序   章       まさに 「神がかり」 で、 神秘的な 「出逢い」 について

 

 私は、信仰とか宗教といったものに詳しくない。また、特定の団体とも接触していない。しかし、神社に行けば「柏手」をたたき、寺院では「合掌」することに深く疑問を抱いてもいない。だが、森羅万象が神秘的なものであり、科学的でない事象があることを信じている。

 人間の誕生は当然ながら、父と母の「出逢い」からはじまる。それは当然であるが、祖先からの連続したことであり、大昔から普遍的に続いている事柄である。これは小学校から教えられる「国語」「算数」「理科」「社会」の次に重要な事柄として、「出逢いの科学」のような科目として、授業にするべきではないかと思うのです。最近の学校教育では「道徳」の授業が軽視されているように感じているのですが、「道徳」の授業の変わりに「出逢い」の大切さを説く先生がいないものでしょうか?

 さて、まずある「出逢い」の後に父と母がどのようにして子供を授かるを、考えてみます。
 (1)所謂・流行語で言う「出来ちゃった婚」のような場合:
   結果的には、生まれてくるのは子は長男か長女である。(第一子というのが適切であろう)
 (2)人間本来の子孫繁栄のために結婚し、所謂「子作りに励む」という場合:
   基本的には結婚直後から「子供はまだなの?」と言われる。
 (3)前述の両親が所謂:「貧乏人の子沢山」になる場合:
   一人産むと「二人目はいつ?」などと言われつつ、第一子に弟や妹が出来ることを望む。
 (4)前述(1〜3)にあてはまらない、「婚外婚」での出産の場合など。

 父と母が恋愛結婚であろうが見合い結婚であろうが、不倫であろうがその「出逢い」そのものの重要性はさておき、生まれてきた子供の最初の「出逢い」は母であり、助産婦さんであり、父であり、そして第一子以外の子供であれば、両親に続いて兄、姉が最初の「運命的な出逢い」で、重要であることを述べたいのです。こどもにとって、生まれた環境は人生を大きく左右するのは間違いないことです。それは、裕福がいいとか、兄弟が多いほうが楽しいとか、両親が仲睦まじいとか、どちらが良いか悪いかでなく、何らかの形で影響するということなのです。

 ですから、このサイトでの私の「出逢い」への感謝の気持ちは、まず母、父、兄弟の順でかかれなければならないと思います。しかし、読者への配慮も考えて、少し興味をそそるであろう事件やその事件の発端になる「出逢い」について、章を進めたいと思います。

 『なかなか良い「出逢い」に恵まれない』と思ってる適齢期の読者や、『良いご縁があれば・・・』と、適齢期のこどもの結婚を心配するご両親に、是非とも読んで頂きたいと思います。「出逢い」とはどういうことなのか?そして、どれだけ素晴らしく「神秘的」で「運命的」なもので人生にとってかけがえのないものであるかを文章にしたいと思っております。

 なお、私個人の経験的な事柄が多くなりますが、読者にとってわかりやすい表現とするために
フィクションとしておりますので、ご理解頂き不適切と思われる記述はご容赦ください。

 


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