天應山 神門寺
住所 〒693-0021 島根県出雲市塩治町821
浄土宗神門寺由来
当山は、光仁天皇の勅願所として天応元年(781年)宋肇菩薩によって創建され、この年号をもって山号としている。神門寺というのは、「出雲国風土記」の神門郡の項にある神門臣の造った新造院がこの辺りにあったためかと思われる。(現在本堂の東北に古い塔の礎石がある。)
二世は伝教大師、三世は弘法大師であり、弘法大師がここで「いろは歌」を作られたということから、当山は「いろは寺」とも言われている。以来法嗣は永く密教を厳修していたが、三十八世良空上人が法然上人の専修念仏に帰依して上洛し、七条の袈裟と六字名号を授かって帰り、山陰地方における最初の念仏弘通の霊場となった。その後、京都清浄華院の開山証賢上人(浄土宗三祖良忠上人の門弟)の門弟明照房が来て塩冶氏の外護を受けてから、当山は尼子氏や毛利氏の外護も受けながら、山陰における浄土宗の中心道場となった。(大橋俊雄著「法然と浄土宗教団」による)
その後16世紀から17世紀にかけて、六十九世玄休上人や七十二世定譽上人は寺門の興隆と教勢の拡大に努め、大きな功績があったが、明治から大正・昭和にかけて、宗教大学の教授や浄土宗の執綱(今の宗務総長)を勤め、「選択集講義」「出雲宗要」等の著書もあり、宗門の信望が篤かった勧学桑門秀我正僧正は、当山の八十六世である。現在は八十九世神谷隆秀僧正であり、1200年の法灯が歴代住職の努力により連綿と受け継がれている。
神門寺の文化財
○ 阿弥陀如来座像
○ 脇侍2体
○ 地蔵菩薩立像
○ 尊円法親王筆和漢朗詠集2巻
○ 朝英筆和漢朗詠集2巻
○ 秀蓮筆和漢朗詠集1巻
○ 朝英筆庭訓往来
○ 青蓮院尊道法親王筆新札2巻
○ 初期寺院趾古瓦多数
○ 建武三年九月「出雲守国宣」他古文書多数