原田 洋孝    自己紹介のページ

2001年鈴鹿8耐にて

 私、原田洋孝は姫路獨協大学経済情報学部入学と同時に自動車部に入部したのがきっかけでレースを始めました。それまでただのツーリングライダーだったのが日本グランプリや8耐を見に行くようになって、サーキットを走ってみたいなーと思ったのです。

 車の免許を取ってからバイクの免許を19歳で取りました。それからバイクで公道を走ること1年で当時乗っていた90年式ZXR400でレーサマシンを作り、できたてほやほやのT&Iサーキットを一年走り込みました。当時は一日中走れましたね。

 1992年のデビュー戦は見事に予選落ち、しかし2戦目の雨の日に初めて予選通過しました。それから憶えたての猿のように練習し、1994年の鈴鹿4時間耐久レースに出場、準優勝したのをきっかけに環境がそれまでと変わり、国際ライダーへと駆け上がっていたところに1995年ブレーキトラブルで大クラッシュ、第7胸椎圧迫骨折他、12箇所の骨折で死にかけました。

 本当に三途の河があってみんなこっちを見てる、「これ行ったら死ぬんやんなー」と思って引き返したら目が覚めたんだけど息をしてないのに気がついて慌てて息を吸い込んだ。 今でも和式で大便ができない足になってしまった。 

 なのに1996年無謀にも自己資金のみで8耐に参戦したが、0.7秒足らずで予選落ち。主催者推薦枠で走るべく嘆願書を提出したが、ビッグスポンサーが付いてないとかで却下、結局借金返済の為に8耐マシンを売る羽目になってしまった。

 あまりにも報われないので嫌気がさし、少しレース界から離れることを決意。実家の理容院を継ぐため専門学校に通った。

 1年ぐらいしてから「ハーレーのワンメイクレースにでーへんか?乗るだけでいいから」という誘いで乗ることに。イベント型レースというものをはじめて経験したことで「わし、レース好きやねん」ということを再認識させてもらった。

ハーレーという走らんバイクを愛し、限界まで攻めるハーレーライダー達に原点を教わった。楽しんでレース活動を再開するために積み立て貯金をした。

 ようやく貯まったので2000年預金を全部引き出しZX9Rを購入し、マシンをノーマルから大きく外れることなくX−formura仕様に製作し全日本デビューをT&Iで果たした。けつから数えた方が速いが、全日本の雰囲気を満喫している。

 そして2001年ついに96年のリベンジとして世界選手権鈴鹿8時間耐久レースを予選50番手で通過、決勝28位で完走した。

2003年から全日本選手権にフル参戦するようになって沢山の方々から応援していただけるようになりなにかバイクやレース界に貢献できないものかと思い2005年春に本業の散髪屋の一部を改装してオートバイ用品(主にスポンサー様の商品)を置くようになりました。不思議と散髪中にも会話が広がっています。

 楽しんでレースができるようになってから色々な業界の方々が応援してくださるようになった。本当にありがたい話です。これから自分も楽しみながら皆様に感動を届けれたらと思います。それからオートバイファンが増えますように。



主な戦歴
1992年 SP400レースデビュー
1994年 鈴鹿4耐準優勝シリーズランキング鈴鹿3位、T&I 2位
1995年 鈴鹿4耐5位、美祢3耐優勝、シリーズランキング鈴鹿5位、T&I 1位、美祢2位
1996年 国際ライセンス昇格、鈴鹿8耐参戦
2000年 ウエストエリア選手権、全日本選手権T&Iのみ参戦
2001年 ウエストエリアランキング2位、全日本選手権鈴鹿、T&I参戦 S−NK13位、鈴鹿8耐27位
2002年 ウエストエリアランキング3位、全日本選手権ランキング38位、鈴鹿8耐49位
2003年 全日本選手権ランキングJSBクラス24位、鈴鹿8耐47位
2004年 全日本選手権ランキングJSBクラス38位 、鈴鹿8耐141週目リタイヤ

                     


2003年全日本選手権筑波にて

スポンサー各位(順不同)
株式会社オージーケー販売(ヘルメット) 株式会社住友ゴム工業(タイヤ)
株式会社アールケーエキセル(チェーン・ブレーキパッド) ジニアス(レーシングスーツ)
カワサキモータースジャパン メカボックス
ダスキンマリンピア(ウエス) JAPEX(ガエルネブーツ)
BITO-R&D DESIGN FACTORY
全国理容生活衛生同業組合連合会 和ダイニングざっこく
姫路獨協大学同窓会 オートクラブ尾崎
KENSO(ステルススプロケット) クレバーウルフ(カウル、スクリーン)
テクノイルジャポン(MOTUL OIL) 大西石油
Wood Stock 斎明寺鉄筋
NTEC