津軽三味線のお話
流しの芸人たちが発展させた津軽三線
知られざる−人の天才が、”女の三味線芸を津軽三味線へと発展させました。彼の名は神原の仁太坊。明治初期、津軽をさまよう盲目の門付芸人だった仁太坊は、祭や縁日の喧騒の中で耳目を引こうと、あえて太棹と大きなバチを用い、叩きつけるような激しさで弾きまくったのです。荒々しさの中に繊細な音色を秘めた奏法が人々の心を強く揺さぶり、弟子筋にあたる梅田梅月、白川軍八郎などのすぐれた才能もあって、津軽三味線独自の也界がかたちづくられました。その素晴らしさは、梅田の孫弟子・高橋竹山や、白川の弟子・三橋美智也などによって全国に紹介され、現代の若い人々にも支持されています。