氷室冴子の視線


中学生くらいのころ、コバルト文庫などの少女小説をよく読んでいましたが、その中で一番好きな作家のひとりが氷室冴子でした。私がもっと大きくなってからは、彼女が一般小説やエッセイも書くようになっているのを知り、エッセイを私は好んで読むようになりました。

彼女のエッセイの中で、小説を書くということに関して、印象深い記述があります。著書『いもうと物語』について語ったときのものです。


この書いた時期というのがポイントで、今となっては過剰反応だったかなとも思うけれども、ともかく世の中のあまりのバブルぶりに絶望しちゃって、日々、ごく単純なことで傷ついていたわけです。

で傷ついた自分を回復するというか、自分のなかの原風景を確認してみたい、それによって自分自身を癒したいという気持ちが強くなっていて、それで書いたのが『いもうと物語』(新潮文庫)です。

いまの自分につづく感覚、モノゴトの価値判断とか、なにを良いと思い、なにを許せないと思うか。なにを大切だと思う、なにをイヤだと思うか。ひとりの人間の、世の中や現実との関係のとり方の原型みたいなもの。そういったものを探っていくと、十歳前後にたどりついてゆく。

小学生なんて、しょせん獣から毛が抜けたようなもので、まっとうな一人前の人間じゃないのだけれど、それでも小学四年生か、五年生かというのはけっこう重要で、どっちにするか一週間くらい考えました。

小学五年生になると、より人間に近くなって、友人関係や、親や先生(大人)との関係が、かなり生臭くなってくる。世界との体感的な親密感が失せていくというか、より人間界の住人になっていく時期だから、それを避けて小学四年生に設定しました。まだ嗅覚とか皮膚感覚がかろうじて残っている年齢、学齢ということで。

だから作中のチヅルはなかば彼女自身の神話のなかで生きていて、彼女を全的に祝福してくれている神々の世界から、少しずつ人間界に足を踏みいれていく過程の物語だったりもするわけです。おそるおそるだったり、なにも考えていなかったり、ワクワクしていたり、泣きながらだったりと、それはその状況によってさまざまですが。

この小説を書いている間じゅう、考えていたのは祝福することだけでした。作中のチヅルちゃんや、彼女が関わってゆく人々を祝福すること。その幸福、このさき彼女の前にひろがってゆく未来が、彼女や彼女がかかわる人々にとって優しいものであってほしいと祈る気持ち。

結局のところ、世界や人生はそういうものばかりじゃないと知っている中年にさしかかった人間が、祝福や祈りをもって書いたという意味では、すごく真摯な小説だな―と自画自賛してしまう。すくなくとも書くことで、私自身も癒されていました。

でも小説を書くっていうのは、究極のところ祝福すること、祈ること、それに尽きるんじゃないかとも思います。

人が生まれ落ちて、生きて、成長していくなかで、世界がその人にとって、もっとも優しくて美しい時期を書きたかったし、書いている間じゅう幸福でした。
(『ホンの幸せ』(集英社)より)


「小説を書くことは祝福すること」この言葉は核心をついてるな〜と思いました。私は別に小説家じゃないですが。この「小説を書くこと」の部分は「創ること」と言いかえてもいいと思います。絵を描いたり、彫刻をつくったり、作曲をしたり、歌ったり、楽器を演奏したり、この世にはさまざまな創作家がいます。それらの作業はみんな祝福すること、祈ることと言えるんじゃないかなあと、私は思います。

もうひとつ、彼女の人柄をあらわす印象深い記述が小説『恋する女たち』(コバルト文庫)の中で主人公たちが交わす会話であらわされています。


「自分が何者かの内にいて、生まれてきてもいいですかと尋ねたら、誰かがいいですよと言ってくれた。だからこんにちはと言いながら生まれてきたのだとしたら、こんな素敵なことはない。自分の誕生を、誰かが両腕を広げていいですよと言って祝福してくれる。待ち望んでくれる。そして自分はこんにちはという気軽で美しい、そのくせおよそ社会的な言葉を口にして出て来る。人間がほんとにそんなふうに生まれてくるのなら、いいね」
(略)
「この人はずいぶんと優しい眼差しで人間を見ている人だ、こんにちはと言って生まれてきたかったと願ってるし、トントンと扉を叩いて現れた人に対しては両手を広げていいですよと言いたいと思っている人だ」

海がきこえる氷室冴子のエッセイを読んでいると、エッセイの中でも、やさしい眼差しで人間を見ている人をよしとし、そうした人を賞賛していることが伝わってくるのですが、私は彼女こそがそういう人なんだと思うのです。

友情や好きなものや大事なものに対する愛情が彼女の文章には溢れている。そこに見られるものは、人生を愛して生きていこうとする姿勢です。私が氷室冴子のエッセイを読むようになってこの人が好きだな〜と思ったのは、そういう点においてでした。彼女の視線に共感したんです。私もそうなのよ、というよりは、私もそう生きたいと思ってるのよ、という共感の仕方ですが。

今後またさらにすばらしいものをつくりあげてほしいと期待する作家です。
2001.6.13.


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