ただいま「今月のお役」目次へ…


2005(平成17)年6月30日-7月31日
公文協東コース 松竹大歌舞伎巡業
『源平布引滝:実盛物語』
実盛-新之助改め11海老蔵・瀬尾-十蔵改め6市蔵
葵御前-3右之助・小万-9家橘
九郎助-新次改め新蔵・婆-升寿
道太夫=岬輔/葵太夫=宏太郎
稽古はじまり(6/28)

 6月興行を打ち上げ、早速7月巡業の稽古が始まりました。昨日は松竹稽古場で20時過ぎからの稽古でしたので、お昼間は宅でひさしぶりにゆっくり過ごしました。お風呂に本を持ち込んでじっくりと半身浴をし、湯上がりにビール…とはまいりませんので、炭酸水をいただき、実にくつろぎました。

 11海老蔵丈・6市蔵丈襲名ご披露の演目、『源平布引滝:実盛物語』ですが、今回はご所望で端場の通称「かいな」から通して語ります。この月国立大劇場で『義経千本桜:河連館』が出ておりますが、俳優中心の歌舞伎の構造上、座頭の登場から切の太夫が語る例がございまして、「河連館」も忠信が登場する端場の「八幡山崎(やわたやまざき)」から通して語ることがございます。『近江源氏先陣館:盛綱陣屋』で「頼み込み」と「首実検」を盛綱に付いた太夫が語り、その間の微妙と小四郎のくだりを別の太夫が語るのもそうした理由からであります。「かいな」から幕切れまで1時間20分くらいありましょうか。

 11海老蔵丈は、以前歌舞伎座で実盛をおやりになって、手に入っていらっしゃいます。瀬尾の6市蔵丈も、やはりこのお役で歌舞伎座で襲名ご披露をなさいましたから経験済み。私も3猿之助丈で奥を3回勤めております。はたして11海老蔵丈のやり方と合うか気がかりでしたが、稽古は円滑に進行しました。

 ところがひととおり終わりまして、稽古を見ていらした12團十郎丈が私どもの方へ見えまして、駄目出しと相成りました。それが私どもへの駄目や注文ではなく、11海老蔵丈への駄目なのです。義太夫と合っていないという…。11海老蔵丈は「すみません。もう一度お願いします」と物語のくだりを始めました。要所要所で12團十郎丈がお直しになります。ご指摘の内容は、「義太夫は俳優の心を語ってくれている。俳優はお腹の中で義太夫を語っていないと両者のバランスが取れない。バランスが取れていないと芝居がのらない」ということで、きちんと義太夫をお腹に入れて、間を持たせるところは持たせ、畳むところは畳むようにご注意がありました。ふだんおおらかな感じを受けます12團十郎丈ですが、細部にまで神経を行き渡らせておいでだということが窺えるお稽古でした。

 このように義太夫を尊重していただきますのはありがたいのですが、その分私どもも責任重大であります。古来、俳優さんは素養として義太夫を学び、私どもも師匠方から「芝居を見なさい」と言われ続け、俳優さんの演技のお心持ちや呼吸を学んでまいりました。俳優さんは義太夫の語りに通じ、太夫は俳優さんの表現に通じる。こうして両者が双方向に通じ合えると、おこがましい申し上げようですが、舞台で拮抗しましてお芝居が盛り上がる…という道理になるのでありましょう。

 12團十郎丈のおっしゃる「両者のバランス」が心地よく保たれますよう、心して勤めたく存じます。
一番 八王子(7/1)

 11海老蔵丈襲名ご披露公文協東コースの初日が昨6月30日、八王子市芸術文化会館いちょうホールで開幕いたしました。

 このたびの巡業は、仕事内容が私にとりまして過重なるもので、それに暑気厳しき時季の毎日の公演地移動が重なります。「くれぐれもお気を付けて」「たいへんなコースですね」「実盛を『かいな』から毎日2回?」などという皆様のお声に送り出されました。たいへんだ、たいへんだ…。しんどい、しんどい…。と言っていても始まりません。先人だってもっとたいへんな目にあってきていらっしゃる。藤太夫師が『奥州安達原:袖萩祭文(全)』を同じような行程で毎日2度勤めたことも承っております。こちらのほうが遙かにたいへんです。このときは三味線の重松師が、なぜか掛け声の掛けすぎで声をつぶしてしまわれたという珍談が伝わっております。まあ、そうして過重なる仕事を経験しますと、少しくらいのことではへこたれなくなりますから、自己を鍛えるよい機会を頂戴したと、「行(ぎょう)」のつもりで毎日をたいせつにしようと思います。なにか「巡礼」のような…。
巡業行程表

 そういう意味合いから、このたびの巡業日記の段書きは巡礼札所になぞらえ、東コース28箇所、西コース25箇所、しめて53箇所をもって結願(けちがん)まで、多少の脱落はあるかもしれませんが、書き綴ろうと思います。
 市川家のお家芸、歌舞伎十八番『助六』のツラネに、「…遠くは八王子の炭焼き売炭の歯っかけじじい…」と出てまいります(あまりよい出典ではございませんですが)八王子は、私初めて伺いました。公演の合間に会館の近所を歩きましたが、甲州街道沿いの商店には「安政元年」「慶長年間」などの創業を看板に誇る老舗も見受けられ、歴史を感じました。とくに安政元年創業の荒物屋さんはすばらしい品揃えで、都会では目にすることができない品々が実用品として販売されています。たとえば杵や麻縄など…。今もこうした道具がこの土地で商われ、そして使われているという事実を見て感心しました。欲しいものもありましたが旅先のことで買わず、店内をなめるようにじっくり拝見しましたので、妙な客と思われたかもしれません。繊維関係で全盛の時代に造られたお蔵も市街に見ることができます。なかなかの「都会」なのだなと思いました。
荒物屋さんの店先

 「おめでとうございます」、と各楽屋をご挨拶に廻ります初日は、独特の雰囲気がございます。この東西巡業で襲名ご披露行事を完結される11海老蔵丈からは、笹巻き寿司のお弁当が配られました。劇場の表には「完売御礼」の貼り紙。景気のよい振り出しであります。
お配り物のお寿司 「完売御礼」の貼り紙が

 付立・総ざらい・舞台稽古と3回の稽古で初日を迎えましたが、初日を勤めておりまして、テンポのある歯切れのよい舞台ではなかったかと感じます。上演時間も1時間20分を切っております。またお客様の反応もよろしく、11海老蔵丈の魅力を充分楽しんでいただけたのではないでしょうか。11海老蔵丈から私にはまったくご注文がなく、合っているのか、合わせてくださっているのか、よくわかりませんが、まあ擦れるようなこともなく進行しております。私は2回目は声が続くかなと思いましたが、まあまあカスカスながら向こう岸に渡ったというところで、馴れて参りましたら配分に工夫したいと思います。

 八王子と江戸川は自宅通勤ですが、通いでのある道のりでありました。
二番 江戸川(7/2)

 新小岩と、名前だけは知っておりますが降りたことのない駅で下車。竹本4名待ち合わせまして、駅前から小雨の道をタクシーで会館へ。
親水公園 葛西囃子之碑

 会館へ入りますと、窓の外に見える林と流れに驚きました。小雨にしっとりと濡れた木々がみずみずしく、その間を流れが水を湛えております。「小松川境川親水公園」の一部が楽屋の裏手に展開します。あまり素敵なので合間の時間に上流まで散歩いたしました。こうした公園は、えてして管理がおろそかになり荒れがちですが、こちらは植栽の感じも結構で管理も行き届き、歩いておりまして実に爽快でした。ほかに、近所の「香取神社」境内には「葛西囃子」の記念碑がございまして、道でお逢いしたお囃子さんに申し上げたら、早速見にいらしたようです。
 本日は1500名近くを収容できる江戸川区総合文化センターが会場でございまして、ほぼ満員の盛況。奥行きのある客席と感じました。都内のおなじみのお客様がこちらに集中しましたので、拍手もたいへん熱いものがございました。2回目の公演で、11海老蔵丈の実盛が花道に登場しますと、しばし拍手が鳴りやまず、何かおそろしい感じさえしました。要所要所も反応多数でとてもご見物が盛り上がっていることが感じられました。
江戸川区文化センターの看板

 2回の舞台は、なんとか勤めておりますが、舞台もさることながらたいへんなのが、衣裳の汗対策であります。ひと舞台勤めますと干すのですが、本日は楽屋にシャワーブースがあり換気もされているので、会館の扇風機を拝借して乾かしました。2度目がすみますと、トランクに詰めて次の公演地へ送りたいところですが、そうもならず持ち帰り、洗うものは洗い、乾かすものは乾かし、翌日の会場へ持参…ということになります。これからいよいよ旅となりますと、肩衣と着付は乾燥剤を入れてトランクに詰め、半襦袢・ステテコ・肌着・汗拭きは持ち帰り、その日着た下着やシャツ類とホテルの部屋で洗濯して乾かすのが日課となります。こうした作業は手間ではありますが、「きれいごと」で気分的にはよいものです。

 さて、いよいよ明日の水戸から本格的な「旅」となります。これから充分睡眠をとりまして、明日に備えます。
三番 水戸(7/3)

 昨2日は水戸市の茨城県立県民文化センターでの公演でありました。

 いよいよ「旅」と相成りまして、一座は上野駅から「スーパーひたち」という特急で水戸に向かいます。私はたまたま通路をはさんで12團十郎丈と同じ列で、車中いささか緊張いたしました。こうしたとき12團十郎丈は、伊藤園の『おーいお茶』をお召し上がりで、さすが…と思いました。私も先日あるご縁で、伊藤園の本庄社長に知遇を得、ごちそうになりましたので、以来、伊藤園贔屓になっております。たしかにおいしいと思います。12團十郎丈にもそんな雑談をさせていただきました。
黄門様一行
 1時間少々で水戸駅着。会場の近所にはあまり飲食店がないらしいので、お弁当を買い込みました。土地柄で、黄門様の「葵の印籠」をかたどったお弁当が売っていまして、よほど買おうかとも思いましたが、あと容器を持って歩くわけにもいかず、やめました。名前に因み「葵グッズ」を集めたらよさそうなものですが、どうも今ひとつ葵を扱ったものにピンとくるものがございません。
 タクシーで会場へ着きますと、楽屋造りが始まります。部屋の前まで運ばれているトランクを自分の座席のところまで運び、中から必要な品々を取りだし、支度をします。このところずっと個室を竹本連中で頂戴しているので、気兼ねなくのんびりできます。本日は集会室とあって会議用のしつらえで、椅子ばかり。こうした場合三味線弾きさんは、やはり正座でないと腕固めなどできませんので、私の持っておりました敷物と座布団をお使いいただきました。
「クールビズ」の世の中なのに…

 2回公演の合間は、彰考館徳川美術館を拝見しようと思っていましたのですが、1回目の舞台のとき、妙に照明がまぶしく感じられ、いささかしんどかったので出かけるのはやめて、楽屋で静養いたしました。今回は特に体力温存を心がけようと思っておりますので、大好きな物見遊山もほどほどにしております。衣裳の始末をして洋服に着替え、首にサポーターを巻きマスクを掛け、低周波治療器を肩に当て、楽屋のソファで落語を聴きながらうつらうつらしておりましたら、ずいぶんと長い間眠ったようです。やはり疲れが蓄積されていたのでしょう。2回目はすっきりと勤めることができました。

 公演をすませまして水戸駅近くの宿舎に荷物を置き、三味線の岬輔氏を誘い、夕食に出ました。焼肉でも…と思ったのですが、鰻にもそそられ、お店のたたずまいから『川桝』というお店に入りました。胆焼きを注文しましたが品切れ。うざくと柳川と鰻丼をいただきました。これが胆吸までたいへんおいしく、うれしくなりました。お客様も土地の常連さんが多いようです。

