米寿のお祝いの集まり
11月3日は毎年田丸研の出身者「田丸会」の集まる日であるが2010年は
私の数えでの「米寿」に当たるので、私がこれまで研究室を持った横浜国 大、東京大学、東京理科大学の卒業生たちが「田丸先生の米寿を祝う会」 を神田学士会館で開催された。実に80人の大きい集まりで、中には関西 辺はいうまでもなく、札幌など遠くから集まってくれた。東大の堂免一成教
授、川合真紀教授が世話役として下働きをしてくれた。 会は堂免君が司会して岩澤君の挨拶から始まり、卒業生たちが入れ替
わり挨拶をしてくれた。中にはJSTの理事長の北澤宏一君や、翌日文化功 労者の栄を受ける中西準子さんも入っていた。私にも挨拶を、ということ で、用意していた文章を大体それに従って話をした。(添付資料 1) その後で食事をしながら、(私はほとんど何も食べる暇がなかったが)一
人一人との挨拶に追われたが、昔の懐かしい時に戻って本当に元気にな れて、とても楽しい一時であった。私は研究室の中で学生、院生といつも 楽しく研究に励み不愉快なことは微塵もなかったし、私の一番嬉しかった のは私の研究室から実に異例なほど沢山の人材が生まれたことであっ た。大学教授だけでも30人を超える数であり、京大、阪大、東工大、北大、 筑波大などなど、東京大学でも実に8人(留学生も入れると9人)、しかもそ の過半は初め東大以外に就職させていたのに就職先で素晴らしい研究成 果を上げ、東大に招かれていることである。勿論その他にも、理研、国立、 私立研究所、企業などで優れた成果を上げており、一人一人会いながら彼 らが自信と誇りに満ち満ちている実感が伝わってきて非常に嬉しかった。 私一つの研究室から紫綬褒章を貰った人が4人、今度は文化功労者も出 た。一つの研究室からこんなに沢山の逸材を生んだ試しは到底あり得な い。正に「教師冥利に尽きる」思いであったのである。本当に幸せな人生に 恵まれ、感謝、感謝である。 当日の内祝いとして、1924年にHaber夫妻が鎌倉の田丸家を訪れた折
の写真と、額縁、さらにその写真の説明書(添付資料 2)を配った。本当に 亡き父が知ったらとても喜んでくれる会でもあったし、幸せで楽しく嬉しかっ た一時でもあった。 (2010年11月8日) 資料 1
米寿の会でのご挨拶
この度は私の米寿の会ということで皆さん沢山よく来て頂き有難うございま
した。折角のお休みでもありますし、しかも中には随分と遠くからもわざわ ざ来て頂いた方も少なくなく、本当に嬉しくかつ恐縮を致しております。私が 長生きしているために却って皆さんのご迷惑をおかけしているのではない かと申し訳なく気になっております。しかし親しい皆さんのお元気にご活躍 なされている様子を拝見し、皆さん一人一人、素晴らしい方々と師弟のつ ながりを持つ幸せにめぐり会い、本当に嬉しく幸せに思っております。有難 うございます。私も老い先短い身ですし、何時お迎えが来ても不思議でな い身ではありますが、今日皆さんとこうしてお会いでき、一人、一人懐かし い思い出があるだけに、元気が出て、正に文字通り「教師冥利に尽きる」 思いです。 よく「歳には勝てない」と申しますが、誰でもそうですが特に歳をとるほどに
一年一年着実に老化していくことは避けられません。私は昨年右ひざの手 術をして人工関節に致しました。ひざが痛くて歩けないと全身が老衰して来 る感じがしますので思い切って手術を致しました。お蔭さまでヨタヨタながら 歩けるようになり毎日努めて八千歩位歩いています。家が山の中で街まで 散歩や買い物など郵便局、市役所などまで往復すると五千歩位、後は家 の中でごみ出しなど雑用などで三千歩余りになります。唯今度は反対側の 左ひざが怪しくなってきますので杖をついて歩くようにしています。歳をとる といろいろ出て来ますが、八十歳の時前立腺のガンも見つかりまして、手 術の話もありましたが、国立がんセンターの名誉総長の杉村隆先生にお伺 いしましたら、「ナニ、切ることはないよ、天皇陛下の主治医に紹介しましょ う」ということで、それ以来国立がんセンターでホルモン注射をしながら今年 で6年になります。不整脈もありますし、何時お迎えが来ても不思議でない 身ではありますが、この歳ながら一人暮らしで、年ごとにますます何事をす るにも億劫になって辛くなって参りつつありますが、一人だけの辛い暮らし も却ってアンチエイジングになって、いいのではないかと自分に言い聞かせ ております。唯何時何が起こりますか一人でいますと心細いこともあります が、これからも着実に歳をとりますのでどうなりますか、なるようにしかなら ないと思っています。毎日が、ああ今日もどうにか元気でおれた、と感謝し ながら辛い毎日をどうにか頑張っている状態です。 今日は私が研究室を持たせて頂いた横浜国立大学、東京大学、さらには
