神津島の伝説

神津島に残る伝説、風習、言い伝えなどを紹介します。
昔の人は疫病、災害や飢饉などの時には神頼みしかなく、それを信じて崇拝し、子孫に伝えていったものと思います。
これは島だけではなく、昔の日本人全ての人にあった心だと思います。神津島にも古くから伝わるものがあります。
神津島は古くから先祖を大事にする島で、お墓はいつ見ても綺麗な花と真っ白な浜の砂が敷いてあり、島人の信仰心、敬心をうかがえます。
神話の水配り

神代の昔、事代主命と神々によって伊豆七島が造られた後、その真中にある神津島で島々 の神々が集まり会議が開かれました。 場所は天上山山頂の火口跡の不入が沢。
会議の一番大事な議題は、命の源である「水」をどのように配分するかでした。
 そして討議の結果、翌朝先着順に分ける 事に決まりました。
翌朝一番早く来たのは、 御蔵島の神様。そのため御蔵島は最も 多くの水を手に入れる事が出来ました。次に現れたのが新島の神様、3番目は八丈島、4番目は三宅島、5番目は大島でした。 こうして次々に水が配られ 水はどんどんなくなっていきます。 
そんなところに最後に寝坊してやってきたのは利島の神様。既に水は殆ど残っていない状態でした。 これを見た利島の神様は怒り、僅かに水が 残っていた池に飛び込んで暴れ回りました。水は四方に飛び散りお陰で神津島ではいたるところで水が沸きでるようになったと言われています。

不入が沢は今でも足を踏み入れてはいけない
 神聖な場所になっています。

神津島 水配り像

神津島 水配り像

神津島 水配り像
二十五日様(にじゅうごにちさま)

  神津島では旧層1月23日から26日までの4日間を『二十五日様』と称して特に24、25日の2日間は昔から村中の人々が一切の仕事を休み、昼間海に出たり山畑に行くとたたりがあるといわれ、また、夜間外に出るとその家に凶事が起こると恐れられ、日没前から雨戸を堅く閉ざし明かりを消して静かに床に入り、就寝するという風習があります。昔から続く風習で、今でも2日間は仕事が休みになります。この『二十五日様』とは・・・・ この行事の起源は各島で異なっているようですが一説では伊豆大島で昔、苛酷な年貢の取立てに来た代官一行を若者25名が皆殺しにし、フネで島々を南下、それを追って代官一行の亡霊が各島々へやってきましたが島人は祟りを恐れて若者達を助けませんでした。若者達は三宅島へ逃げる途中、遭難して亡霊となって毎年この両日助けなかった島へ復讐にやってくるので島々でこの風習が行われるようになったということです。

 
神津島お地蔵様
長浜祭り 阿波命神社境内(あわのみことじんじゃ)
 この島を創造したと伝えられる阿波命(アワノミコト)をまつる神社の例祭です。
当日は、仕事も学校も休みとなり、家族揃って参拝し、長浜海岸での磯遊びやバーベキューを楽しみます。
長浜は「五色浜」とも呼ばれ、浜には色とりどりの石があります。これは神様の物なので、綺麗だからといって持ち帰ったりすると、罰が当たると伝えられています。参拝は長浜の手頃な平たい石に砂を積んで、鳥居に置いてから参拝します。
神津島 阿波命神社

神津島 阿波命神社

黒曜石(こくようせき)

神津島の岩肌には黒曜石の地層が黒光りしており、前浜海岸沖の恩馳島海底や多幸湾の岩肌に沢山の黒曜石が見られます。
石器材料としても使われた黒曜石は、ガラス質の流紋岩に分類されます。
流紋岩の火山は伊豆諸島では珍しく、新島と神津島だけにみられます。
 長野県 八ヶ岳 野辺山高原 矢出川遺跡から出土した黒曜石細石刃石核を蛍光X線による産地分析をした結果、神津島産の黒曜石でできていることが判明しました。
なぜ、200kmもの距離をおいて、野辺山の地まで神津島の黒曜石が運ばれたのでしょう。当時は氷河期で100m以上の海面低下が起きていたとしても、神津島と本土は陸続きにはならず、舟でなくては渡れません。ここに最大のミステリーがあります。

 
神津島 黒曜石
えんま洞

神津港から温泉方面に向かって歩いていくと、途中の岩山に小さい洞窟があり、えんま洞と呼ばれ、中には珍しい笑っているえんま様の石蔵があります。
いつぐらいにできたのかは不明です。
村内の道や、山道などにもお地蔵様(猿田彦大神)は多く見られます。これは悪鬼や疫病、不漁不作など禍を防いで、村に足を入れた人々を護っています。 雨にも、風邪にもひるむことなく不平不満も言わず、暑さ寒さもいとわず見守ってくれています。 
猿田彦大神は、村内26ヶ所に祀ってあります。
ちょっと立ち止まって、日本古来の田舎の良さを感じてください。