 昼間の「静養」が功を奏したのか、体はたいへん元気になりまして、もう少し呑もうではないかと、大工町という飲食店街まで腹ごなしをかねて歩きました。かなり距離がありましたが、水戸の市街をきょろきょろ見ながらで飽きませんでした。大工町は初めて伺いましたが、なかなか賑やかなところです。手頃な酒亭に入り、旅先初日の開放感に浸りました。しかし調子に乗って呑んでいるといけませんので、ほどほどにしまして、呑み足りない岬輔氏を置いて宿舎へ帰り、入浴洗濯。

 今朝は6時に目覚め、7時には宿の朝食に行きました。バイキング形式ですが、さすが水戸だけございまして、皆様一様に納豆を召し上がっておいでです。私もいただきました。私は納豆が好きで、毎日でもよろしいくらいです。

 これから土浦まで、昨日も乗りましたスーパーひたちで30分の移動であります。土浦で11:00からの1回公演のあと羽田までバス移動、その後新千歳空港へ飛び、札幌の宿舎着は22:00過ぎになるとのこと。たくさん乗り物に乗せていただけてうれしいと思わねば…。
四番 土浦(7/4)

 土浦市は、私どもの三味線の大先輩野澤松三郎師が阿見町にお住まいで、以前お稽古に数回伺いましたが、公演では初めてであります。松三郎師は先の大戦中、海軍通信兵で霞ヶ浦の軍部に配属され、戦後しばらく横浜住まいでいらしたのが、思い出の土浦に惹かれ転居なさいました。芝居へは常磐線の特急をご利用でしたが、よく運行が乱れるので早め早めに楽屋入りなさいました。

 さて朝水戸を発ちまして、さわやかな緑の田圃や蓮池を見ながら30分ほどで土浦着。タクシーで会場の土浦市民会館に楽屋入りいたしました。11:00からの1回公演であります。今日はもう1回やらないのだと思いますと、なにか弾みがつくような気がいたします。ほんとうは1回であろうが、3回であろうが、同じ心持ちでいられなければいけないのでしょうが、そこが凡夫の浅ましさ。

 土浦を打ち上げますと、なんと札幌への移動と相成ります。貸切バスで高速道路を羽田へ走り、15時すぎに羽田空港着。団体航空券をもらって解散。搭乗は18時過ぎですから、ずいぶん待ち時間があります。私は家が近いので、ちょっと帰ろうかとも思ったのですが、荷物もあるので、有料のラウンジで過ごすことにいたしました。と申しましても、使っているクレジットカードを呈示しますと無料になるので便利です。「ビジネスルーム」という個室も無料で利用できますので、そちらへ入れていただき、パソコンなどいじりながら退屈もせず過ごしました。少し何か食べておこうと、『赤坂璃宮』で青島(チンタオ)ビールと、チャーシューの入った饅頭をいただいてから搭乗しました。JALの座席にはゲーム機が備え付けられているので、「テトリス」なぞをやってみましたが、へたくそですぐゲームオーバーになるので、じきにやめてしまいました。新千歳空港から札幌の宿舎までは貸切バス移動。21時半過ぎに宿舎入り。
羽田空港ビジネスルーム

 ラストオーダーぎりぎりのカフェで軽い夕食をいただいたあと、立派なホテルなので35階のバーに行ってみようと立ち寄りました。夜景を楽しみながらウイスキーを2杯。帰りかかったところへ、11海老蔵丈と6市蔵丈が見え、「よろしかったらもう1杯いかがですか」と誘ってくださったのでお邪魔しました。雑談から芝居の話で盛り上がり、閉店までいてしまいました。11海老蔵丈とは、以前ある機会にご一緒したことがありましたが、『武蔵』撮影以前で、まだまだやんちゃな面を多く感じました。しかしただいまは、お若いながらも座頭としての風格さえただよい、失礼ながらご立派になられたと思います。また、いろいろな「しがらみ」や「色眼鏡」を取り去り、一個の人間としていろいろな事象を捉えて意見をおっしゃるのが、とても新鮮に感じられました。なんと申しますか流されることなく生きている…とでも申しましょうか。たいへん「頼もしい」お方であります。

 部屋に戻りまして洗濯・入浴・就寝…。
五番 札幌(7/5)

 札幌は昨2004年2月に3猿之助丈一行で伺い、同じ札幌市教育文化会館で公演をいたしました。当地が千穐楽でございまして、以来3猿之助丈は舞台に立っていらっしゃいません。巨人軍の長島監督が試合をご覧になったという報道を見るにつけ、先ごろ『ヤマトタケル』のカーテンコールに3猿之助丈がお出になったとはいうものの、ますますの快復を祈らずにはおられません。

 楽屋には主催者の道新文化事業社からトウモロコシのゆでたてが届けられ、皆で頂戴いたしました。しかし、食べかすが歯の間にはさまり、よく口をゆすいでおいたのですが、語っている最中にむせかけました。隣の厚生年金会館では『氷川きよしショー』がございまして、お客様を取られやしないかと心配しておりましたが、なんのなんの満員の盛況で當祝が出ました。

 公演の合間に気分転換をかねて、すすきののラーメン横丁に出かけました。いろいろなお店がひしめいていますが、よくわかりませんので、清潔そうなお店を選んで入りました。入り口近くの『源八郎総本店』であります。コーンバターラーメンをいただきました。あつあつを懸命に食べておりますと、「バキッ!…バキッ!」と音がします。何かと思い顔を上げますと、出汁を取るための太い骨を割っているところでした。どうも私はこういう荒事が苦手で、なおかつ小万の「かいな」を連想してしまい、いささか食欲が減じました。食後は札幌三越の地下で、夕張メロンジュースなどいただきまして、芝居へ戻りました。
湯気の立つトウモロコシ

 今回、まだ竹本全員で食事に出ていないので、昨晩11海老蔵丈から教えていただいた『北の富士』というちゃんこ屋さんに行きましょうと、終演後皆で出かけました。6市蔵丈ご推薦のシマエビのおつくりがおいしく、ほかにボタンエビやアスパラガス、焼き鳥などをつつき、豪快なちゃんこを皆で歓談しながら頂戴しました。こちらは元・北の富士関の奥様の経営になるものだそうで、店内には縮小した土俵が築かれ、横綱の推挙状や断髪式で切り落とした大銀杏のまげなどが飾られています。

 ここのところ、「暑気厳しく…」ということはございませんが、これから南下が始まります。いかが相成りますことか…。
竹本全員でちゃんこ
左から宏太郎氏・岬輔氏・私・道太夫氏
六番 青森(7/6)

 歌舞伎十八番の『鳴神』や『矢の根』に出てまいります、「東は奥州外が浜、西は鎮西鬼界ヶ島、南は熊野那智の浦、北は越後の荒海まで…」という「奥州外が浜」は当地青森の海岸でございまして、奥州街道の終点とされております。善知鳥中納言安方(うとうちゅうなごんやすかた)が青森を開いたのだそうで、「善知鳥神社」が鎮座しております。私はずいぶん前の雪の時分当地に伺いました。善知鳥神社に参詣し、『奥州安達原:文治住家』の舞台はこの辺なんだな…と写真など撮りました。後年、国立劇場でこのお役が巡ってきまして、竹本補曲と出演をいたしました。

 昨日は札幌から電車で新千歳空港に出まして、空路青森への移動でした。離陸いたしますと45分ほどの飛行ですが、これが揺れた揺れた…。なんとも心細い限りでした。翼の見える席でしたが、こんなにガタガタ揺れて保つのか知らん…と不安でした。私どもの先輩に飛行機嫌いの方がおいでですが、ある海外公演のとき「歌右衛門さんや勘三郎さんが一緒に乗っているんだから落ちるわけがない」と励まされたそうです。芝居の人間ならではの妙に納得してしまう理屈で、面白いと思います。

 青森空港から貸切バスで市街の宿舎に13時頃到着。公演は18:00からの1回ですので、時間がございます。私は部屋で洗濯をしましてから、「棟方志功記念館」に出かけました。
新千歳空港にて
(ワタシコノヒトシッテイマス)

 とくに、棟方先生のお作が好きというわけではございませんが、その筆致の豪快さに恐れ入ります。この記念館は、先生の文化勲章受章記念に建てられたそうで、校倉造りの建物の展示室には、有名な『大世界の柵』や『釈迦十大弟子』などが展示されており、なかでも私は『御鷹々々図』という屏風の筆致と色遣いに惹きつけられました。また津軽三味線の表皮に「龍鯤(りゅうこん)」と鏡文字で書かれたものも展示されていました。「鯤(こん)」は中国の伝説上の大魚のようです。

 棟方先生は、作品に「柵」と付ける意味合いを次のように述べておいでです。

 …「しがらみ」というものでしょうか、そういうことに、この字を使いますが、わたくしの「柵」はそういう意味ではありません。字は同じですが、四国の巡礼の方々が寺々を廻られるとき、首に下げる、寺々へ納める廻札、あの意味なのです。この札はひとツひとツ、自分の願いと、信念をその寺に納めていくという意味で下げるものですが、わたくしの願所にひとツひとツ願かけの印札を納めていくということ、それがこの柵の本心なのです。ですから納札、柵を打つ、そういう意味にしたいのです。たいていわたくしの板画の題には「柵」というのがついていますけれども、そういう意味なのです。一柵ずつ、一生の間、生涯の道標をひとツずつ、そこへ置いていく。作品に念願をかけておいていく。柵を打っていく、そういうことで「柵」というのを使っているのです。この柵は、どこまで、どこまでもつづいて行くことでしょう。際々無限に。(『板極道』1964年)
棟方志功記念館

 記念館で頂戴したパンフレットに上記の文章を見まして、ますます、ただいまの巡業をおろそかにいたすまいと思いました。先ごろ申し上げましたように、「巡礼」と思って毎日の舞台を勤めておりますが、この棟方先生のお言葉に、より励まされる思いがいたします。

 終演後、ひとりで宿舎の近所の『だるま』という居酒屋さんに入り、「いかそうめん」や「いちご煮」といった土地の名物をお酒と共に楽しみました。お酒は津軽の辛口清酒「じょっぱり」。仕上げの「ほたて雑炊」を注文したところで、12團十郎丈一行がおいでになり、私も一座に加えていただきました。11海老蔵丈・9家橘丈・3右之助丈・6市蔵丈・延寿太夫様・三之輔様という大一座であります。皆様豪快に召し上がり、名物「きんきんの炭火焼」は売り切れとなりました。12團十郎丈と11海老蔵丈、親子で仲良くお話しになっている姿は結構なもので、隣席の延寿太夫様と、「いいですねぇ、ああなりたいですねぇ…」と子持ち同士しゃべっておりました。
『鏡獅子』もねぷたになりますと…

 一夜明けまして、13:00からの公演まで時間がございますので、前回同様善知鳥神社にお参りに伺いました。前回お参りしたご縁で「文治住家」を勤めさせていただきましたので、お礼参りであります。雪に覆われた前回と違って、境内のようすもまた別の趣がございます。謡曲『善知鳥』のいわれや、芭蕉翁の「名月や鶴脛高き遠干潟」という句碑もございます。社務所で頂戴したご由緒には、ほかに「みちのくの外が浜なる呼子鳥鳴くなる声はうとうやすかた 藤原定家」・「子を思う涙の雨の笠の上にかかるもわびしやすかたの鳥 西行法師」という詠歌も紹介されております。
善知鳥神社御社殿 これが「ウトウ」だ!

