はじめに
黄帝内経をはじめとする中国医学の古典を研究する人は多いが、日本、とりわけ江戸期の鍼灸について語る人はそれほど多くはない。近年、杉山流・石坂流の書籍はいくつか復刻、出版されてはいるが坂井流についてはむしろ知っている人が少ないのではないだろうか。
坂井豊作著『鍼術秘要』の坂井流横刺ノ法は、派手さはないが臨床的にはすぐれた内容をもっている。研究に値する一冊である故、ここに紹介する。湯液の部分については割愛した。
学生の時、糠で鍼の刺入の練習をした方は、この図をみれば「あ〜」と思われるのではないでしょうか。たぶん、ここが出典でしょう。「初学ノ徒。鍼術ヲ習熟セント欲セハ。先ツ深サ二寸五分。差径シニ寸許リノ竹ノ筒ニ。熬リタル糠ヲ。指ニテ固クツメ入レ。一杯ニ充タシテ。其上ヲ絹切レニテ 蓋ヒ包ミ。糸ニテシカトクヽリ。糠ノコボレ出サル様ニシテ。針ヲ刺ストキハ。人ノ肉中ヲ刺スト異ナルコトナシ。而シテ其針ヲ刺ストキ。右手ノ拇指頭ト。食 指頭トニ鍼ノ竜頭ヲ取リ。左手ノ拇指頭ト。食指頭トニテ。鍼ノ鉾ヲ摘ミテ。オシコムヘシ。…」
国立国会図書館の蔵書データによると再刊は次の通りです。
1927.8/阪井鍼療院/慶応紀元乙丑歳新鐫の再刊
1974.8/盛文堂/慶応元年刊の複製
1997.4/オリエント出版社/複製/『臨床実践鍼灸流儀書集成. 第10冊』

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坂井豊作について

坂井豊作(さかいほうさく、1815年〜1878年)加賀の人で号は梅軒という。文化13年、加賀の国大聖寺藩松平備後守の家臣、齊藤家に生まれる。その後、阪井彌十郎號を梅屋の養子となる。武道に於いては達人の域にあり、正神一刀流及び、荒木流その他の流派を極めたとされる。梅軒四十八歳の時、小森頼愛(こもりよりなる)典薬頭の門に入る。小森家所伝の横刺術を研究し、慶応元年(1865年)『鍼術秘要』を著わす。江戸時代後期、鍼科で最も名を顕す者に石坂宗哲(『鍼灸説約』1812年)がいる。
坂井豊作について書かれた著書は少ないが、柳谷素霊著『図説鍼灸実技』には次のように記載がある。毫鍼運用には無管鍼治として経文にある通り、蚊虻の止まるが如く、静かにして徐ろに往くというように刺抜するが、所謂、撚鍼法として伝えられているように静かにひねりて刺入する方法とがある。又、蚊虻刺法ともいうべきものの一変形と見るべきものに、坂井梅軒の横斜鍼法というのがある。梅軒の著「鍼術秘要」に「余が鍼術は直刺を好まず、横刺を善 とす、何となれば、直刺は仮令、鍼の竜頭まで肉中に入るといえども、病経を通過すること一、二分に過ぎざるのみ、是を以つて其の効を取ること甚だ少し、横 刺にするときは鍼の鉾より竜頭まで悉く病経に中る、故に直刺に比すれば其の効十倍すればなり」とあるが、その刺しようは押手の拇示指頭で皮を撮み圧えて、 鍼尖を指頭間に置き刺入する方法で、刺法は霊枢官鍼篇にある。
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