![]() 2004年4月 |
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| 今朝の夢(4/14) 今朝ほど夢を見ました。と、申しましても、時おり見ますなかでも、鮮烈な印象の夢でございました。 内容は、3猿之助丈と食事をご一緒するというものでありまして、ただいまの時節、感慨深いものがございました。 先ほど、本日の新聞報道(朝日新聞夕刊)を見ておりまして、33年間連続していた7月歌舞伎座の3猿之助丈奮闘公演を休演なさるということを知りました。私もそのうち23年は連続して出していただきましただけにいささか思うものがございます。 今朝の夢は、何か大寄せの着席のパーティがございまして、私も招待されてまいりましたところ、一番上席に3席の空きがあり、そこに座るべしという状況。やむなくそのなかでも末座に着席しますと、主席には海外の方がお座りになった。しかし、しばらくすると、なぜか3猿之助丈に変わっておりまして、私はひさびさのご対面ですからうれしくなり、軽井沢で稽古の後にお夕食を頂戴するときのように、いろいろとお話をしました。3猿之助丈もてきぱきと快活にお答えくださいました。そこは夢の中でございまして、具体的な会話は憶えておりませんが、3猿之助丈に直接、「旦那、お体の具合が私どもには詳しく判りませんので、たいへん心配しております」というようなことを申し上げますと、3猿之助丈は立て板に水、という調子で活き活きと近況をおっしゃられます。そして譜代のお弟子、寿猿丈が一生懸命しゃべられるのをにこやかに聞いていらっしゃいます。まもなくお食事もお開きとなりまして、2階へ昇っていらっしゃいますと、3猿之助丈に付き添われている藤間紫先生が、「葵さん、この絵はどういう絵なの?」と壁に掛けられている油絵の画題を私にお訊きになられます。私は訊かれたものの、よく判りませんので、「さあ…。私には判りかねますが…」とお答えしました。そこで目覚まし時計のアラームが鳴りまして、ハイ!それまで…となりました。床の中で、あまりにもありありと見た夢なので、メモに残しておこうかと思ったほどでございました。 そこへ、本日の報道…。 皆様ご承知のごとく、私は3猿之助丈に若年から見出されまして、周囲の反対を押し切ってまで起用していただきました。大恩がございます。今回発病後、2月の全国公演で復帰、3月から療養のため休演。その後の経過が気にかかっております。あまりいろいろな方にお会いになられないそうですが、文字通り「静養」のため、隔離なさっておいでと私は推察しております。先日ある幹部俳優さんからも「どうなの?」と訊かれましたが、なんともお答えの仕様がなく、またお客様にも同様に申し上げております。たいへんなごひいきのご見物をお持ちだったお方だけに、皆々様のご心配は察して余りあります。長期的視野のもとに療養なさっておいでのようですが、これまで大奮闘なさってきた舞台活動、またそれにつれて大きくしてきた猿之助一座のことを考えますと、関係の皆様方は、それぞれご心配なことと存じます。 私が芝居に入りましたころ、「猿之助が40歳になった」というような見出しで新聞記事が出たことがございました。同じころ、「60歳になったら俳優は辞めて、演出家になりたい」というような談話も記憶しております。別に60歳を過ぎたからといって、俳優をお辞めになられなくてもよろしいかと思いますが、もっともっと「俳優」3猿之助丈を拝見し、また、いつもの熱のこもった芝居作りに参加させていただきたく思います。 どうか、どうか、皆様のもとに3猿之助丈の笑顔が一日も早く再び咲きこぼれますようにと、願わずにはおられません。 |
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| 今年のお花見(4/15) 桜もあらかた散りまして、ただいまは八重桜が盛りとなりました。今年は気温の差が激しく、「満開か…」と思うと、雨になったり冷え込んだりで、もうひとつはっきりしないうちに、散っていってしまったような感じがいたします。 私は思い立ちまして、歌舞伎座の役を終えてから地下鉄日比谷線(東京メトロと改まったのですね…)に乗り、中目黒にでかけました。目黒川沿いの桜が見事だと以前から伺っておりましたので、期待してまいりました。この目黒川が海に出ようという品川の辺を私は通勤電車で毎日通過しております。その辺は以前歩いたことがございます。
★読者の方からメールで御教示いただきまして、この絵は鏑木清方画伯の『目黒の栢莚』(国立近代美術館蔵)と判りました。ありがとうございました。