 義太夫節には、この「うとう」がときどき出てまいりまして、「うとう→やすかた」とセットになっております。以前2003年10月『競伊勢物語』のおりに「妹背川」としてご紹介申し上げましたが、ほかにも『恋飛脚大和往来:新口村』では~\平沙の善知鳥血の涙、永き親子の別れには、やすかたならで安き気も涙…」、『艶容女舞衣:酒屋』には~\親はそともに血の涙、子は安方の安からぬ…」と出てまいります。語っておりまして何のことかよく解っておりませんと、おそらくご見物にも伝わらないのではと調べますが、「現地」に伺いますと、何か「実感」という手ごたえがございます。もっとも浄瑠璃の作者は、ここまで来て皆様実感していたわけではなく、文学上の考えで筆先から出力したのでありましょうから、そんなにこだわることもございませんが…。私は素人了見で芭蕉翁の「旅」が、こうしたことを筆先でなく、実感したいがために出立なさったのではないかと考えます。

 さて「ウトウ」という海鳥はウミスズメ科の中型の鳥で、非常に個性が強く、親子の情愛の深い鳥なのだそうであります。ただいまは保護鳥で稚内の少し南に棲息しているらしい。伝説では雌が「ヤスカタ」と鳴き、雄は「ウトウ」と鳴くのだそうです。
七番 秋田(7/8)

 青森は2日にわけて1回ずつの公演でした。打ち上げまして鉄道で秋田へ移動。このところ携行荷物が重く、腰や肩を痛めてもいけないと思い、ゴロゴロ転がすピギーバックを青森の商店街で求めました。家に帰ればひとつ持っているのですが、16日の一時帰京まで辛抱ならず、1900円という低価格に釣り込まれて買ってしまいました。…こうして物がふえていく。道中、八郎潟の青々とした田圃を見ながら、津軽銘酒「じょっぱり」を楽しみました。果てしなく続く水田に、よくもまあこんなに広いところを管理できるものだと感心しつつ秋田着。宿舎に着きまして洗濯。

 ホテルのフロントで飲食街を教わり、いろいろなお店がひしめいている川反通りをひとりでブラブラ歩きながらどこにしようかと思案。「○○定食 2000円」と写真が出ている郷土料理の割烹が手頃そうなので入りました。入って仰天、12團十郎丈・11海老蔵丈・マネージャーさん・6市蔵丈がテーブルで注文を終えたところ。ご挨拶してカウンターに座ろうとしましたが、12團十郎丈に「縁ですねぇ。こちらへいらっしゃい」と招かれ、テーブルにお邪魔いたしました。もちろんこちらは「○○定食」ではなく、いろいろと山海の珍味をご注文でした。昨晩青森でもご馳走になったのですが、上の階で召し上がっていらした大道具さんたちの分まであわせてのお支払いは、失礼ながら大散財ではなかったろうかと申し上げますと、「アハハハハ、なんだかいろいろ頼んだからひとけた違いましたね。お金が足らなくてせがれに借りました。この人の方が持っているんですよ。でもおいしくてよかった」と笑っておいででした。

 12團十郎丈は昨年の大病後体調もよろしいようで、何よりのことと存じます。歌舞伎関係者がよくお世話になりますお医者様の話では、「成田屋さんは研究熱心ですからご自分の病気を徹底的に調べ、医者の私なんかより詳しくていらっしゃる」と言わしめるほどの「権威」であります。この東コースと西コースの間に検査をなさいますそうで、「そのころは静かにしています」とのこと。11海老蔵丈もお父様に無理をしないようにと気遣っていらっしゃいました。

 11海老蔵丈がしみじみと私の刈り上げ頭をご覧になって、「旅中どうするんですか」とご質問。「いつも決めた方に刈っていただくので、旅中は辛抱しようかと思います」と申し上げると、12團十郎丈が「バリカンありますよ」。「旦那ご自分でなさるんですか」に「ぼくが教えました」と11海老蔵丈。2日おきにお手入れなさるそうで、そうしないと勢いのよい髪の毛が羽二重を突き抜けるのだそうです。さすが荒事の市川家の御曹司と思いました。四方山の話で、楽しく秋田の夜を過ごさせていただきました。

 さて一夜明けまして、秋田県民会館2回公演は、とくに1回目のご見物が熱く、6市蔵丈の瀬尾の落ち入りにも盛大な拍手がございました。~\非道に根強き侍も、孫に心も乱れ焼き…」というくだりは、私語っておりましてえらいですが、好きなところです。

 合間の時間は会館の近所の千秋公園を散歩いたしました。佐竹藩の久保田城址が公園として整備されています。会館の脇には「東海林太郎顕彰碑」がございまして、写真を撮ろうと近付きますと、突然「チャラーン!」と『赤城の子守歌』が流れ出します。センサーが仕掛けてありました。胸像の隣に東海林先生筆(実に達筆)の『母に捧ぐる歌(サトウハチロー作詞)』の一節が碑に刻まれています。

「胸もさけよと声かぎり/われは歌はん高らかに/うたふ事こそわがつとめ/わがのぞみなりわが命」

 読みながら3番まで拝聴し、立ち去ろうとしますと、さらに『野崎小唄』が流れ、これは職業柄よく聴かせていただこうと、またしばらくたたずんでおりました。まだ次の曲が続きそうでしたが、それは失礼して城址へ向かいました。
東海林太郎先生
千秋公園のあじさい
 佐竹家の遺物を展示している「佐竹史料館」を見学し、雨上がりでしっとりと濡れる木々になごまされながら、高台にある御隅櫓(おすみやぐら)へ登りました。当地はただいまがあじさいの盛りであります。展望台から市街を眺望。
 雨が降ったりやんだりのお天気で、2回目までに舞台の下着が乾かず、予備のものを出しました。おもしろいもので、今回は顔にあまり汗をかきませんが、体中に汗をしかもじっとりとかきます。帯まで通っています。

 2回の公演をすませ、次の公演地へバス移動。南下するのに北上市とはこれいかに…。
千秋公園花菖蒲
八番 北上(7/10)

 雨が降ったりやんだりの七夕の宵、秋田の2回公演を打ち上げまして、北上へバス移動いたしました。車中12團十郎丈より、缶ビールと「おーいお茶」が配られ、買い込んでおきました秋田の銘酒「新政」も加わり、気持ちよく2時間弱の道中を過ごしました。

 宿舎に着きまして、例の如く舞台で使った濡れ物の始末をしましてバーへまいりますと、またしても11海老蔵丈と6市蔵丈。3日連続でご一緒させていただきました。いつも6市蔵丈がご一緒ですが、11海老蔵丈いわく、「マイブームなんです」。

 一夜明けまして5:30に自然に目覚め、部屋のカーテンを開けますと、窓の外は北上川がとうとうと流れ、周りは霧雨にむせんでおります。夜着いたものですから宿舎がどのような立地になっているか気がつきませんでした。しばらく景色にみとれました。
北上川朝まだき

 会場の北上市文化交流センターさくらホールは、まあたらしい立派な建物であります。食堂には11海老蔵襲名公演に因んだ特別メニューがいろいろ。こもかぶりの積み物もございまして、その前から地元のFM放送が松竹演劇部丸山様へのインタビューを生中継しました。現地の皆様の、公演を心待ちにしてくださるお気持ちが感じられます。私も食堂で着物姿の男性から声をかけられまして、「竹本の葵太夫さんではございませんか。私は一関に住んでおりますが、歌舞伎座でよく伺っています。魁春さんの巡業も宮古市で見ました」とのこと。大都市から離れている地域にお住まいの歌舞伎愛好のお方には、こうした巡業が生の舞台に接する年に数度の機会なので、勤める方も仇やおろそかにできません。

特別メニュー FM生放送
 北上では、合間の時間も近所へ食事に出ただけで、静かに楽屋で過ごしました。

 2回公演を勤めまして、秋田新幹線で仙台へ移動。役が早く上がる者は適宜乗車変更してさっさと移動します。仙台に着きまして、繁華な国分町へ出ましたが、食事の時間の具合であまりお腹もすかず、お寿司を少しつまんで宿へ帰りました。
秋田新幹線車内誌
(ワタシコノヒトシッテイマス)
九番 仙台(7/11-1)

 9日は仙台市の宮城県民会館で13:00と17:30の2回公演。前日に仙台入りしておりますので、朝の時間がゆっくり使えます。そこで、私は得意の早起きを活かして、かねての腹案、「松島遊覧」を実行しました。

 宿舎近所の「あおば通駅」から7:26のJR仙石線に乗り、7:58本塩釜着。意外に近いものです。駅から遊覧船発着所に向かいまして予約した券を引き取り、丸文松島汽船株式会社の運航する「第2芭蕉丸」に乗船。8:30始発の「松島湾遊覧コース:島めぐり芭蕉コース」を楽しみました。乗客はなんと私一人で貸切状態。別に面白くも何ともありませんが…。

 いつでしたかの2月の巡業中、多賀城市での公演の折、松島を訪れたことがございます。雪の松島で、このときは船に乗らず、岸から眺望し、五大堂・瑞巌寺などを廻りました。以来、一度遊覧船に乗ってみたいと思い続けておりました。なにしろ「仕事」で来ていますので、支障のないことが大前提。だいたい50分間の航海ですが、楽屋入りの時間にのりしろを付けて考えますと、次の9:00発の便ではいささかせわしない。さいわい8:30の便があったので助かりました。芭蕉翁は8時頃に塩釜から乗船したらしいので、私も同じ頃合いの松島を体験することになります。
貸切船第2芭蕉丸 扶桑第一松島の景

 「うちの船はほかのところと違って独自のコースを通るんですよ」と売店の従業員さんに言われました。浅瀬を縫っていくのがよそ様と違うらしい…。出航しますとテープによる案内が流れます。これがやにわに「どうぞ!」と始まり、「右手をご覧ください…」と続きます。この「どうぞ!」が注意を喚起するのに充分すぎる口調で、おもしろいなと思いました。私はいささか寒かったのですが甲板に出て、この「どうぞ!」に合わせて右手や左手に移動し、「扶桑第一」の松島を楽しみました。考えてみますと、尋常ではない景色であります。実を申しますと、もっともっと絶景を期待しておりましたのですが、まあこれが松島であるということで、なるほどこういうところなのだと納得して下船いたしました。

 瑞巌寺は拝観料を要求される手前まで拝見。あと「軒端の梅」・樹齢700年超といわれる「ビャクシン」を見物し、松島海岸駅から仙石線でさっさと仙台に戻り、宿舎に帰りました。ひと息入れて楽屋入り。まずは余裕をもって観光できてありがたいことでした。

 2回公演の間は、仙台藩祖伊達政宗公の霊屋「瑞鳳殿」を拝見しました。二代忠宗公の「感仙殿」・三代綱宗公の「善応殿」もあわせてうかがいました。資料館がございまして、戦災で焼失したこれらの霊屋を再建するにあたり、大名家の葬送について学術的に調査したようすがビデオで映写されています。つまり、埋葬されている3遺体を取り出し、副葬品も含め研究するといったもの。政宗公の頭骨やなにやかやが映し出されます。資料館にはお骨から割り出した容貌像なども展示されています。

 お芝居でおなじみの三代綱宗公は、わりあいふっくらとした丸顔系のお顔であります。綱宗公の廟所には、「いつも先代萩でお世話になっております」、とお参りいたしました。小雨が降りしきるお天気でしたが、それがこうした場所にはうってつけで、森林の匂いと共にさわやかなひとときでありました。
伊達綱宗公霊屋「善応殿」

 2回の公演をすませましてから、昨年も伺いました国分町虎屋横丁の「地雷也」さんで炉端焼きをいただき、ホテルへ帰りますと、そこでまたしても成田屋ご一行のお帰りと一緒になりました。はからずも3夜連続で11海老蔵丈とご一緒し、前の晩はお逢いせず、朝楽屋で、「昨夜はお逢いしませんでしたね」と笑い合ったばかりだったので、「では、1杯だけ行きますか」と、6市蔵丈・升寿丈とバーに誘っていただきました。11海老蔵丈は昨2004年のパリ公演でいろいろなお方とお逢いになったそうです。なかでも上等な方は、煙草もたしなまず、高級ワインを少々召し上がるだけで食事をなさるのだそうで、それをご覧になって思うところがあった、というお話が印象的でした。

