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〜道草のススメ〜
 
狭山公園 
◆狭山公園  ◆多摩湖と狭山湖  ◆たっちゃん池
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◆狭山公園◆
多摩湖(村山貯水池)の堰堤の東側に広がる起伏の多い公園で、面積は24haに及んでいます。  堰堤の上からは、東側に狭山公園、南側に雄大な貯水池を中心とする周囲の景色が一望にでき、 春の花見をはじめ、小学校の遠足、マラソン大会など訪れる人の多い公園です。  一帯は古代遺跡の地で、鏃などの石器が、発掘されています。
なお、この公園は境浄水場までの全長10.2kmに及ぶ狭山・境緑道、 さらに、多摩湖を周回する全長約10.2kmに及ぶ多摩湖周遊路の起点となっています。 また、八国山緑地、トトロの森2号地、荒幡富士市民の森を巡る、丘陵東巡りの起点ともなっています。
交 通 ◎西武多摩湖線「西武遊園地」下車 徒歩3分
◎西武多摩湖線「武蔵大和」下車 徒歩3分

■ コラム / 多摩湖と狭山湖 (歴 史)■
多摩湖、狭山湖の正式名称は、それぞれ村山上貯水池・下貯水池、山口貯水池と言います。
多摩湖(村山貯水池)は大正13年3月竣工の西側の上貯水池と、昭和2年3月竣工の東側の下貯水池という、 上下二段式となっています。 わが国の近代水道の父と呼ばれる工学博士中島鋭冶博士の調査・設計により、 狭山丘陵の東村山地区にある三方が丘陵に囲まれた谷地を利用して 多摩川から導いた水を貯めるために建設されました。 その事から、村山貯水池堰堤付近には中島博士の頌徳碑があります。
狭山湖(山口貯水池)は関東大震災後の東京の復興と人口増加から、 急遽多摩湖の隣に多摩湖の規模を上回る建設計画を立て、 第二期工事として昭和9年3月に竣工しています。
これらの湖(貯水池)は多摩川の水を羽村-村山線という地下導管によって羽村取水所第三水門から多摩湖(村山貯水池)へ送水し、 狭山湖(山口貯水池)には小作取水所から山口線で送水し、 貯えられた貯水池の水は取水塔から取水され、 村山-境線という送水管で東村山浄水場と境浄水場へ送水されています。 因みに、村山-境線の上に狭山・境緑道の自転車道、 羽村-村山線の一部が野山北公園自転車道となっています。
さて、この湖の名称ですが、なぜ村山上貯水池・下貯水池を多摩湖、 山口貯水池を狭山湖と呼ぶようになったのか? 明確な答えと言えるかどうか分かりませんが、 鉄道会社が観光価値をあげようと貯水池を湖と呼ぼうとした事が始まりのようです。 そのため、現在でも両方の呼び方で呼ばれ続けています。
多摩湖堰堤からの多摩湖 狭山公園 中島鋭治博士の頌徳碑
多摩湖堰堤からの多摩湖 狭山公園 中島鋭治博士の頌徳碑
狭山公園、堰堤下 狭山公園 たっちゃん池
狭山公園、堰堤下 狭山公園 たっちゃん池
■コラム / たっちゃん池(心霊スポット)■
狭山公園の中に『たっちゃん池』と呼ばれている池がある。(正式には『宅部の貯池』と言うらしい)
この池で、貯水工事の真っ只中の頃「たちゃん」と言う小学生が溺れ、 それを助けようとした貯水工事の青年監督官2人が溺れたたっちゃんを助けに池に飛び込んだが3人とも溺れ死んでしまい、 溺れ死んだ3人の死体が沈んだまま浮かび上がらなかったという話がある。 そしてそれ以来、月明かりの中この池に行くと池から手が伸びて来て池に引き込もうとし、 一旦池に引き込まれたら二度と浮かび上がって来られないと言う。

(でも本当のところは、しばらくして池の東北の水底から3人の遺体を発見した、と言う事だ)

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