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2004年3月
3/4 そんなものかなぁ…
3/27 6歌右衛門丈の三年祭
そんなものかなぁ…(3/4)

 お蔭をもちまして日々公私とも楽しく過ごさせていただいておりますが、時として「そんなものかなぁ…」と心がさびしくなる事態がございます。

 たとえばあるメディアの取材を受けまして、その後掲載紙も送られて来なければ、担当の記者から「先日は…」でもないというようなこと。まあ、先様にしてみましたら「採りあげてあげたのだから」と逆にこちらから「先日はありがとうございました」というひとことが欲しいのかもしれませんが、これはいかがなものかと思います。私は別段メディアに乗せて自身を売り出そうとも思いませんし、またそういうことは歌舞伎義太夫の「分」としてすべきではないと考えます。ですからこのサイトも「自分のまとめ」をご興味のある方に「よろしければ」ご覧いただくという姿勢で、リンク等は先様からご希望があれば、どうぞよろしくお願い申し上げますとは申しますが、こちらから希望するということはございません。別段お高くとまっているわけではございませんが、それが私ども職分の姿勢と心得ます。

 本日、宅におりましたら電話がございまして、「サイトを見ました」という女性の声。電話番号は私の近所の町会の役員さんから聞いたとのこと。役員さんが私の電話番号を知らすということも、ただいまの「個人情報」の常識からいたしますといかがなものかと思われます。私は住所とメールアドレスはサイトに掲載しておりますので、大概の方はお手紙なり、メールなりでご感想をくださいます。サイトをご覧になるくらいならメールという手段もありましょうにと思いました。その女性は「近所にこういう人がいるということを知り電話した」ということなのですが、何をおっしゃりたいのか判らない。またご自分の姓名も名乗らない。私は申し訳ないが歌舞伎座に続き、国立劇場の初日も明けて、自宅でほっとくつろいでお酒も入っておりましたので、「お名前もおっしゃらないのでは失礼します」と電話を切ってしまいました。先様は不愉快でありましたろうが、私も実に不愉快でありました。なんですかこういうことが世間の常識となりましたらば、「人と人とのキャッチボール」は成り立たなくなるのではと危惧いたします。

 私どもの業界でも、大なり小なり「そんなものかなぁ…」がございます。「時代が変わった」と申せばそれまでですが、伝統芸能の場合、「うけとり、てわたす」という一大事が困難になってきつつあります。

 「そんなものかなぁ…」は、私どもに限らず、世間のゆゆしき大事と思うのですが…。
6歌右衛門丈の三年祭(3/27)

 本27日、4梅玉・2魁春ご兄弟が、ご父君6歌右衛門丈三年祭の午餐会を催されました。数ならぬ私までご招待を賜り出席いたしました。

 会場は東京會舘でありまして、ワンちゃんを従えて満面の笑みの6歌右衛門丈の遺影にまず献花。着席のビュッフェ形式のお食事で、私は一門の名題のお弟子さん、狂言作者の竹柴正二様、衣裳・床山のチーフ、大向こうの田中様とご一緒の卓でした。なにか「身内」のお席で、うれしく思いました。はじめに4梅玉丈が「父は堅苦しいことは嫌いだったので、皆様をわずらわして叱られるかもしれませんが…」とご挨拶。司会者も頼まず、4梅玉丈自ら司会進行をなさいました。永山松竹会長のご挨拶がございまして、2又五郎丈の献杯のご発声。そしてお食事歓談。なかばに6歌右衛門丈のアフリカ旅行ビデオが映写されました。お開きの前に7芝翫丈のご挨拶。始終ほのぼのとした雰囲気の結構な会でありました。