 仙台の方のお話では、当地の切符は発売3日で売り切れとなったそうです。
十番 山形(7/11-2)

 昨10日は仙台からバス移動で山形へ。

 会場の山形市民会館到着後、いささか時間がございますので、名物のおそばを食べに出かけました。昨年もこちらへ伺っておりますが、同様に「三津屋」さんで「板そば」を注文しました。塗り盆に乗せられた大きな四角のせいろにおそばが6山。東京の気取ったお店のもりが6人前ほどございます。これで1200円。お店としてはおつゆを味わって欲しいので薬味にわさびを添えてきません。注文したらくださるようです。私は3山をふつうのおつゆでいただき、残りを別注文のカレー味の付け汁でいただきました。おいしく満腹満腹。ずいぶん以前に「萬盛庵」というところで、「紅花そば」をいただき、おつゆが江戸風なのでおいしいなと思いました。調べてみましたら、第2日曜は休業だそうで今回はあきらめました。
幟はためく会館前

 山形市民会館では小ホールの客席部分が地方(じかた)4者(長唄・囃子・清元・竹本)の楽屋であります。開幕前には三味線の調弦・鼓の調整など賑やかなものです。

 合間の時間は宿舎が近所なので、チェックインして1時間ばかり仮眠をとりました。毎日毎日飛びまわっていますと疲れもたまると思うので、こうしたときに気を付けておきます。このところ、舞台が落ち着いた…とはいうものの、いささか自分自身に気のゆるみが出てきている気もするので、とくに2回目は心して勤めました。「馴れ」というものは恐ろしい。なんとなくセリフを聞き流していて、ハイきっかけがきました、~\なにとやらしてェ…」ではいけないと自省。

 当地を打ち上げ山形泊まりのあと、本11日はバスにて4時間の道中を新潟市へ移動します。昨夜は「明日1日休める」と自分なりに存分に語ってみましたら、たいそう疲れまして、外へ夕食に出かける気もせず、宿舎内の中華料理に行きました。なかなか立派なお値段で銀座並みでしたが、たしかにおいしく、満足いたしました。
十一番 新潟(7/13)

 山形で2回公演の翌11日は、昔の言い方で申せば「道中」、ただいまでは「移動日」でございまして、公演はございませんでした。所要約4時間。2台のバスを連ねて座員80余名が新潟へ移動。

 事務局から配られた軽食(太巻寿司・バナナ・おーいお茶)を手にバスへ乗り込み、皆思い思いの座席に着きます。とは申すものの、暗黙の内に、「ここは旦那方」、「立者は一人で、若手は二人掛けで座る」…という了解がございます。私は道太夫氏と一緒に座りました。12團十郎丈・11海老蔵丈も私どもと同じバスでありまして、一座和気あいあいたるものです。10時半発車。先日北上市への移動の際もそうでしたが、11海老蔵丈が車内のテレビでビデオを見ようと提案され、前回は『釣バカ日誌』、今回は『(名前失念…「捕まえられるなら捕まえてみろ」というような英語の外題)』でデカプリオ丈主演の若き詐欺師の物語でありました。これがたいへんおもしろく、持ち込みましたお酒をいただきながら道中楽しみました。本日は「お休み」でありますので、私は朝食時からビールを飲み始め、体に「今日はお休みですよ」と言い聞かせました。

 14時過ぎに新潟の宿舎に着きまして、洗濯のついでに入浴。体を休めようとお昼寝をいたしました。あまり昼寝をすることがないのですが、今回の旅では、まめにいたしております。私はだいたい朝5時半から6時に目覚めまして、パソコンでこのサイトを更新いたします。7時からの宿舎の朝食に行き、部屋に戻りますと、またパソコンをいじったり、本を読みます。そのうち、うとうとしてまいりますと、タイマーを1時間くらい仕掛けておきまして、またもや朝寝をします。タイマーの音で起きることはあまりなく、たいがいの時間に目覚めますが、荷物をまとめて11時くらいに竹本一同ロビーに集合。タクシーで会場に向かいます。これがいつもの型です。

 当地新潟では、私がよくまいります銀座のバーでおなじみのお客様が、6市蔵丈・長唄の柏伊三郎師と共通のお知り合いで、皆様とご一緒にお食事に誘ってくださいました。こうした「およばれ」の場合、きちんとネクタイ上着着用で伺いますのが幕内の礼儀でありまして、お二人はパリッとそうなさっておいででしたが、私は今回極力荷物を減らしておりましてその用意がなく、通常のなりで失礼いたしました。

 新潟は「柳都(りゅうと)」と称されるそうで、堀割に植えられた柳が風情のある街であったそうです。ただいまは街も様変わりしましたが、花柳界「古町(ふるまち)」に柳都の気風は残り、老舗の料亭さんもいくつかございます。本日のおよばれは、「鍋茶屋」・「行成屋(いきなりや)」と並びます名店「小三(こさん)」さんの別館でありました。

 おいしいお料理をおいしいお酒で頂戴しておりますと、芸者さんが入って見えました。いずれも古町で名の高いお姉さん方だそうで、緊張いたします。やはり芸を身につけていらっしゃる方は「先輩」という感じが強く、敬意が先に立ちます。また「振袖さん」といわれる、京都で申せば舞妓ちゃん、東京で申せば半玉(はんぎょく)さんに相当する皆様も見え、こちらはデビューしたての方2人で、気楽におしゃべりできました。なかでも「あおい」という振袖さんは私と同じ名前なので、なじみやすく、皆様から「ダブルあおい」と名付けられました。昔「Wけんじ」という漫才がございましたねぇ…。「あおい」という名前はおばあさまが考えてくださったのだそうで、「いつまでも青い、未熟だと思って謙虚に教わりなさい」という意味もこめられているそうです。まったく私にも恰好な教えであります。千社札シールを交換しましたら、お扇子に2枚並べて貼ってくれました。
古町あおい嬢と
(掲載の許可をいただいております)

 お食事もあらかた進みまして、「拳(けん)」をしようということになりました。ちょうどお相撲も始まったことなので、「行事拳」というのを教わりました。3人でいたしますが、力士が2人で向き合い、行司役の「ハッ、ヨイ、ヨイ、○○」と掛け声につれてじゃんけんをいたします。「ヨイ、ヨイ」のとき手拍子を打ち、「○○」のときじゃんけんを出します。このとき、行事の「○○」は3種ございまして、「勝ち呑み」「負け呑み」「あいこ呑み」で、その掛け声に基づき、じゃんけんに勝った人が呑む、と申しますか呑まされる場合、負けた人が呑まされる場合、あいこで力士2人が呑まされる場合がございます。しかし、「勝ち呑み」「負け呑み」と行事が掛けたときにあいこが出ますと、行事が呑まされます。また、「あいこ呑み」と掛けたときに勝負がついても行事が呑まされます。だいたいひと組3回で廻していきます。要領を憶えますと至極盛り上がり、簡単なお遊びでございますから、皆様も是非ご家庭で…はできませんね。

 とても楽しく新潟の夜を過ごしました。ありがたいことでございます。どなたかが約束を取り付け、振袖さんが「明日4時半頃楽屋に伺います」との声を背に聞き、たいへんな雨降りの夜の街を次のお店に移動しました。

 新潟県民会館にて2回公演。開演前ロビーを通りましたら、開場を待つお客様から、「毎日ホームページを楽しみにしています」とお声を掛けていただきました。このところ同様のメールを皆様から頂戴し、この公文協東コース公演が注目されているのだな…とありがたいことでございます。また、「裏話」のたぐいをご期待くださいます向きもございますようですが、皆様の舞台を離れた私生活部分の記載は弁えを要し、注意しております。いちいち12團十郎丈や11海老蔵丈に「昨日こんなことを掲載させていただきました」と報告はいたしませんが、まあお顔を潰すようなことは、もちろん平生皆様方なさってもいらっしゃいませんが、書きません。あくまでも「こうした一面もございます…」という「知られざる魅力」を申し上げ、さらに舞台にご興味を持っていただきたいと思っております。「個人情報」・「肖像権」など取扱注意事項が多い世の中、心せねばなりません。

 と、いうことでやっておりますが、ロビーでお声を掛けてくださったお客様は、12團十郎丈の親しいご贔屓らしく、2回公演の合間に楽屋を訪ね、12團十郎丈と廊下で談笑していらっしゃいました。私がたまたま通りかかりますと、「あっ、葵さん。あなた私のことよりも、ゆうべのあなたのことをホームページにお書きなさい。フフフ…」と冷やかされました。12團十郎丈は私のサイトのことをお客様から初めてお聞きになったようで、楽屋での噂話「ダブルあおい」を書けとのご所望。

 前夜の約束通り、その振袖さんのあおい嬢と、「留袖さん」のお姉さんがお座敷のこしらえをして楽屋へいらっしゃいました。まあ、歌舞伎の楽屋に白塗りで鬘を掛けて着物姿でおいでになりましても、それほど目立ちはしませんが、なんと申しましてもイミテーションではなく、純正の女性でありますから、それは華やかであります。6市蔵丈・伊三郎師と迎えましたが、晴れがましいこと。6市蔵丈が、「葵さん、これがうちのあおいですって成田屋に紹介して、早く早く」と12團十郎丈の部屋へ押しやります。まあ、これも洒落であろうと、「旦那、あいすみません。こちらが新潟のあおいです」と厚かましくもお引き合わせし、「ダブルあおい」のお扇子にサインまでしていただきました。12團十郎丈はあっけにとられ、親切に「ああ、ああ…」ともうひと方の分にもサインしてくださいました。畏れ多いことでございます。だいたいは付き人さんなり、マネージャーさんを通してご都合を伺い、きちんとご案内するのが筋でございますが、この辺が地方巡業の一座の心やすさと、偉い方なのに親しみのある12團十郎丈のお人柄でございましょうか…。

 まあそんなことがございまして、皆様から「ヨッ!旦那」などと冷やかされ、お恥ずかしいことでしたが、実に痛快なできごとでございました。新潟のお客様に感謝感謝。

 公演の合間に會津八一先生の記念館も見学いたしましたが、そのお話はもうどうでもいい…いやいや、雄渾な筆跡や、作歌についての心構えを記した書状に感じ入りましてございます。「散文にしていふに如かざることを歌として歌ふは根本的に心得ちがひなり」とか「字余りには字あまりの調子あり。字あまりてはじめて調子を成すこともあるべし」という教えをメモして帰りました。先月勤めておりました『良寛と子守』の良寛さまの書も拝見できました。

 15日熊谷公演が公演折り返しの中日となりますが、それに先立ちまして、鍋茶屋さんのすばらしいお弁当が11海老蔵丈より一座に配られました。

 2回公演をすませて高崎へ移動。
十二番 高崎(7/14)

 高崎は以前公演で2度ほど伺った覚えがございます。会場は群馬音楽センター。

 何と申しましてもこの時季、降ったり止んだりの雨模様は天然の為すところにて致し方ございませんが、毎々申し上げますとおり、衣裳の管理が悩みの種であります。俳優さんのように衣裳方さんが管理してくださればよろしいのですが、私どもは自分でしなければなりません。舞台を降りますと、汗みずくになっております肩衣・前垂・着付・半襦袢・汗取りの下着・ステテコをハンガーに掛けて干します。これが1回目と2回目の間に乾いてくれないのです。しからば2組使えばよいのですが、携行荷物の量と管理の点で、1日1組でいけた方が助かります。一座の衣裳や私物の干し場も戸外や軒下に用意されてはいるのですが、やはり俳優さんの衣裳優先ですし、お天気が優れませんとあまり乾きません。室内に干して扇風機を当てますと、いくぶん違いますので、楽屋入りしますと、会場から拝借して当てておりました。しかしこれも俳優さん優先で、会場によりましては調達できないこともあり、こちらは毎日のことですから、思い切ってビックカメラ高崎店へ出向き、手頃なものを購入いたしました。
高崎城乾櫓 買っちゃった…

