■ コラム / 多摩湖と狭山湖 (歴 史)■
多摩湖、狭山湖の正式名称は、それぞれ村山上貯水池・下貯水池、山口貯水池と言います。
多摩湖(村山貯水池)は大正13年3月竣工の西側の上貯水池と、昭和2年3月竣工の東側の下貯水池という、
上下二段式となっています。
わが国の近代水道の父と呼ばれる工学博士中島鋭冶博士の調査・設計により、
狭山丘陵の東村山地区にある三方が丘陵に囲まれた谷地を利用して
多摩川から導いた水を貯めるために建設されました。
その事から、村山貯水池堰堤付近には中島博士の頌徳碑があります。
狭山湖(山口貯水池)は関東大震災後の東京の復興と人口増加から、
急遽多摩湖の隣に多摩湖の規模を上回る建設計画を立て、
第二期工事として昭和9年3月に竣工しています。
これらの湖(貯水池)は多摩川の水を羽村-村山線という地下導管によって羽村取水所第三水門から多摩湖(村山貯水池)へ送水し、
狭山湖(山口貯水池)には小作取水所から山口線で送水し、
貯えられた貯水池の水は取水塔から取水され、
村山-境線という送水管で東村山浄水場と境浄水場へ送水されています。
因みに、村山-境線の上に狭山・境緑道の自転車道、
羽村-村山線の一部が野山北公園自転車道となっています。
さて、この湖の名称ですが、なぜ村山上貯水池・下貯水池を多摩湖、
山口貯水池を狭山湖と呼ぶようになったのか?
明確な答えと言えるかどうか分かりませんが、
鉄道会社が観光価値をあげようと貯水池を湖と呼ぼうとした事が始まりのようです。
そのため、現在でも両方の呼び方で呼ばれ続けています。
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