博多ロータリークラブ概要


創立 1980年(昭和55年)4月15日
RI承認 1980年(昭和55年)5月20日
例会日 毎週火曜日 12:30分
例会場 ソラリア西鉄ホテル
福岡市中央区天神2丁目2-43
092-752-5555
事務所 毎日福岡会館8F
福岡市中央区天神1丁目16-1
TEL 092-781-7199 FAX 092-713-6636
メールアドレス:hktrc@helen.ocn.ne.jp

博多ロータリークラブは、博多職人を応援しています。


会報「週報 博多」


博多ロータリークラブの週報は
"博多町人文化の伝統を受け継いでロータリー精神にのっとり、
   地域興隆と国際理解のため会員相互の友愛と親睦を深めましょう。"
をテーマに掲げ、表紙は毎年、博多の文化スポットを一つづつ紹介しています。



2008-2009年度
慶長5年、関ヶ原の軍功で黒田長政が筑前52万石の領主となり、赤坂山の北面、福崎(現在の福岡)の丘陵に築城の縄張りをしたが、立花、名島両城の石垣だけでは不足で、現、南区寺塚界隈、俗に百塚といわれた旧古墳を破壊し、その石を集めていた或る日、長政の夢枕に観音様がお立ちになり、明日は私の存する古墳があばかれるので止めて頂きたいとのお告げがあり、長政は早速破壊を中止、探査したところ、5~6世紀頃の豪族の円墳内に石窟があり、正面に阿弥陀、左右に観音と勢至菩薩の装飾彫刻がされているのを発見。穴観音として黒田家は保存、厚く崇敬し、その保存と管理に補陀山興宗禅寺(曹洞宗永平寺派)を創建され今日に至る。

穴観音古墳
(福岡市南区寺塚 興宗寺境内)

2007-2008年度
大正14年7月、大友方の筑前守城であった岩屋城が島津軍5万余の軍勢に攻められ落城した時、太宰府横岳に在った崇福方も全焼したが、慶長5年、関ケ原合戦により筑前52万石に封じられた黒田氏が博多千代町に臨済宗大徳寺派に属し、横岳山崇福寺として再建、黒田家の菩提寺とされた由縁にて、先の筑前の国主 小早川隆景が築城した名島城の遺構「唐門」を当寺に移築、県重要交化財とされ保存されている。
また、崇福方には福岡城大手門の遺構や楼閣、玄洋社関係者碑や山頭満の墓も在ります。

崇福寺宝・名島城唐門
(県重要文化財)

2006-2007年度
崇福寺は臨済宗の大徳寺派に属する寺院で山号を横岳山といいます。仁治元年(1240)湛慧禅師によって大宰府に創建されましたが、天正14年(1586)の島津氏と大友氏との岩屋城の合戦によって焼失しました。その後、慶長5年(1600)に福岡藩初代藩主黒田長政によって現在地に再建がなされ、黒田家の菩提寺となりました。
長い歴史を有する同寺には多数の貴重な文化財が残されています。まず目前の建造物は福岡城本丸表御門として建立されたもので,大正7年(1918)に陸軍からの払い下げによってこの地へ移設されました。福岡県有形文化財に「崇福々山門」として指定されています。なお当寺には重要文化財としての「名島城の唐門」や「黒田藩主黒田家墓所」や玄洋社に関係する墓碑などがあります。

崇福寺山門
(県重要文化財・福岡城本丸城門)

2005-2006年度
博多中央埠頭の西岸壁に海に向かって立つ巨大なモニュメント「那の津往還」。 平成8年に戦後50周年の節目の年として「敗戦直後の失意とその後湧き興ってきた生への希望を永遠に記念するモニュメント」として製作されました。(豊福知徳 作) 博多港は戦後直後、国内最大級の引揚援護港として、中国東北地区や朝鮮半島より約139万人の人々がこの地に引揚げ、また、在日の朝鮮人・中国人など約50万人の人々がここから故郷へ帰っていきました。こうした博多港の果たした大きな役割を忘れることなく、悲惨な体験を二度と繰り返さないよう次の世代の人々に語り継いでいく、永遠の平和への願いが込められています。

博多港引揚記念碑

2004-2005年度
聖福寺は山号を安国山(通称:安山)寺号を聖福至仁禅寺、開山は千光祖師明庵 栄西禅師です。建久年(1195)源頼朝公により、この地(宋人百堂の遺跡)を賜り、公を開基として創建された日本で最初の禅寺で、後鳥羽上皇より「扶桑最初禅窟」(写真山門の楼上に掲示)の宸筆の扁額が在ります。栄西禅師は二度の渡宋修学され、帰朝に際し「茶」を持ち帰り、境内及び背振山に植茶をし「喫茶養生記」を著し、茶文化の先導的役割を果たした名僧で、始め臨済宗建仁寺派であったが、黒田長政の命により京都妙心寺派に改派し今日に至っている。 秀吉の朝鮮の役に活躍した景轍玄宗や江戸末期の仙涯義梵(和尚)など特に有名な名僧を輩出している博多随一の禅寺である。

史跡 聖福寺