畦地梅太郎記念美術館

 畦地梅太郎記念美術館は、平成15年7月19日、畦地画伯の生まれ故郷、愛媛県三間町に新しくオープンしました。畦地梅太郎は1902年、愛媛県北宇和郡二名村(現在の三間町)に生まれ、1999年 96歳の生涯を閉じた版画家です。10代で上京して油絵を独習、やがて創作版画家として全国の山々や山男をモチーフに独自の世界を確立します。生あるものすべてに愛の眼差しを注いだ梅太郎の詩情豊かな版画作品は国内外の多くの人に高く評価され、親しまれています。また、その人柄から生まれた優しさとぬくもりのある随筆集も多くの愛読者をもっています。1976年には日本版画協会の名誉会員となり、1986年には三間町名誉町民に、1998年には町田市名誉市民になりました。
 畦地芸術の魅力について、町田市立国際版画美術館の河野実氏は次のように述べておられます。
 「版画家畦地梅太郎は、情感あふれる『山』『山男』を描き続けた作家としてよく知られている。畦地が描く『山』『山男』シリーズの作品は、私たちを和ませてくれるばかりか、優しく私たちを包んでくれる。しかし、畦地が描く『山』『山男』の中には凝縮されている強い意思表示がある。それは人として生きていく中で係わってきた社会との間に横たわる矛盾を封じ込めているということである。そしてそれを直截的に感じさせず、詩情豊かに描ききっているところに畦地の人柄と畦地芸術の魅力があるといえる。」
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直線上に配置
白い像 1958年  畦地梅太郎
阿蘇山 1940年 畦地梅太郎
902年 愛媛県に生まれる                         
1920年 上京する
1922年 日本美術学院油絵の通信教育を受講する。七星会を結成する。
1926年 内閣印刷局に勤務し、鉛版による版画を試みる。
       平塚運一に師事する。
1927年 日本創作版画協会第7回展に出品し入選。
       恩地孝四郎の指導を受ける。内閣印刷局を辞し、版画家になるこ とを決意する。
1928年 春陽会第6回展、国画創作協会第7回展に出品し入選。
1930年 第2回内国美術展覧会に出品し、国際賞を受賞。
       第11回帝展に出品し入選
1932年 日本版画協会会員となる。
1935年 版画集「伊予風景」制作のため、伊予の各地を巡る。
1937年 国画会第12回展に出品し、国画奨学賞を受賞。
1940年 国画会15回展に出品し、国画奨学賞を受賞。
1943年 東北アジア文化振興会の要請で中国に赴く(翌年帰国)
1944年 国画会会員となる。(1971年退会)
1948年 日本版画協会第16回展に出品し、H賞を受賞。
1949年 日本山岳協会会員となる。
1953年 第2回サンパウロ・ビエンナーレに出品。
1956年 第4回ルガノ国際版画ビエンナーレに出品。
1957年 第1回東京国際版画ビエンナーレに出品。
       第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品。
1960年 第2回東京国際版画ビエンナーレに出品。
1962年 第3回東京国際版画ビエンナーレに出品。
1967年 近代日本の版画展に出品。
1973年 畦地梅太郎<とぼとぼ50年>展が愛媛県立美術館で開催される。
1976年 日本版画協会名誉会員となる。
1979年 とぼとぼ60年・畦地梅太郎版画展が銀座、ミキモトホールで開催される
1982年 畦地梅太郎山岳版画展が大町山岳博物館で開催される。
1983年 畦地梅太郎版画展が町田市立博物館で開催される。
1985年 愛媛県教育文化賞、愛媛新聞社賞を受賞。
       畦地梅太郎展が愛媛県立美術館で開催される。
       畦地梅太郎版画展が須坂市立博物館で開催される。
1986年 三間町名誉町民となる。
1987年 畦地梅太郎版画展が町田市立国際版画美術館で開催される。
1988年 南海放送サンパーク美術館・畦地梅太郎記念美術館開館。
       畦地梅太郎展が新宿、小田急百貨店で開催される。
1991年 畦地梅太郎版画展が町田市立国際版画美術館で開催される。
1998年 町田市名誉市民となる。
1999年 「とぼとぼ96年」畦地梅太郎展が南海放送サンパーク美術館で開催される。
1999年 4月12日 逝去


宇和島市ホームページの「公共施設」などから
「畦地梅太郎記念美術館・井関邦三郎記念館」
を開いてみてください。
畦地梅太郎 (あぜち うめたろう)                

棟方志功

大原美術館所蔵作品による
えひめ南予いやし博2012プレイベント
畦地梅太郎記念美術館特別展
2012年3月24日(土) 〜 5月6日(日)