 ついでに店内を見ておりますと、電子辞書が目に留まり、手に取るうちに欲しくなってこれも購入。私は1台持っておりまして、今回も芝居の荷物の中に入っておりますが、新品はいろいろな種類の事典が収納されていて移動中の読み物ともなります。私としてはおそらく使わないであろう分野の辞書も多数ございますが、これから楽しみであります。ずいぶん安価な扇風機を買いに行き、高価な電子辞書を買ってしまいました。

 会場の楽屋は大きな集会室のようなところで、地方4者合同でした。ところが、窓外はお客様入場の際の通り道らしく、私どもが楽屋でくつろいでおりますと、お客様がじろじろご覧になりながら続々通り過ぎられます。なかには、近付いてしっかりのぞき込まれるご婦人もおいでになり、こちらが赤面いたしました。たしかに私が歌舞伎ファンだったらのぞき込みますが…。カーテンは暗幕のようなたいそうなものなので引くに引かれず…。時間になりましたら着替えないわけにはまいりませんので、隅の方で隠れるように着替えました。

 公演の合間には近所の市街を歩きました。8月の高崎まつりの準備中で、生徒さんが絵や字を書いた提灯が多数通りに吊られています。飲食店は中華料理店が多いのが目につきます。私は「純手打」というおそば屋さん『梁嘉』で天ざるをいただきましたが、おいしかったです。

 今回の巡業には、ふだん通勤にはあまり履かないジーパンを履いておりますが、どうも形が今ひとつなので、ジーンズショップで2本購入。今日はやたら消費する日であります。物をふやしてはいけないというのに…。

 夕食に駅の中の食堂街を歩きましたが、「峠の釜飯」で有名なお店「おぎのや」が串揚げを主にお店を出していましたので、当地の名物という煮込みうどん、「おきりこみ」の定食をいただきました。

 特にどこへ飲みに行くというところも存じませんので、早々に就寝。
十三番 前橋(7/15)

 14日は高崎から、両毛線で前橋往復でありました。高崎には3泊しております。

 両毛線の「両毛」とは、いったいなんぞや?答は新規購入の電子辞書が即座にしてくれました。上野(こうずけ)の国・下野(しもつけ)の国は、はじめそれぞれ「上毛野(かみつけの)」・「下毛野(しもつけの)」と称されていたそうで、715(霊亀1)年に諸国の国名を2字と定めてから、上野・下野と記すようになったのだそうです。…で、「上毛野」の新前橋から「下毛野」の小山まで、「両方の毛野」を結ぶ路線なので両毛線、らしい…。こんなことも、わざわざパソコンの辞書を開かずとも、蓋を開け即座に立ち上がる画面からピピッと検索でき、ありがたいことであります。新しい電子辞書には簡単な百科事典もございますので、公演地の歴史などもそれからそれへ知ることができ、移動中も飽きません。これは実によい買い物でございました。

 また恥ずかしながら、知っているようでほんとうはよく知らないことばも、楽屋で誰かが話しているのをちょっと調べて、「ああ、そうか…」とひとり納得することもございます。たとえば、「明日芝居も中日で、これからが下り坂。今日は9合目みたいなもんですよ」と耳にしまして、「合目」とはなんぞや?と改めていわれましても、確かなことは私答えられません。そろっと電子辞書で引いてみますと、「登山の路程などを10分したその一」とございます。「富士山の5合目」などと申しますが、あんな高い山は13合目とか、もっと先まであるのかと思っておりました。まことに調べるにしくはなし。こんなことが「即座にわかる」電子辞書は便利ですねぇ…。別にメーカーのまわし者じゃございませんが…。

 さて、前橋は群馬県民会館で2回の公演。ひさしぶりに晴れ上がった空を見ました。例の濡れ物も外に干すことができます。当地や本日公演いたします熊谷市は、高温で有名なところですが、梅雨空のおかげでいくぶんましであります。

 このところ、11海老蔵丈は実盛の足取りが早くなってきました。それだけ緩急の手綱捌きがお腹に入られたのだと思います。しかしそのために、義太夫節として許容範囲の足取りからはみ出そうになることもございますので、気を付けております。1回目が幕になりまして、私は11海老蔵丈に1箇所不審に思っていることを申し上げましたが、2回目にはこちらのことも考えてくださった演技でした。数を重ねてまいりますと、暗黙の内に了解できること、話し合いを要することが出てまいります。その辺を上手に調整してまいりますと、ご見物にもさらに気持ちのよい舞台をお届けできることと存じます。

 ここへ来て私は、また声の出所が変わってまいりました。私はいまだに、「変声期」だと思っております。義太夫節を語るにふさわしい声へと…。入門以来長いことかかっておりますが、徐々に変わってきていると思います。しかしまだまだです。ただ、声が変わってきているという実感は、厳密には「声を出すための筋肉の使い方が変わっている」と申し上げるのが妥当で、今月の「実盛物語」2回、なんとか保っているのは、その成果かとも思われます。私も三味線の宏太郎氏も目一杯やっております。「旅だから適当にやればいいんだ」などという方もおいでかもしれませんが、2人ともそんな気分にはなれません。毎回の舞台から何か進歩を得たいと私は思っております。

 さて本日は、高崎市の宿舎を出まして、熊谷市へ移動し2回公演。「中日」であります。泊まりは宇都宮市。明日は宇都宮で公演のあと帰京し、立川は自宅通勤。荷物の入れ替えなどができます。

 前橋では写真を撮りませんでした。
十四番 熊谷(7/16)

 昨15日は、当公演の中日でありまして、熊谷陣屋ならぬ熊谷会館にて2回公演でありました。

 私は初めて熊谷市に伺いました。この公文協東コースによくいらっしゃる方のお話では、高崎・前橋・熊谷が毎回セットのようになっており、しかも猛暑の土地柄とのこと。期待に違わず、このところの梅雨空が嘘のように熊谷では晴れ渡り、かつ厳しい暑さが出迎えてくれました。

 何と申しましても、熊谷(くまがや)市は、『一谷嫩軍記』でおなじみの、熊谷(くまがい)直実の所領でありまして、駅前には北村西望先生作の熊谷直実像が「オーイ」と軍扇で招いております。市内にはお墓のある「熊谷(ゆうこく)寺」がございます。「熊谷」と申しましても、さまざまな読み方があるものです。芝居の方は、「くまがえ」か「くまがい」。17羽左衛門丈が直実を演じられたときには、「『くまがい』が正しいからそれで統一するように」と出演者にお触れが出ました。しかし皆様たいがいは、「い」と「え」とどっちつかずのような感じで「え」に近い方で発音しているようであります。
熊谷直実像
 2回公演の合間に、その熊谷寺へお墓参りに行こうと、炎暑の下タクシーをお願いして出向きました。しかし、お寺の中へは入ることができず、表から境内をうかがうにとどまりました。帰り道、運転手さんがせっかく来たのに気の毒にと、お寺のことなど話してくださいました。檀家以外はお寺に入れない話・明治陛下行幸のみぎりもお寺を提供しなかった話…。当地には「権八地蔵」というお地蔵様がございますそうで、おなじみの白井権八がそのお地蔵様の前で人を殺め、お地蔵様に「このことは他言なさいませぬように」と言うと、お地蔵様が、「私には目もなく耳もなく口もない。しかしお前にはそうしてしゃべる口があるではないか」と戒めたというお話が伝わっておりますそうです。私も歌舞伎の舞台となっている『四千両小判梅葉:熊谷堤』の話などいたしましたが、初耳だとのことでした。
蓮生山熊谷寺

 熊谷の舞台を打ち上げ、楽屋口で駅までのタクシーを待っております間、外にひらひらと舞っているものがあります。訊くとコウモリだそうで、私は初めて見ました。成田屋にはゆかりのコウモリで、公演中日を祝いに出てきたのかなとうれしくなりました。

 熊谷から大宮を経由し、宇都宮まで新幹線移動。
十五番 宇都宮(7/17)

 熊谷の公演をすませて乗り込みました宇都宮は、雷鳴と激しい雨降りのさなかでありました。 お目当ての名物餃子も、専門店はほとんど閉店時間ということだったので、宿舎近所の飲食街でお茶漬けなどいただきました。

 ぐっすり休みまして、宿舎の遅めの朝食にうかがいました。バイキング形式ですのでおかずを取り、ご飯をよそおうとしますと、12團十郎丈が後ろに並ばれました。「旦那、おつけいたします」と申し上げると、「ああいや、すみません。ぼくは半分なんです」ということでしたので、半分ほどおつけいたしました。ふとお盆の上を見ますと、健康によさそうな品々ばかり少量多種並んでいました。この「少量多種」ということが、たいせつなのだなと思いました。

 11時に会場の栃木県総合文化センター入り。宿舎の裏手にあり、荷物をゴロゴロ転がしながらじとーっとする道を歩きました。たまたまこの日がそうなのか、街全体がじとーっとしていまして、楽屋も舞台も湿気でどんよりしておりました。こういう日がえてして疲れやすいものです。

 2回公演の合間は、名物餃子を食しに街へ出ました。以前伺いましたときに、4段四郎丈にお誘いいただき、「正嗣」というお店でごちそうになったことがございます。今回はもうひとつの有名なお店、「みんみん」に伺いましたら、なんと行列行列…。あきらめて、「正嗣」に行きましたが、こちらも行列。まあわからないが、餃子はそんなにお店によって変わるものではないだろうし、名物だけにひどいものもなかろうと、冷房が効いていて、すぐ入ることができて、なんとなくおいしそうなお店…ということで、「シンフー」というお店に入りました。焼き餃子・水餃子・海老餃子・スープ・ごはんを注文しました。どれもおいしかったのですが、やはり普通の焼き餃子がいちばん口に合いました。
宇都宮名物餃子 二荒山神社の石垣

 食後、「二荒山神社」へ参詣。こちらは「ふたあらやま」とお読みするそうです。下野の国一の宮だけに立派なお社。ふと石垣を見ますと、びっしり苔むしています。やはり湿気の多いところなのですね。お祭があるらしく袢纏姿の方が見受けられました。境内のお神楽殿では剣舞の奉納がございました。男の子が白装束で鉢巻きして舞う姿は、見ていて気持ちのよいものです。

 楽屋へ帰りまして、例の扇風機による衣裳の乾き具合をみましたら、この湿気であまり乾いていない…。会館の乾燥機を拝借して乾かしました。本日は自宅に帰りますので、衣裳や私服の入れ替えで大荷物であります。

 宇都宮を打ち上げ新幹線で東京へ。車中、新潟のお客様に頂戴した「久保田萬寿」をいただきながら、手持ちの落語2席。林家彦六師の『鰍沢』・古今亭志ん朝師の『甲府ぃ』を楽しみました。車内販売で求めた宇都宮の「こわめし弁当」は、おかずがおつまみになってたいへん結構。

 ひさしぶりに帰宅した我が家は、やはりよいものです。
十六番 立川(7/18)

 昨17日は立川市市民会館アミュー立川で2回公演。自宅通勤であります。

 どうもここに至って風邪をひいたらしい…。前日の宇都宮までは異状なく、舞台も力一杯にやれていたのですが、一夜明けましたら喉が痛く、また声もかすれ気味…。舞台でとてもあせりました。経験から割り出すと、どうも風邪のひきはじめにくる痛みと声がれのようで、これは風邪の症状が進行すれば治ると踏んでいるのですが、それまでの間、お聞き苦しい声を皆様にお聞かせするのが心苦しい次第であります。おそらく、11海老蔵丈もお気づきになっておいでかと思われますが、何もおっしゃいませんでした。