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| 俳優祭の『にらみ』(4/29) ご案内の通りこの27日、日本俳優協会主催の第33回『俳優祭』が歌舞伎座で行われました。 私もときどきこの催しをお手伝いさせていただきます。考えてみますと、「まともな」舞台の竹本を勤めたことはなく、『ベルサイユのばら』『白雪姫』『浪底親睦会』『タイタニック』など異色のものばかり。今度はまともな…と思った野澤松之輔師作曲の『四季:きぬた』は、いざ稽古にかかりましたら、こちらは大まじめに語っておりますが、舞台では9宗十郎丈のゴキブリが毒饅頭を食べて悶死するというありさまでした。 女形の扮装で勤めたことも2度。もちろん自分でできませんから、女形さんにこしらえていただきます。今回も「顔(化粧)をするんですか?」と何人かの方に冷やかされました。正直申しましてあまり好きではないのですが、どうも好んでやっていると誤解されているらしい…。ただ、女形のこしらえは似合うかなと自分で思っていましたが、してみますとやはり岩藤チームの女形で、男顔なのだなと思いました。澤瀉屋の古いお弟子で市川猿三郎丈というお方がおいででしたが、「昔はいじめの官女とか岩藤につく腰元は、どうこしらえても女形になれないような立役が出たものなんです。このごろは皆さん器量がいい」とおっしゃっていました。 『ベルサイユのばら』のときは、宝塚の生徒さんの黒紋付に緑の袴、リボンを付けた鬘をかけた白塗りで、~\パリの都は大騒ぎ!」などと語っておりました。当時児太郎の9福助丈オスカルが踊るのに『さのさ』を唄うのですが、私がそれを知らない…。芸人として何かとても恥じ入り、それから一念発起して俗曲に熱中した時期がございました。このとき3猿之助丈が演出で、「葵さん、退場のときに何かやりながら引っ込んでください」とのご注文。マーチのような曲が流れる中、重松師と山台から降りるのですが、さて何をしたものか…。帰宅して舞踊を稽古している家内に相談しましたら、「持っている扇をザラリと開き、三階席を見込んで、すーっと扇で顔を隠しながら、客席に心残しつつ、さっと引っ込む」という振りを伝授してもらいました。そういわれましても、なかなかできるものではありません。3猿之助丈曰く、「こういう芝居は京屋さん(4雀右衛門丈)のように大まじめでやるか、9宗十郎さんのように無茶苦茶にやるかのどちらかで、照れてはいけません」。そんなわけで『タイタニック』のときは無茶苦茶にやってみました。 さて今回、俳優協会の方から出演依頼を頂戴し、『滑稽俄安宅珍関』で、協会会長の4雀右衛門丈のなさる部分を担当してほしいということでございました。ご体調のかげんのため、結局ご挨拶だけになりましたが、書いてよろしいものかどうか、実を申しますと、当初は常盤御前の扮装で、氷川きよし丈の『ズンドコ節』をなさる予定でした。私はこのような人間ですので、ただいま流行のものはまったく存じません。もし『ズンドコ節』を唄えなどといわれましたら、急遽おぼえなければなりません。台本ができあがるまでドキドキものでございました。そういたしますと、4雀右衛門丈のくだりはご挨拶だけとなり、私どもは一旦預かりになりました。しかし、演出の15仁左衛門丈が、「せっかくだから」ということで、ごくごく短いのですが、「参加することに意義あり」と出演することになりました(私ども竹本は俳優協会会員ではありませんが、「嘱託」ということで名簿に載っております)。今回ははじめの常磐津さんも3分間だけの出演。しかし、脚本を書かれた竹柴徳太朗様から、「はじめに常磐津さんがあると、ずっと洋物の音楽ですが、最後に竹本さんがデーンとくると歌舞伎に戻っていいですね」といわれました。また、舞台に向かう階段を降りてまいりますと、ある俳優さんの付き人の女性から、「あっ!初めてまともな人に逢いました」といわれました。廊下に立っていらっしゃると、通る方通る方皆様異様な扮装なので、私どものように「いつもの」こしらえで歩いていると、かえって珍しいとのこと…。 標題の「にらみ」から、いつ新・海老蔵丈の話になるのか、お待ちかねと存じます。いずれNHKの中継で委細はご覧いただけると存じますが、珍関通行の『浅草パラダイス』一行に呼ばれて、新・海老蔵丈が登場、襲名のご挨拶をなさいます。稽古中も当日昼の部も、ご挨拶があって、15仁左衛門丈の富樫から「なにか一芸を」といわれますと、「5月・6月の襲名興行をご見物のほどを…」「入場料少し安くならんか?」というやりとりがあり退場という段取りでした。しかし夜の部は「どうしても一芸を」とご見物席まで一緒になってのご所望で、やむなく「父に教わってきた『にらみ』をやります」と黒紋付袴姿でなさいました。襲名披露興行に先立ち、いわゆる「素」の姿での『にらみ』。「ものがないな…」と三方に巻物の用意がない点は、握り拳で代用なさり、立派にツケの打ち上げとともに、にらまれました。私は御簾内で待機していながら、この光景を拝見したのですが、舞台、ご見物席ともに得も言われぬ気が発しておりまして、涙が出てまいりました。お顔は見えませんでしたが、5勘九郎丈も感激なさっておいでではなかったかと思われました。古来、「成田屋ににらんでもらうと厄除けになる」といわれておりますが、これがそうなのだなと思いました。『御霊信仰』とかむずかしいことは、私わかりませんが、「期待する」「信じる」ご見物と、それに応える「随市川」の成田屋。見事な新・海老蔵丈が出現したとうれしい限りでした。今、こうして思い返してみましても、そのときの感激がよみがえってまいります。
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