 永山会長は京都の大学で経済の勉強をなさっておいでのころ、激変する世相に驚き、世の中変わることのないものはないのか…、と歌舞伎の仕事を志されたそうです。松竹入社にあたって大谷竹次郎会長に正直を旨とし、「役者にへつらってはいけない」、「芝居者になるな」と諭されたお話は興味深くうかがいました。吉右衛門劇団の担当になり、6歌右衛門丈と数多くのお仕事をなさいましたが、6歌右衛門丈が国内にいようが国外どんなところに行こうが、ちっとも変わらないということに感心なさったそうです。隣席の歌江丈もうなずきながら聞いておいででした。当時8福助のご子息に4梅玉襲名をあるパーティの席でもちかけたところ、物事に動じない6歌右衛門丈が、このときばかりはいささか動揺されたそうです。ご挨拶の中に「成駒屋さんは完璧な方でした」ということが幾度か繰り返されました。白鸚・2松緑・17勘三郎・7梅幸・6歌右衛門といった皆様と一緒に歩んでこられたしあわせを感じておいでとともに、現在の俳優さんが、こうした皆様とちょっと違うのが時代の流れかもしれないが、お気にかかる昨今だそうです。

 2又五郎丈はかくしゃくとして、発言も明瞭でうれしい限りであります。「藤雄さん」の思い出として、2又五郎丈が兵役にとられ、いよいよ出征の列車の窓を叩く人がいる、ふと見ると6歌右衛門丈で「けっして死んじゃだめよ」とお守りをくれた、今でもたいせつに持っている…という秘話をご披露なさいました。「私は88歳になりますが、もうじきそちらへ行きます。藤雄さん、そのときはよろしく!」と元気に合掌してしめくくられました。たいへん会場の空気が和みました。

 お食事になりまして、隣席の歌江丈といろいろなお話をさせていただきました。いつも歌江丈はいろいろなお話を聞かせてくださいます。
▼「おまえね、上野に酒悦っていう店があってね、そこの福神漬けがおいしいんだよ」、「旦那、今でもあります」、「そうかいあすこのはおいしいねぇ…」というので買っていらしてカレーに添えて召し上がったそうな。
▼以前にも書きましたが、「湯島の丸赤の鮭の粕漬けが食べたいから、お前買ってきておくれよ」、お手伝いさんが「旦那様、玉川の高島屋にも出ています」、「イエ!やはり本店は違うんだよ…」。
▼賭け事がお好きで、お若い頃は芝居に出ずっぱりなのに、夜明かしするくらい花札を楽しまれたそうです。ふだんしんどそうにしている若手に、「お前なんだい!あたしなんか夜明かししたって道成寺を踊っていたんだよ!」。あまり夜中のお給仕がたいへんなので歌江丈は辞めさせていただきたいと申し出たこともあったそうです。

 6歌右衛門丈のアフリカ旅行ビデオは、亡くなられた大久保マネージャーが撮影されたもので、6歌右衛門・4梅玉・2魁春ご一家、5富十郎丈、5勘九郎丈(当時15歳)、戸部銀作先生、先代の市川先生(医師)という一行のようすが収められています。無声の8ミリフィルムですので4梅玉丈が弁士となり、ときおり5富十郎丈に当時の事情の確認などなさりながら、楽しく進行しました。おもしろいのは6歌右衛門丈がアフリカ旅行なのに白のワイシャツにネクタイ・ジャケット着用といういでたちで、4梅玉丈も「アフリカなのにねぇ…」と苦笑しておいででした。煙草を吸っていらっしゃるシーンでは「あっ、煙草を吸っていますね。もっと早く止めりゃあよかったんですが…」と、なかなか楽しい解説でありました。

 締めの7芝翫丈は、「なによりも4梅玉・2魁春兄弟が仲良しなのがすばらしい。これからの兄弟、一門をどうぞよろしく」、と結ばれました。

 帰りの地下鉄で小山観翁先生とご一緒しましたが、「たいへん結構な会でございましたな…」とおっしゃっておいででした。ほんとうに終始心温まる楽しく上品な会で、6歌右衛門丈もさぞかしよろこんでおいでであろうと拝察いたします。4梅玉丈が先年のご葬儀のときの、「父は上等な人でした」というおことばが耳に残っております。上等な人…。
『しのぶ草』は京都清水の金平糖