 日曜日でしたのでお医者様も開いておらず、会館の近所に薬屋さんがないかと探しましたが見あたりません。とりあえず安静がよいかなと、あまり出歩きませんでした。しかし、何か気がくさくさしますので、食事のあと、会館の隣の公園にある迷路に入ってみたりいたしました。45歳の男が、腰をかがめながら迷路をさまよう姿はおかしなものだったと思います。迷路も順立てて行かないことには出口にたどりつきません。行き詰まったときもその通りで、こうして風邪ひきになったなら、順立ててその通過を待たなければいけないな…などと、そのときは思いませんでしたが、今こうして書いておりますと、そのように思い当たります。早々に楽屋に戻り静養。

 2度目の舞台は小さいながら声になっておりますものの、やはりよろしくない…。ほんとうに不注意から申し訳ない次第です。
迷路

 ちょっとお話を変えます。この東コース、9月の西コースとかなりの回数「実盛物語」を上演いたしますが、なにか11海老蔵丈の役づくりの参考にと、浄瑠璃原作三段目のテキスト(『浄瑠璃集:下:岩波書店日本古典文学大系』)を複写して立川の楽屋で謹呈しました。もちろんただいまでも結構な実盛なのですが、同じものをくり返しておりますと、えてして煮こごってしまうもので、原作をお読みいただくことで、従来の型を掘り下げていただいたり、別の視点からお役を眺めてみることの、たしになりはしないかとさしあげました。自宅に帰りましたのでそんな作業もでき、よろこんでいただきましたが、次におっしゃったことがすごい。「ああ、ありがとうございます。ぼくも家に帰って文楽のビデオを見てきました」。この強行軍の中、わずかな在宅時間に、さらに研究なさっているということに頭が下がりました。皆様、11海老蔵丈はやはりただ者ではございません。
十七番 増穂(7/22)(7/23改訂)

 2日間の自宅通勤から、18日は再び「旅」と相成りました。

 前日の立川で声の変調が起こり、滅多に欠かさない晩酌も一滴もやらず自重。家人から「とうさんが自分から飲まないというのは、よほど調子が悪いんだ。気を付けて…」と送り出されました。

 山梨県の増穂町というところは、今回初めて地名も場所も知ったところであります。地図で見ますと、落語に出てまいります鰍沢や、その中で重要な小道具となる毒消しの護符を出す小室山なども近所のようです。新宿から中央本線の「かいじ」という列車で甲府へ行きまして、貸切バスに乗り換え、会場へ乗り込みました。道中、前日の立川や、初日に伺った八王子を再び通過し、何となく行程の順に疑問を覚えましたが、まあこれは致し方ないところ。そんなことよりも、声の変調の方がゆゆしき大事にて、東京で病院に行く間もなく乗り込みましたので、次の公演地駒ヶ根で診察を受けようと、事務局に手配をお願いいたしました。

 増穂町文化会館はのどかなところですが、楽屋が狭く地方4者連合ひしめきあいました。さて、舞台を勤めましたが、あにはからんや具合が悪い…。11海老蔵丈は、こちらが調子悪いのを気遣ってくださり、声の続かないところはさっとやってしまって、負担をかけないようにしてくださいました。恐れ入りましてございます。低音部は妙に響き、かえっていつもより朗々と出るのですが、高音部がいけません。まったく実盛のセリフではございませんが、「浮いつ、沈んつ泳ぎくる…」でアップアップしながらようやく幕となりました。11海老蔵丈の来演を心待ちにしておられた地元の皆様、東京から追っかけていらしたファンの方々、もちろん共演の皆様方に、いちじるしく舞台効果をさまたげましたことを申し訳ない気持ちで一杯でありました。毎日開幕前場内アナウンスで、「携帯電話の着信音・時計のアラーム…などは舞台効果の妨げとなりますのでお切りくださいまうように」とございますが、出演者自ら舞台効果の妨げをしているな…とやりきれない気持ちでございました。
このトラック2台で荷物が運ばれます

 増穂では乗り打ち1回の公演で、打ち上げますと、すぐに駒ヶ根へバス移動。途中諏訪湖の見晴らせるドライブインで休憩。諏訪湖の夕景を見ながら、昨2004年2月に3猿之助丈一行の巡業で立ち寄った下諏訪の「手塚城」のことを思い浮かべておりました。

 岡谷公演のおり、下諏訪の諏訪大社秋宮の隣にある温泉旅館に入浴休憩で立ち寄りまして、玄関を出ますと「霞ヶ城(手塚城)跡」という看板が目につきました。お芝居での太郎吉、のちに手塚太郎光盛が居城としたところだそうで、いわれが書かれております。「へぇー…」と感心。

 この巡業のときは滋賀県の栗東市というところにも伺いました。こちらには「手原(てばら)」という地名がございまして、実盛の「手をはらむ、はらむ手…。うむ、今よりしてこのところを手孕み村と名付くべし」という本作の題材にされたと思われるところで、つまり九郎助住家はこの辺にあったのだろうという場所。このときの巡業は不思議でして、伺いました土地にゆかりのお役が、その後次々に当たりました。巡り巡りて今回の「実盛物語」もその延長上と申せます。

 これは2003年5月に「かいな」が役付になったおり訪ねたのですが、東京湯島には「実盛坂」がございまして、昔「長井庄(ながいのしょう)」と呼ばれていた東京近郊を実盛は治めていたのだそうで、その名残ということでございます。案内板によりますと…

実盛坂/湯島三丁目20と21の間/『江戸志』によれば「…湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり…」とある。また、この坂下の南側に、実盛塚や首洗いの井戸があったという伝説めいた話が「江戸砂子」や「改撰江戸志」にのっている。この実盛のいわれから、坂の名がついた。/実盛とは長井斎藤別当実盛のことで、武蔵国に長井庄(現・埼玉県大里郡妻沼町)を構え、平家方に味方した。/中略/湯島の実盛塚や首洗いの井戸の伝説は、実盛の心意気にうたれた土地の人々が、実盛を偲び、伝承として伝えていったものと思われる。

 この記事は写真が行方不明になったので当時の『ただいま』に掲載しそびれましたが、今回恰好の機会ですのでご披露申し上げました。
移動中(後ろは諏訪湖)
20040205信州下諏訪手塚城跡にて
20030429東京湯島実盛坂

 舞台の不出来から失意のうちに長野県駒ヶ根市着。事務局で昭和伊南総合病院の夜間外来を手配くださったので、着くとすぐに診察を受けました。当直の医師が問診し、抗生物質・鎮痛解熱剤などを処方くださいました。私は、風邪による高熱を押して勤める舞台の辛さを知っておりますので、もしも熱が出た場合の坐薬も出していただきました。足取りも重く宿舎へ帰り、どこへ出かける気もいたしませんから、食堂で「駒ヶ根名物ソースカツ丼」などをいただき、薬を服用。すぐに寝てしまいました。
十八番 駒ヶ根(7/22)

 うつうつとした気分とはうって変わって、19日駒ヶ根はさわやかな天候であります。

 1回目、やはりいけません…。立川でもそうでしたが、まず第一声の~\ささやき奥へ」が声がひっくり返り、ご見物が「おや…?」と思われる気配が感じられ、まず自意識が不安定となります。立川・増穂と2日間くらいで快方に向かうだろうと思っておりましたが、そうは行かず、こちらでも皆様に申し訳ないことでした。このところの巡礼は、各地で「懺悔懺悔六根罪障…」という心持ちであります。11海老蔵丈もご心配くださり、ご自身携行のお薬をわざわざ私どもの楽屋まで届けてくださいました。ありがたいことと感謝で一杯でした。

 合間の時間はタクシーを呼んで宿舎に帰り静養。

 2回目、もっといけません…。悪条件は悪条件なりに、なんとか弱点を克服、または露呈しないようにするのが職業人としての矜持でありましょうが、その点になりますと私などは「すみません…」と謝るしかございません。ただ、いささかの工夫はございまして、「出ない高音部で歌うべきフシ」を「かろうじて出る低音部の語りにすり替える」…などはいたします。11海老蔵丈は「昼よりいいじゃないですか」と慰めてくださいましたが、それはそういう工夫がいささかついたことによると思います。
お薬

 夜は一人で食事する気になれず、宏太郎氏・道太夫氏につきあっていただき、宿舎の食堂で精を付けようと馬刺しなどいただき夕食。食欲は正常。薬を服用し、早々に就寝。熱の出ませんのが、まだ救いであります。

 翌20日は駒ヶ根から名古屋への移動日で、公演がないのが幸い。じっくり静養に宛てました。基本的に「無言の行」。
十九番 岐阜(7/22)

 前日は移動のみにて、声を休めることができましたが、さて一夜明けてどんな声が出ますやら…。21日の会場、長良川国際会議場「さらさーらホール」に着きまして、楽屋で恐る恐る声出しをしてみました。どうやら養生薬石効あって、いささかは快復してきている模様。しかしここで無理をいたしますといけませんので、危ういところは別のやり方でご勘弁願いました。

 このところお三味線の調子を下げていただいております。よく皆様カラオケで声が届かないと、「ひとつ下げてください」とかおっしゃる、あれです。通常6本半という調子で出るところを6本まで下げていただきました。歌舞伎義太夫として使う調子では、この辺が下限と申せましょう。『仮名手本忠臣蔵:判官切腹』など陰気なものを語るときの調子であります。いわゆる「生締物(なまじめもの)」と呼ばれる颯爽とした実盛のような役柄が活躍するこの場は、切場といえども高い調子の7本(一の開放弦が「G♯」)くらいで勤めてもよろしいものですが、6本(「G」)でやらせていただきました。お三味線は大きな舞台の場合、7本くらいの方が派手で弾き易いと思いますが、宏太郎氏がおつきあいくださいまして助かりました。太夫が調子が悪いと三味線弾きさんもひと苦労と思います。また、前を語っている道太夫氏も、葵太夫が休演の際には代役せねばならず、気が気でなかったと思います。身内は相身互いとは言い条、申し訳ないことです。

 「いささかはましになった」ものの予断は許されず、合間の時間も元気ならば金華山をロープウェイで登り、岐阜城から眺望を楽しみたいところですが、とんでもないこと。自重いたしました。しかし、気晴らしをかねて少し川辺を歩きました。会場は長良川に面しておりますが、それから少し上流に歩いたところが、ただいま連夜行われております鵜飼の漁場なのだそうで、鵜を操る鵜匠のお家がございます。観光客のために「鵜匠の家」と看板がございまして、道から覗くことができます。篝火に燃やされる薪が積み上げられ、鵜を入れる籠が干され、小屋には鵜が夜の出番を待っております。
鵜籠と鵜小屋

 これは甲州石和川のお話ですが、『日蓮聖人御法海:勘作住家』という浄瑠璃がございまして、歌舞伎では近年6歌右衛門丈が研究公演で上演されて以来途絶えておりますが、昔はよく出たものだそうです。お伝という女房が、鵜飼をなりわいとしている主人勘作が処刑されたことを歎きますクドキに~\鵜の喉締めし報いにて…」というところで鵜匠が鵜から魚を吐き出させる手つきをするのが紋切り型なのだそうで、昔の女形さんは必ずこの手つきを鵜匠に教わりに行ったものだ…とは重松師に伺いました。6歌右衛門丈はどうなさったかは存じません。

