富山教区 極楽寺
住職 内山芳広
住所 富山県高岡市坂下町58
 浄土宗極楽寺由来 




 


富山県には、極楽寺と言う寺で、後醍醐天皇の第八王皇子、宗良親王を開山に勧請した寺院が四か寺あります。また石川県にも二か寺、全国に四十八か寺,末寺を加えれば二百余を数えるといわれております。この意味は、今を去る六百六十年位前、天下が南朝,北朝と分裂した時代に、後醍醐天皇は護良、宗良両親王を次々と、天台座主に就かせ,味方の勢力を固められたので、宗良親王を開山に勧請した寺院が各地にできたのです。
 富山県にも、法親王は興国四年「1343年」から二年程居住されたということです。高岡には博労町にも極楽寺があり,知恩院末で、前鎌倉大仏高徳院住職故佐藤密雄上人の育った安養山守山極楽寺があります.宗良親王を開基と仰ぐ寺院の総元寺とされています。坂下町極楽寺はその分流であって、南朝方の遺臣が宗良法親王を開山に勧請して創立された寺院であることがわかります。今日極楽寺が坂下町に建立されたのは前田藩が高岡へ築城のことがあってから後,慶長末年に富山から寺を移したということです。詳しくは安養山富山極楽寺といいます 宗良親王は、歌人としても有名で、「新葉和歌集」を編集された方であり、御自身にも「梨花集」という優れた歌集があります。 当山では、毎月二十一日を、開山の御命日としています。本堂には高さ六尺程の大厨子に僧形のお木像を安置して「越中八ノ宮佛眼明心法親王尊儀」の位牌とともに、本堂右脇壇におまつりしてあります。
極楽寺第三十四世禅芳上人は、昭和五十五年十月、善導大師千三百年御遠忌記念として、往古、大師が長安の都で実践された、視聴覚伝道に思いを馳せ、大師のみ教えの白眉「二河白道」の譬えを石組で表現したせ石庭を、本堂と書院の間に作庭しました。 右側に青い石、左側に赤い石を組み、水火の二河を、中央に白い砂を敷いて、白道を表現いたしました。 「極楽寺石庭二河白道和讃」を自作し、この和讃を「美しき天然」のメロデイーで歌えるように工夫しました。 この目で見、耳で聞く、視聴覚に働きかける、平易な教化策は、参詣者の心をとらえ、大変好評を博しております。ちなみに、この二河白道の石庭は、全国で三か寺と聞いております。