弘仁の昔、弘法大師が高野山開創にあたって、苦修練行された聖地で、内の八葉の一つ「遍照ヶ峰」の「遍照ヶ岡」に建立されています。
大師がこの地で修業された時、不思議と四囲が光明に輝き、香気林に満ち、摩訶毘慮遮那如来如意宝生の三昧を体得されました。故に遍照ヶ岡と名づけられ、この地のご本尊両界大日如来の本院が建立され、その名もお大師様のご宝号のままの遍照尊院と称されました。
江戸時代には、津軽家との檀縁深く、その関係文献画像も数多く残されています。
その後、明治25年の大火で焼失しましたが、昭和9年の弘法大師御入定1100年ご遠忌を記念して再興に取り掛かり、50年を経て現在に至っております。 |
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できの良い子があぶない!
紀州の名物といえば、南部の南高梅、思い出しただけでも口の中に唾液が“ジワッ”ときます。我々の年代となればそれが普通、当たり前だと信じてきたきらいがあります。しかし、味わったことのない物には、想像つかないのも道理です。だとすれば、逆にものごとを実感させることによって、その応用の幅も広がるというものです。
「可愛い子に旅をさせよ」は、そのことを物語っています。
成長期という吸い取り紙の様な時期に、何を与え、どう教え込んでおくか。人間としても基礎をしっかりと培っておくことは必要ではないでしょうか。
近頃ではどうでしょう。親が子に、子が親に暴力を振るって殺人まで犯してしまう。はたまた仲間同士の抗争も過激さを増している。敵対グループとまちがわれ死傷事件にまで到っています。また「いじめ」の陰湿さがきわまりないようです。
話はオーバーなようですが、中学校の先生ともなると、落ち着いて黒板に向かっていられないそうです。背後からいつ何が飛んでくるかわからないからだそうです。
学校は学校、家庭は家庭、社会は社会と三権分立のように教育を明確に分担できるならそれにこしたことはないのですが、現実の社会を見ると、それは 絵に描いた餅に等しいようです。
どうも日本の社会は、タライ回しがお好きなようで、どちらかといえば学校教育に、よりシワ寄せが及んでいます。
その学校もみずから手を染める事には抵抗があるようで、日本の政界や経済界に似て、御多分にもれずツケがまわってきてからの「お詫び会見」問題の先送りに終始しています。
日本の社会は、あらためて「義務教育」をみなおす時期にきているのでは・・・。義務だから教えるのでも、育てるのでもないのです。やがてはこの国や社会を担う国民としての義務が果たせる人間の育成、その意識が、今日の大人社会に欠落しているように思えるのです。
では、ここで一句
「志望校、親と教師の値ぶみ合い」
「偏差値」などという「ヘンな差をつける数値」ばかりを一人歩きさせた結果、その子の個性とか特性を顧みない風潮を生んでしまっています。
その行きついたさきはどうでしょう。鶏の絵を描かせれば足を三本描く先生がいたり、ある有名女子高にいたっては、お米をとがせれば洗剤を入れて洗ったり、たぬきそばの天カスを、肥料の油カスと混同し植木にやって悦に入っているという、まことに嘆かわしいまつであります。
人間としての「出来の良い子」とはなにかを、親も教師も再評価すべきです。そうすれば、世の中に「おちこぼれ」など一人もいなくなります。
小学館 高野山の四季 永坂嘉光氏 写真集より引用
合掌
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