 鵜飼と申しますと、私が竹本講習生の頃、ただいまの茂山千作師に『鵜飼』の一節を小謡として習いました。これが恥ずかしながらお謡の唯一のお稽古であります。もっとも初心者へのお稽古ですから、~\うぅかぁごぉをひらき、とりぃいだぁしぃ(鵜籠を開き取り出し)…ハイッ!」とお手本を語ってくださり、続けて真似するといった大ざっぱなものでした。烏も鵜の真似をせねばこの道は進歩いたしませんが…。

 そんなこんなを思い出しながら炎天燃えるような道を歩いておりましたが、長時間は毒だと思い、早々に楽屋へ帰り体を休めました。2回目は、やはり傷で申せば、かさぶたができかかっているところを1回目で掻いてしまったようなものなので、消耗はしておりますがなんとか勤め、宿舎の名古屋へ帰りました。出雲公演を打ち上げ、鈴鹿公演に移動してきた公文協中央コースの皆様と宿舎が一緒になり、「吉野山(掛合)」で廻っていらっしゃる東太夫氏とトマトジュースを飲みながら静かに歓談。
廿番 春日井(7/23)

 名古屋の宿舎の朝食は、巡業の中央コース・東コースの一座が入り交じり、そこここで挨拶や近況の歓談でなごやかなものでした。

 22日は春日井市民会館で2回公演。名古屋駅より中央本線で春日井へ移動。

 当地は小野道風出身の伝承地だそうで、「書の町」をうたっております。浄瑠璃に『小野道風青柳硯』という作品がございまして、歌舞伎でも「蛙跳びの場」が、一般的ではありませんが高名です。1吉右衛門丈の道風・6菊五郎丈の駄六という写真を見たことがございますが、私が入りましたばかりの1979年8月の歌舞伎会か何か勉強会で上演されました。私はほかのお役をいただいおりましたが、珍しいお芝居ですし、当時は「何でも憶えておかなければいけない」と教えられておりましたので、先輩が扇太夫師にお稽古いただく段階から聞かせていただいておりました。そういたしましたら舞台稽古の日に先輩が楽屋へ見えないのです。お宅に電話しますと、「ハイ。何?」なんて音楽をかけてのんびりしていらっしゃる。11時開始を1時開始と間違えたらしい…。指導は17羽左衛門丈でして、「誰か語れるのはいないか?」という事態になりました。あまり難しい曲でもなく、だいたい憶えていましたので代役させていただきましたが、17羽左衛門丈が、「あの若いのでいいじゃねえか」とおっしゃって帰られたそうです。もちろん、私は代役のみで、本役の先輩が師匠方に絞られた上お勤めになりました。私は市村座時代の竹本調太夫師の床本を松三郎師から頂戴して所持しておりますが、前の場からございますようで、よく内容を存じませんが、もし上演の機会がございましたら、お役に立てたいと思っております。
書のまち春日井

 祇園『波木井』のご主人から教わりました都々逸。

~\傘を片手に、格子にもたれ
「そこにいるのは助六さんか」
「俺ぁ助六じゃねえ。傘さえ差しゃあ助六か」
「そんならお前はあの、定九郎さんか」
「アアイヤ、小野の道風」
「そのまた小野の道風さんが、ここへは何しにござんした」
~\買わずに見とれているわいな

 …これがどうしておもしろいかと申しますと、お解りになるお方は結構ですが、そうでないお方のために贅言。廓の格子先をお思いください。会話しているのは格子の中の女郎と表に立っているお客で、雨降りでもありましょうか、傘を差している姿から女郎がお客を助六や定九郎に見立てますと、自分は小野道風だと言う。花札の「雨」の20札に傘を差して柳に飛びつく蛙を見込む道風の姿が画かれていますが、「蛙(かわず)」と女郎と遊興に及ばない、「買わず」を掛けております。

 …そう!春日井市でした。春日井は初めて伺いました。楽屋口で俳優さんの楽屋入りを待ち受けるファンの皆様の姿をよく見ますが、このところ「葵太夫さん。ホームページを楽しみにしていますよ!」とよくお声を掛けていただきます。昨日は、「ちょっと待って…」と鞄から何やら取り出し、「お酒がお好きそうなんで声がよくなったら上がってください」と清酒を頂戴してしまいました。ありがたいことでございます。早くよくならねば…。

 会館によりまして音響の具合がさまざまです。最新の会館がやりやすいかと申しますと、そうでもございません。春日井はやりやすい会館でした。どんな環境でも動ぜずできるのが商売人でありますが、ただいまのようにほんとうの調子でないときには、会場に助けられることもございます。また、当地は大向こうさんも熱気がございまして、お芝居が盛り上がりました。私も徐々に快方に向かい、調子も6本から6本半に上げていただきました。声がおかしくなる前は7本だったそうで、宏太郎氏の感じでは、11海老蔵丈の調子からすると、7本より6本半の方が納まりがよいそうです。

 春日井を打ち上げまして、また名古屋に出て新幹線に乗り継ぎ、浜松へ移動。夏休みに入りました週末ですのでご家族連れが多く、愛知万博ご見物でございましょうか、駅は大にぎわいでした。宿舎は高層階にお部屋を頂戴し、すばらしい夜景に心癒されました。
浜松夜景
廿一番 浜松(7/24)

 23日は浜松市のアクトシティ浜松大ホールで2回公演。

 楽屋に入ろうとしますと、11海老蔵丈のファンの方がお二人おいでで、ご挨拶いただきました。おそらく東京の方だと思いますが、東京近郊はずっとおいでになり、立川や増穂もご見物でしたので、ずっと私の不調でご迷惑を掛けていることをお詫びいたしました。

 この会館は防犯に厳しく、事前に入館証として赤いリボンが配られました。ポロシャツの袖に付ける方、胸に付ける方…さまざまです。どなたかが、「紅衛兵だね」といささか古いたとえでおっしゃいました。立派な設備の会館で、舞台裏は広々としており、もうひとつくらい劇場ができそうです。

 前の晩は、「せっかく浜松に来たのだから、おいしい鰻が食べたい!」と思い、ホテルオークラの『山里』という和食堂に行きましたが、残念ながら看板でした。仕方なく駅のレストラン街に出かけましたものの、今ひとつだったので、2回公演の間に再度『山里』に挑戦…。しかし休憩時間に入ってしまっており、いけませんでした。そこで、オークラで何軒かお店を紹介していただき、『八百徳』というお店に伺いました。おいしく頂戴しましたが、私の好みでは、タレがもう少し甘くなければ…と思いました。私が『山里』にこだわったわけは、天下のオークラの和食堂たる味と整然としたサービス・30階の眺望…など以前当地へ公演で伺ったときにとても好印象をもっていたからであります。おそばや鰻は好みが分かれるものと思いますが、やはり東京で食べ慣れている味がしっくりします。皆様の話では沼津の会館に出前してくる鰻がこれまた美味とのことで、それも楽しみにしております。
『八百徳』の鰻丼

 2回の公演は、声の調子が今ひとつですから、少し控えめに…と出る前は思うのですが、いざ舞台に出ますとそんなことはどこかへ飛んでしまって、できないなりに懸命になります。そしてボロボロになって楽屋へ帰ってくる…。昨晩は夜中3時頃目覚め、声を出してみると全然出ない…。それは早くから寝ていて、夜中にいきなり声を出してみろと言われても出るわけがありません。寝ぼけているのですね。「ああ、また出なくなってしまった…」とお手洗いに立ち、ついでにうがいをして、またやすみました。
廿二番 静岡(7/26)

 24日は静岡市民文化会館中ホールで2回公演。朝、新幹線で浜松より静岡へ移動。駅前からタクシーで駿府城址の中にあります会館へ入りました。こちらはその名も「葵区」でありまして、だからどうということはないのですが、なんとなく気恥ずかしいような妙な気分であります。これは舞台で~\音静まれば葵御前…」などと語っておりましても、なんとなく照れるような…自意識過剰でありましょうか。

 私の倅は、静岡聖光学院という男子校の寮生として中学・高校とお世話になっておりまして、私も幾度が保護者会に伺ったことがございます。私の子供時分、プラモデルをよく拵えましたが、有名なメーカーの『タミヤ』は当地が本拠地で、倅の学校の近くにございまして感激しました。
静岡市民文化会館

 声の調子は夜中に案じたほどではなかったものの、あまり結構でもなく、申し訳ない次第でした。合間は近所に食事に出かけましたが、日曜のことでお休みが多く、バスセンターのビルまで歩き、『沼津魚がし寿司』というお店で「近海握り」をいただきました。初めてマンボウの握りをいただきましたが、妙な感じで急いで呑み込みました。ほかはすべておいしくいただきました。

 静岡を打ち上げますと、沼津に移動し1日の休演日。ここへきてこの1日は貴重であります。
廿三番 沼津(7/27)

 この東コースも「旅」は当地沼津市まででして、公演のあと新幹線で三島から帰京し、残りの東京都内や近郊は自宅通勤となります。25日の休演日を静養に宛て(元気な皆様は野球に興じたらしい)、明けて26日は朝から台風接近による不順な天候でありました。

 この月大阪の松竹座では、18勘三郎丈が襲名ご披露の演目に『伊賀越道中双六:沼津』の平作をお出しになっておいでです。東京歌舞伎座初演のおりに大好評でしたが、わざわざ「襲名披露狂言」に出さなくても…という声も聞こえます。しかし、あえてこうしたお役も選ばれたことに、私は18勘三郎丈のお人柄を感じます。その初演のとき、歌舞伎座楽屋の廊下で平作の拵えをして舞台に向かわれる5勘九郎丈に行き会わせ、「先代(3世)の津大夫さんのテープを聴いているんだけどさ、いいねぇ!」とお話を伺いながら舞台の手前までご一緒しました。小腰をかがめられた5勘九郎丈が先に立ち、話しかけられて付き添っている私がいて、そのあとを岡持や小道具を持ったお弟子さん・付き人さんが続く…奇妙な光景でありました。

 さて、ご当地沼津市には、おそらくこの『伊賀越道中双六』の影響を受けて創作されたであろう伝説のもとに、信仰されているお地蔵様がございます。その名も「平作地蔵」。駅の観光案内所で所在地を訊きましたが要領を得ない…。係の方が電話で聞きあわせ、この辺…という見当がついたので、タクシーを頼みました。ところが運転手さんもよくわからない。「ここじゃないでしょうか」と案内されたのが神社の前。「あの…、お地蔵さんなんですがねぇ…」。橋を渡ったり戻ったりしながら、ようやく黒瀬橋北詰西側、かつての旧・東海道一里塚付近の一角に行き着きました。案内板に曰く…
沼津里平作地蔵尊 看板屋さんの力作
『平作地蔵尊の由来』
この地蔵尊はいつの頃創建されたか明らかではないが有名な浄瑠璃『伊賀越道中双六』に出てくる沼津の平作にゆかりの深い地蔵尊としてその名を知られている。/地蔵尊の建てられている場所に昔一軒の茶屋があり主を平作と言い娘のお米(後の渡辺数馬の妻)に茶店をやらせ自分は旅人の荷担ぎを業として居りました。そして仇河合又五郎の行方を知っている旅人十兵衛(二十数年前に別れた平作の子)に娘お米の夫渡辺数馬の為、平作は自害してその居場所を聞きだす。/中略/平作爺さんの義侠心は後の人々の心を打ち茶店のあったと言う場所に一つの碑を建て地蔵尊を建立しました。/現在この地蔵尊は延命子育地蔵(通称もろこし地蔵)として長い間土地の人々の信仰を集め、例祭は毎年七月三十一日に新しい精霊を迎えて地元民の手で賑やかに行われております。/山王前自治会

 …とのことで、この月末にはご供養があるそうな。運転手さんのお話では近所に「平作茶屋」というマンションもあるそうです。私は「沼津」というお芝居、また義太夫節も大好きで、千本松原など涙なしには見ていられません。世話物の中に時代な部分もあり、難しいものですが、勤めてみたい演目です。