神津島 えんま洞
恩馳島(おんばせじま)
神津島の前浜海岸沖合いには恩馳島という無人島があります。この島の周りは好漁場で、神津島の漁師は昔からこの島の恵みを受けています。台風の時はこの島を見て、島に白波がかぶっている時は台風が近づき海が荒れ、白波がない時は台風は近づかず逸れると昔から云われており、今でも信頼できる昔からの言い伝えです。
神津島 恩馳島
漁船祭り

神津島独自のお祭りです。
先ずご神前で祭式を奉仕した後、前浜港内・神木島の竜神宮へ徒歩で参拝に向かいますがお神酒、お米の他に紫陽花の葉12枚重ねの上にお米、ご飯、おダンゴ、刺身7切れを載せたものを献饌し拝礼後、撤饌された紫陽花の葉の上のものは葉と共に海に流されます。本社の御神前にも同じように紫陽花の葉と共に刺身等が献げられますが何故刺身が七切れで葉が十二枚なのかはわかりません。海に暮らす漁師にとって神社はとても大事なもので、漁がない時は祈願にいき、漁があった時はお礼参りに行きます。

神津島 龍神様
おたあジュリア(アリマ展望台)
神津島の前浜港からビーチを見て右上の丘に目をやると大きな十字架が見えます。ここはアリマ展望台という“おたあジュリア“の碑です。
その昔、豊臣秀吉による朝鮮出兵での孤児を哀れに思ったキリシタン大名小西行長は日本に連れて帰り、霊名“おたあ・ジュリア”と名付け大事に育てました。その後徳川家康との戦で敗戦し、おたあジュリアは行長の生家薬問屋で勤め、大奥に勤め、キリシタン廃止令により島流しの刑になり、神津島に流れ着いたのです。神津島では村人と共に働き、薬の知識を活用し、読み書きを島人に教え、村人と共に幸せに尊ばれ、生涯を閉じました。
村内の交番と郵便局の間に流人墓地があります。今でも花が絶えず、綺麗に整備されています。婦人が具合が悪くなったら、そこに眠るジュリアの墓(宝塔様)の触れ、痛いところをその手でさすると痛みが無くなると言われています。
毎年5月にはジュリア祭が催され、韓国からも大勢のクリスチャンの方が来島されます。
神津島 アリマ展望台
延命山 濤響寺(とうこうじ)
神津島唯一のお寺、濤響寺(とうこうじ)。島内のほとんど家がこの寺の檀家で、毎日熱心な檀信徒が朝に夕に参拝しています。本堂にまつられる本尊阿弥陀如来にはちょっとしたいわれがあり、十夜に生まれて十夜に亡くなったという通称「十五夜婆」が、夢枕に立つ阿弥陀さまからお告げを受けたという。「明日の朝多幸湾に三躰の仏像が流れ着く…」。年代は定かではないが、当時の檀家である「十五夜婆」がお告げのとおり妹を連れて浜に行ってみると、確かに三躰の仏像が横たわっていたという。そのうちの一番大きな阿弥陀如来を菩提寺にまつり、残りの2躰を妹と家に持ちかえり仏壇にまつった。現在も両家の本尊として先祖を守っています。
神津島のお寺は、毎日がお盆かのように、綺麗な花が添えられ、真っ白な砂が敷き詰められており、その信仰の深さと綺麗さに訪れる方々はみんなびくりしています。
神津島 お寺

神津島 お寺
物忌奈命神社(ものいみなみことじんじゃ)
「因幡の白兎」の主人公で、天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)に「国譲り」をしたと伝えられている大国主命(おおくにぬしのみこと、大黒様と混同されますが違います)のご長男が三島大社の御祭神・事代主命(ことしろぬしのみこと)でございます。伊豆・三島地区をはじめ伊豆七島も治めていたこの神のご長男が物忌奈命、神津島の鎮守様。 島の東側の多幸湾に小さなお社の御祭神・日向命はその弟君です。島の北西部・長浜海岸には両神の母君すなわち事代主命の正后である阿波命が
鎮座されておりますが他島に住む第二・第三のお后に悋気し、他の島々にある装飾のための美しい石を長浜海岸に集めたという伝説があるようにたいへん美しい海岸です。この他にも恩馳島、祇苗島(いずれも無人島)などにもお社が御座います。
神津島 物忌奈命神社

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