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支部教文ニュース 2001.10.16
〈1時間目〉
茨木のり子さんの長編詩「りゅうりぇんれんの物語」。朗読するだけで30分という詩。集中が持続しない今の生徒たちは耐えられるかな、と心配しな がら読み始めました。
いつもだと前の席の子にちょっかいをかけるY君も、はじめの内そわそわしていたK君も次第にこの詩の持つ力に引き込まれて いきました。
読み終えると、じっと活字を追っていた生徒たちは静かなため息とともに目を上げます。そっと紙を配り、感想を綴ってもらうとこの時間は 終わります。 「劉連仁さんが見つかったとき、彼の身分を明かすために協力した日本人がたくさんいたことはうれしかった。」 「なぜ、『華人労務者移入方針』なんてひどい案を出した商工大臣が戦後に総理大臣なんかになれるんだろう。こんな事をやった人が総理大臣になっ たら、またこういう人達のことなんかわかってくれない同じような世の中になってしまうのに。」〈2時間目〉
前時の感想を数人紹介してから、「華人労務者移入方針」「東条内閣」など、資料に基づいて確認していきました。
帰国を前にした劉連仁さんのもとに、岸内閣の官房長官である愛知揆一氏から届いた手紙があります。その手紙を読み、気のついた事を発表して もらいました。
「”入国され、明治鉱業に入られ…“なんて、これじゃあまるで劉連仁さんが自分から来たくて来たみたいだ。」 「全体を通して、この手紙には ”気の毒“とかは書いてあるけど、あやまっている言葉がひとつもない」 「本当だ!全然あやまっていない!」
こういう政府の姿勢に対し、国民の中から、政府は劉連仁さんに対して責任をとるべきだという声が起こり、国会でも野党が追及したこと、しかし、 岸首相は「資料がないので事実がわからない。」の一点張りだったことを話し、ところが、「もう残っていない」とされていた資料が、93年5月に発見さ れ、宮沢首相が事実を認めたことを説明しました。
96年3月、劉連仁さんは日本政府に謝罪と賠償を求める裁判を起こしました。来日した劉連仁さんにお会いした時の話をし、やはり、その時お会い した、中国での「うさぎ狩り」に関わった元日本兵矢崎新二さん(渋谷の戦争展の中心メンバーのお一人)の生き方について話しました。〈3時間目〉
この時間は、劉連仁さんの事件と裁判についてのNHKのビデオ「劉連仁〜54年目の証言〜」を観ました。故郷の草泊村で麦畑の雑草を抜く劉連 仁さん……美しい映像とていねいな取材で、普通の農民をこれほど苦しめた強制連行という事実の重みを伝えるすぐれた作品です。〈おわりに〉
今年、この授業を行った5月は、劉連仁さんの裁判の判決を2カ月後に控えていました。4月以来、新聞記事のスクラップの課題を時々出していま すので、この裁判の判決の記事も課題に出しました。こんな感想を書いた生徒がいました。
「まさか、こんなに大きく載るなんてビックリしました。お父さんが『誰?』と聞いたので、社会でもらったプリントを見せていろいろと話しました。でも、 本当に良かった!!記事を切るとき、しみじみと読んでしまいました。『劉連仁さんが生きていれば、もっと喜べたかもしれないなあ』とも思いました。そこ が残念です。記事にも『国の責任を改めて問い直すきっかけ』とあるので、これからの日本がどんどん変わっていくかも知れないのが結構楽しみで す!」
(注…国の控訴により、この裁判は、まだ続いています)
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