東京理科大学など皆さん揃って来ていただきとても嬉しく、この機会に皆さ ん同志比較的似た分野でのご活躍のことでもありますし、大学、研究所、 企業、などなど是非この機会に皆さん同志よく知りあって田丸研出身者とし て仲良く助け合い、頑張って頂きたく、よろしくお願い申し上げます。特に嬉 しういのは皆さん非常に立派に活発に活躍しておられ大変に重要な貢献を されていることです。例えば今回横浜で研究室に来て下さった中西準子さ んが文化功労者に選ばれたこともあります。大学教授も三十人を超えるご 活躍で、研究所、企業などで立派に業績を上げておられるご様子は本当に 見ていて楽しみです。 最後にこれからのことですが、これからますます激しく変化するイノベイショ
ンの時代になりますが、これからの激しい時代をリードするのは皆さんの知 恵によるしかありません。私は口癖のように皆さんに申して来ました。「折 角いい頭をお持ちなのですからよく考えるよう、頭は使うほどよくなるもので す」と。私の最初の頃の卒業生で、近藤保君という人がいました。東大教 授をして定年になってから豊田工大に移りクラスターについて大変に優れ た研究をし、世界的にも認められてフンボルト賞を受賞しました。残念なが ら昨年亡くなってしまいましたが、今年彼を偲ぶ会で奥さんの和子さんが言 っていました。血液のガンで最後息も絶え絶えになりながら、「よく考えて仕 事をしなさい。・・もう一度考えてごらんなさい」と最後まで田丸研の家訓を 口にしながら亡くなったとのことを聞いて感無量でした。先日聞きましたが アメリカの先端企業のIBM の社訓も「考えろ、 「think 」ということで各人の 机の上に「think」 と書いた文鎮が置かれているそうですし、使うボールペ ンにも小さく「think IBM」と書いてありました。誰でも自分は考えているとは 思うものですが、その上一段と「考えに考えて」更にいい知恵を出すように してイノベイションの激しく変わる時代を乗り切って下さい。くれぐれも健康 に注意されて元気に大いに頑張って下さり立派な業績を上げて下さいます よう、皆さんのますますのご健康とご発展を祈り上げ、厚く御礼申し上げま す。今日は本当に有難うございました。 資料 2
写真の説明
1924年にHaber 夫妻が来日して鎌倉の田丸家を訪問した時の写真であ
る。母の腕の中にいるのが謙二であるが、この家で生まれて以来、87年 間、甲斐性がないので同じ家に住んでいる。Haber夫妻が訪れたのは関東 大震災の翌年であったので、丸太棒で余震に備えて家を支えている様子 が分かる。Haber はこの6年前に「空気からパンを作った」というアンモニア 合成の功績により、ノーベル化学賞を受賞している。父はKarlsruhe にい たHaber の研究室に留学してアンモニア合成に「死ぬほど働く」といわれる ほど尽力した。そのため、Haber がBerlin の Kaiser Wilhelm 研究所(現 在の Fritz Haber Institut) の新設に伴い、その所長に就任した際、父も 招かれて一緒にBerlinに移り合計6年間Haberと共に働いた。しかし、191 4年に第一次世界大戦が勃発し、日独が敵対関係になったために、アメリ カ経由で帰国した。アメリカでは高峰譲吉さんと知り合いそれが縁で一緒 に理研の設立に尽力した。理研の化学研究所はその当時、世界最先端の 欧州の研究所を手本として、父が全て設計をしたのである。理研の主任研 究員となった父は、その後東京工業大学や日本学術振興会の設立に貢献 した。 Fritz Haber Institut は2011年に創立百年のお祝いをする予定である。三
年前には所長であったG. Ertl 教授が固体触媒表面の物理化学分野にお ける貢献でノーベル化学賞を受賞し、触媒化学・表面化学の分野におい て、Fritz Haber Institutは依然、世界をリードする研究所として君臨してい る。謙二もしばしば滞在をしている。 また、謙二の長女の大山秀子の旦那の大山茂生(が昨年フンボルト賞を
受賞した際、Fritz Haber Institut に招かれて半年間滞在しており、田丸 家は三代にわたりFritz Haber Institut と強い繋がりを持っている。亡き父 がこのことを知ったらどんなに喜んでくれたことであろうか。来年の創立百 年のお祝いには向こうから旅費も出してくれるとのことであるし、私も是非 とも出席したいと今からとても楽しみにしている。(11,04,24) ![]() 御挨拶中の姿
![]() 中西準子さんと大山秀子と
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