「牡蠣の森を慕う会」代表の畠山重篤さんを訪問
| 「牡蠣の森を慕う会」代表の畠山重篤さんを訪問 ガーデンハーモニーでは売上金の一部を、「森は海の恋人」活動で知られる「牡蠣の森を慕う会」に寄付しております。 先日(2006年8月24日)、「牡蠣の森を慕う会」代表の畠山重篤さんを訪問しました。 気仙沼市街地から唐桑半島方面に走り、左右に深い森が広がる細い道を海に向かって下っていきます。 しばらく走ると、ぱっと視界が開けます。小さな川の河口付近に、畠山さんが代表を務める養殖場があります。 そこは「まさに楽園!」息を呑む景色が広がっていました。 松島(日本三景)にも劣らぬ海辺の景観、海を渡ってくる心地良い風、海に迫る木々の葉が風に揺れ、葉音をたてています。 ブルー?コバルト色?エメラルド色?・・・なんとも言葉にできない色をした海を覗けば、海水は透明で底が見えます。 そこには、カニなどの小動物、小魚が戯れています。近所の子供も遊んでいます。 懐かしいような、ほっとするような・・・あの感覚は何だったのでしょう。 しかしこの海も、昭和40年〜50年代にかけて気仙沼湾の環境が悪化し、 赤潮が発生し醤油を流したような茶色の海となったこともあるのです。 その状況から上流地域の植林活動が始まり、その努力が実を結んだ、生き返った海なのです。 そんな事は全く想像できない楽園のような世界で話は弾み、あっと言う間に3時間。楽しい一時を過ごすことができました。 温かく穏やかなお人柄から発せられる言葉は、豊富な知識と深い見識を土台とした、多岐に渡るものでした。 「森は海の恋人運動」から始まったお話は、地球温暖化を止める具体的な方法、複雑な化学、牡蠣のあれこれ、政治経済、詩歌、教育、文化論・・・と カテゴリー分けするのがナンセンスに感じてしまうような、新鮮なお話ばかりでした。 よく経営や人材育成の話の中で、「スペシャリストを育てるか?ゼネラリストを育てるか?」といった話題が出ますが、 畠山さんとお話していると、「スペシャリストを極めれば、高いレベルのゼネラリストになる」ことが、理解できます。 簡単に表現すれば、「一つの事を突き詰めていくと、結局それに派生した様々なものを吸収して、総合的な人間になる」ということです。 記憶が定かではありませんが、イチロー選手や、青色発光ダイオードの発明で有名な中村修二さんも、同様の事を話していたはずです。 畠山さんが一番強調されていたのは、「森・川・海と分けて考えないこと」というお話です。 森が生き返れば、川が生き返る。川が生き返れば、海が生き返るのです。 「ガーデンハーモニーがなぜこんな団体に寄付するんだ?」といった疑問をお持ちの方も、これで理解できると思います。 「それぞれの住宅に、木1本植えたら・・・」「コンクリートで固めずに、植物を植えたら・・・」 このちょっとした事が、何かにつながっているのです。 「森は海の恋人」活動への寄付金をお渡しするために訪問した私ですが、かけがえのない経験をさせて頂き、 今後のガーデンハーモニーの活動に、益々の意気込みと強い思いを持つことができました。 畠山さん、ありがとうございました。そして、この訪問はガーデンハーモニーのお客様無しにはあり得ないものです。 お客様にも、深くお礼申し上げます。 |
★牡蠣の森を慕う会のホームページ http://www.kakinomori.jp/ 検索サイトで、「畠山重篤」「牡蠣の森を慕う会」「森は海の恋人」などキーワードを入れて検索しますと、 その他にも多くの情報が出てくるはずです。 |
| 畠山重篤 牡蠣の森を慕う会代表 1943(昭和18年)中国生まれ。高校卒業後、牡蠣・帆立の養殖に従事。 家業の傍ら「森は海の恋人」をキャッチフレーズに 気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山へ植樹運動を始める。 また子供達を養殖場に招き、環境教育のための体験学習を行なっている。 「森は海の恋人」運動は、中学校の国語の教科書で採り上げられた。 「森は海の恋人」運動において、朝日森林文化賞(1994) 「みどりの日」自然環境功労者国務大臣環境庁長官表彰(1999) 緑化運動推進功労者内閣総理大臣表彰(2003)を受ける。 2004年には宮沢賢治イーハトーブ賞、河北文化賞受賞。 現在、京都大学フィールド科学教育研究センター教授。 (三菱総研倶楽部2004年10月号、牡蠣の森を慕う会ホームページより抜粋) 著書に 「森は海の恋人」(北斗出版) 「リアスの海辺から」「日本<汽水>紀行」(文藝春秋) 「漁師さんの森づくり」「カキじいさんとしげぼう」★(講談社)等 この秋には、牡蠣に関する話をまとめた興味深い著書が出版予定です。 ★は、ぜひお子さんとお読み下さい! |
| 森は海の恋人運動 気仙沼湾は、三陸リアス式海岸の中央に位置する、波静かな天恵の良湾です。 古くから近海、遠洋漁業の基地として有名です。特にカツオの水揚げは日本一を誇っています。 波静かな入り江は養殖漁場としても優れていて、江戸時代からノリ、大正時代からはカキ、 近頃はワカメやホタテなどの養殖も盛んです。 昭和40年〜50年代にかけて気仙沼湾の環境が悪化してきました。赤潮が発生し湾内は、 まるで醤油を流したような茶色の海となったのです。1個のカキは、呼吸のため1日200リットルもの 海水を吸っています。水と一緒に吸い込んだプランクトンがカキの餌なのです。 プロロセントラルミカンスという赤潮プランクトンを吸ったカキの身が赤くなり、血カキと名付けられたのです。 全く売り物にならず廃棄処分されました。原因は水産加工場から垂れ流される汚水、一般家庭からの雑排水、 農業現場で農薬、除草剤の使用、手入れのされていない針葉樹林からの赤土流出など、多岐に渡っていました。 その上に、気仙沼湾に森の養分を運ぶ大川の河口から僅か8キロ地点にダムの建設計画があったのです。 縦割行政と言われる行政システムは、森川海を別々に考えていました。 牡蠣の漁場は世界中、川が海に注ぐ汽水域に形成されています。 川が運ぶ、森の養分がカキの餌となる植物プランクトンを育んでいるからです。 川の流域に暮らす人々と、価値観を共有しなければ、きれいな海は帰ってこないことを悟りました。 大川上流の室根山に、自然界の母である落葉広葉樹の森を創ろう。 こうして集まった仲間が「牡蠣の森を慕う会」をつくりました。 大川中流域に暮らす歌人の熊谷龍子さんとの出会いにより、森は海の恋人という標題も生まれました。 (牡蠣の森を慕う会ホームページより) 閉じる トップページへ |