」とねじり鉢巻になることもなく、気ままに運営いたしております。

 内容も、先人より受け継ぎましたことがらにつきましては、皆様に自負できます。また、そういうことを初めて知ったとよろこんでくださいます読者も多く、なにかお役に立てている感じがいたします。そう思っておりましたら、私の日記帳のような所感もよろこんでいただけるようでもあり、おだてられれば木に登る性質といたしましては、まだまだ継続してまいろうかと存じております。

 このサイトを開設いたしましてから、いろいろなものごとについて考え、書き綴ってまいりますうち、私は自分自身の方向性と申しますか、舞台で在るべき姿がいささか見えてきたような感じもいたします。そうして舞台を勤めますことが楽しくなってまいりました。もちろん、舞台をご覧いただいての評価は、ご見物皆々様のものでございますから、お心もち次第で、いろいろとご批判はございましょう。が、やはりやりますのは私で、やりますからには自分自身も楽しくなければと思います。中国の古典に「知る者は好む者に及ばない、好む者も楽しむ者に及ばない」という考えがございますようですが、今年も楽しく勤めてまいりたいと存じます。歌舞伎劇の構造上、竹本が主導権を握ることはできません。しかし、規定された枠の中で、自分の果たす役割をよく考え、そのための技術を磨き、心をこめて勤める。この過程をたいへんではございますが、楽しみながら勤めたいと思います。

 「芸人は舞台で語るべし」とも申します。舞台以外での言論はたしなめということでしょうか。しかし、私はこのサイトを「たいせつな親友」に語りかけるつもりで書いております。「今日はこんなことがあったよ、あんなことがあったよ、調べてみたらこんなだってさ…」と時に不安げに、時に自慢げに語りかけている。そんなサイトでございます。したがいまして、読者の皆様からご感想をお寄せいただきますことは、たいへん励みになりまして、私が考えておりますこと、やっておりますことへの反省に役立ちます。今後もどうぞお気軽にお寄せいただければと存じます。

 本年も倦まず弛まず、少しずつでも前進いたしてまいりたく存じます。なにとぞ、歌舞伎をごひいき賜りまして、お楽しみくださいまするよう、お願い申し上げます。
「歌舞伎義太夫(通称:竹本)」の世界に入っていつしか20有余年。
私も2000年11月10日をもちまして、いわゆる「不惑」の歳となりました。
もちろん昔から「40、50は洟垂れ小僧」といわれる業界。
まだまだ修業中の者でございます。

伝統芸能の世界の重要な「伝承」という部分。先輩から手渡され、それを私どもが受取る…。
このところの世代交代によって「手渡してくださる方」が激減しました。
そして「受取ろうとする熱意」も薄くなりつつあります。
好きで好きで、この道を選んだ私にとって、理解に苦しむ現象もいろいろ起きています。

何らかの形で先輩師匠方から受け継いだものを残したいと常々思っています。

芸は舞台をご見物いただくことに尽きますが、それを仕組んでいる裏側をいささかお目にかけることで、さらに私どもの仕事にご興味を持っていただけたり、またはこの記事をお読みいただいて触発され、熱意を持ってこの仕事を志す方が、どうかすると出現されたりするかもしれません。

どなたですか失念しましたが、お坊様の遺言で、死後の供養について――
「我がために仏を造るなかれ 経を読むなかれ ただ我がこころざしを述べよ」
とおっしゃられたとのこと。
歌舞伎義太夫の先人の言行をお読みいただくことで、「昔の人はこんなことを考えておられたんだな」と偲んでいただけますれば、お世話になった師匠方へのご恩返しにもなりましょうか…。

また、日ごろ私の舞台にご注目くださる方がずいぶんおいでだから、ホームページを通じて出演の予定などをお知らせしたら…という周囲のおすすめもあり、それもあわせて掲載いたします。ただし、翌月の役場が言い渡されるのが遅い興行体制ですので、早々とお伝えできないこともあり、その点はご了承願います。

そんなこんなでホームページを開設することにいたしました。なにぶん不慣れで、仮設住宅的ホームページですが、おいおいに整えてまいりたく存じております。お気の付かれましたことは、なにとぞお教えくださいますように。

そのため口上左様




表記につきまして