 会場の沼津市民文化センターでは、2回公演のあとの帰京について評議様々。台風接近による障害がないか、もし新幹線が運休した場合、バスで代替えすると高速道路も閉鎖されるので下の道を6時間くらいかかる。深夜に東京に入っても自宅に行き着けない方の泊まるところは…などなど、問題山積で事務局の皆様は情報収集に奔走なさっていました。こうしたとき、一座の中には時刻表と首っ引きで独走なさる方もおいでですが、昨2004年2月の八戸-札幌移動を思い出しましても、多少の不自由はありましょうが、本隊と一緒に行動した方が無理がないと私は考えております。したがいまして、「嫁入りの晩。あなた任せ」で、きちんと舞台を勤め、降りてきた時点の状況で適切な行動に従うことにしました。

 2回公演の合間にはお天気もすぐれませんので出かけず、「名物」といわれる鰻を出前でお願いしまして皆でいただきました。この日、鰻屋さんは楽屋への出前に大忙しで、品切れになったのではないでしょうか。きっと閉店後ご家族で、「今日はよく売れたねえ…」とよろこびあわれたことと思います。われわれ竹本は「上」を注文しましたが、相部屋の清元の皆様は「特上」でありまして、胆焼きが別に付いていました。

 心配された台風上陸も進路が変わり、当初の予定通り私どもは帰京の途につくことができました。三島から品川まで新幹線でなんと35分…。「ちょっとそこまで」という感覚です。これから毎日「通い」といわれる自宅通勤で、これはこれでまたたいへんですが、洗濯の苦労などからは解放されます。先日の宇都宮からの帰京後、体調を崩しましたので、ようやく声も不充分ながら上向きになってきた現在、注意せねば…。
鰻の写真ばかりで恐れ入ります…
廿四番 板橋(8/1)

 「旅」から帰ってまいりまして、自宅通勤が始まりました。旅中は事務局の仕立ててくれたコースに乗っかっておりましたら難なく移動できますが、自宅通勤となりますと、なじみのない土地へ集合時間までに到着しなければいけないということで、神経をつかいます。こうしたとき、パソコンなり携帯電話なりの『乗換案内』は至極便利で、早く楽に目的地へ至る道順を簡単に調べることができ、重宝しております。また、駅から会館への道のりも会館のホームページによって知ることができ、これも役立っています。

 27日は板橋区立文化会館にて2回公演。私は都営三田線の板橋区役所前で下車して歩いていきましたが、なかなかの炎天で、傘をさして行きました。

 このごろ思うのですが、男の日傘を復活していただきたい。帽子もそれなりに効果がございますが、身体にふりそそぐお天道様をいくぶんやわらげるために、簡単な日陰をつくってくれる日傘は便利だと思います。師匠方のお話では、昔は男も日傘をさしたものだそうで、ただいまですと何か軟弱に感じられますが、私は悪いことではないと思います。そう思いますので、折りたたみの傘を堂々とさして歩いております。6月中に巡業用に日傘はないかと探しましたが、ありませんでした。女性用の晴雨兼用は多数ございますが、男性用はない…。こんなこと申しましてなんですが、どうもデパートなどの傘売り場を見ておりますと、傘のメーカーは研究不足に思えます。センスのよいものも少ないし、もっともっと改良してもいいのにと思われる製品が主流です。安価な製品が多い今日、たとえ高価であっても、それに見合った機能を備えた品揃えを展開してくれたらうれしいのですが…。たとえば折りたたみ式なら、折りたたみであっても広げるとかなりの幅を持ち、A4のファイルと同寸で書類鞄にも収納しやすく、きわめて軽量。もちろん晴雨兼用。広げるときも畳むときもワンタッチ。くだらないブランドのロゴなど入らず、色調もおだやか…。なんですか狂言の『末広がり』のようになってきました。どなたか開発してくださいませんかねぇ…。

 だいたいにおいて揚幕には、劇場の紋章「座紋」が染め抜かれておりますが、ご当地板橋は区のマークでありましょうか、カタカナで「イタ」と抱くように中央に丸くなっておりまして、その周りを「ハ」が4つ(つまり「シ」ですね)放射状に囲んでおります。ちょうど花道での瀬尾と仁惣太のやりとりのとき気が付きまして、そのあと~\逸足(いちあし)…」というオクリを語るのに、間違えて~\板橋ィ…」と言わないようにしなきゃ…とひとりで面白がっておりました。写真に撮っておけばよかった…。合間の時間には、大山の商店街を楽しく歩きました。商品の品揃えがおもしろく、荒物屋さんにねずみ取りがたくさん置かれ、100円ショップでもねずみ取りシートが売れている…。ねずみの多い土地柄なのでしょうか。たまたま腹巻がワゴンに並んでいましたので、白と洗い替えに薄いピンクのものを求めました。寝るときにお腹を冷やさないよう用心用心。

 楽屋へ帰りますと、松竹演劇部のプロデューサーがお見えで、今回のお役をねぎらってくださいました。毎日私のサイトをご覧になっているそうで、現場の松竹の方に電話で訊くよりよく解るとお褒めいただきました。また、私が不注意から風邪をひき、声の不調で苦しんでいる記事を読むたびに、「無理をお願いして申し訳なかった…」と思われたそうです。しばらく歓談。
大山商店街のワゴン 夕陽

 お役を勤め、荷物をまとめていますと、楽屋の外はきれいな夕陽が沈みかけるところでした。だいぶ声も復調してきましたので、帰りは三田で下車し、行きつけのお店で生ビールをいただき帰宅。
廿五番 越谷(8/1)

 28日越谷市民ホールは、はじめて伺いました。

 とくに書こうと思うこともなく、あっさりかたづけるようですが、他意はございません。
廿六番 厚木(8/1)

 29日は厚木市文化会館で1回公演。新宿より小田急線の「ロマンスカー」に乗り本厚木下車。子供のころ初めてロマンスカーに乗ったとき、とても豪勢な感じがいたしました。何しろ名前からして「ロマンス」というのですから…。宅からは新宿に出ないで横浜から廻った方が厚木まで近いようですが、ひさしぶりにロマンスカーに乗りたいがために新宿経由で行きました。乗ってみまして、…別段どうということもなかった。しかし、いい名前ですね、ロマンスカー。
ロマンスカー 重厚な厚木の会館

 楽屋には成田屋の古参のお弟子、市川升之丞丈がおいででした。新派で活躍された市川翠扇丈のお父様の新之助丈からのお弟子だそうですから、ずいぶんと古い。「升さん」と旦那方から頼りにされ、親しまれていました。こちらから通勤なさっておいででしたが、ご子息が「もうたいへんだから悠々自適にしなさいよ」ということで、数年前に引退なさいました。なかなかできないことです。90歳を越えた今日、こうしてお元気で訪ねていらっしゃるというのは、たいへんおめでたいことでございます。私もいくつまでこの仕事をできるかわかりませんが、倅にそう言って欲しいものです。いやいや倅をあてにしてはいけない…。

 帰りはロマンスカーでなく、相鉄線の現実カーで帰りました。
廿七番 大船(8/1)

 30日は鎌倉芸術館で2回公演。「鎌倉」というのに大船下車。合間に鎌倉を見物…という距離ではございません。

 昔の松竹大船撮影所の跡地が、ただいまの鎌倉芸術館・イトーヨーカドー・鎌倉女子大なのだそうで、交差点に「松竹前」や橋の名に「松竹大通橋」などの名残がございます。私は映画に詳しくございませんので、とくに感興が湧くということもございませんでしたが、小津監督のファンの方などたまらないと思います。行きつけだったという洋食屋もございます。
立派ですねえ…

たまにはセピアで…
「松竹前」交差点
「木」の下に「公」で「松」の異体字
松竹大通橋(1935年架橋)

 「もう明日は千穐楽で、ゆっくり食事もできませんから、ガイドブックでさがした海鮮丼がおいしいというお店にお付き合い願えますか…」と道太夫氏・岬輔氏を合間の時間にお誘いしました。宏太郎氏は横浜在住のご両親がおいででそちらに…。『味匠』というお店でいただきましたが、あと5分早く入店したらランチタイムの値段で1500円。しかし時すでに夜のメニューの時間で2500円。それなりに入っているものが違うということなので、臆せず注文しました。お店の方のお話では、11月に2勘太郎丈・2七之助丈の巡業が来るそうで、もう切符を入手されたとのこと。竹本連中の地の舞踊が3本あるそうですが、11月は各座に芝居が明き、人ができるかしらんと心配です。

 2回の公演を終え、明日は千穐楽なのですが、「いよいよ千穐楽!」ということもなく淡々と帰宅。
廿八番 相模原(8/1)

 公文協東コースは、7月31日相模原市市民会館の2回公演をもって千穐楽と相成りました。各地で「完売」を記録し、舞台の方も一座故障なく、結構なことでございました。公演地28ヶ所、公演日数29日、公演回数53回…。
各地の當祝

 これだけ過酷な巡業であります。その苦から放たれる千穐楽。さぞ快いものかと当初は思いましたが、さてその場に臨みますと、それほどでもない…。何かまだ「勤め上げて」いないという感覚なのです。つまり、同様の一座で8月30日初日の公文協西コースが待ちかまえているので、気が許せないということでございましょう。それとは別に、この一座が私ども竹本連中のお仲間・他流の皆様・俳優さんや裏方の皆様、どなたも気分のいい皆様ばかりで楽しく、名残惜しいこともございます。

 この月は「ぼやかない稽古」を自分の心の中でいたしておりましたので、淡々と千穐楽を迎えられましたのは、そのせいもあるかもしれません。なにしろたいへんなのは明白なのだから、それをたいへんと思わない方が身体のためで、極力弱音を吐いたり、ぼやいたりを控えようと出立の前に思いました。「巡礼」という意識も、いわゆる「おしごと」でしたらぼやきたくなりますが、「信心」となりますと自制できるので、この行程を乗り切るのによかったと思います。ものは思いようで、これはこの月のお役に限らず、つねひごろの暮らしでも同じことだなと思います。私はとくに宗教に帰依しておりませんが、なんでしょうか、「畏れる」気持ちはたいせつだなと思います。

 このサイトの『つねひごろ』ですが、当月はこちらの『今月のお役』が主となり、一度も書きませんでした。それにしても、われながらよく更新しました。ご覧くださる方も常の月の倍ほどございまして、さまざまなご感想を頂戴し、励みになりました。また、体調を崩しました折にはあたたかいお声をかけていただきましたことを御礼申し上げます。

 11海老蔵丈とは、このところ舞台と、すんでからのご挨拶しか接点がございませんでしたが、どうも舞台で伺っておりますとセリフに工夫を加えておいでのようでした。私は直接存じ上げませんが、おじいさまの11團十郎丈に声の質やハコビなどとても似ていらして、おじいさまをご存じのご見物には懐かしく思われたのではないでしょうか。もっともご本人にそういう意識がおありなのかどうかは伺いませんでしたが…。

 6市蔵丈が先年襲名ご披露で瀬尾をお勤めの際、ご参考に文楽の山城少掾師の録音を差し上げました。その録音を6市蔵丈が11海老蔵丈にお聞かせしたら、「おもしろい。これで瀬尾をやってよ」と言われたそうで、6市蔵丈は千穐楽を間近にしながら、晩年関西で3寿海丈の相手をなさっていた澤村訥子(とっし)丈の録音も参考にしながら、勉強し直されたようです。

 11海老蔵丈は次の西コースまで、なにも仕事を入れずに休養をお取りになるそうですが、研究熱心なお方ですので、また更に練った、花も実もある実盛を見せてくださることでございましょう。私も千穐楽に「反省用」の録音をしましたので、頭を冷やしてから自分への駄目出しをしまして、また新たな思いで西コースへ参加いたしたく存じます。