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今日のえらい人は長野オリンピックほかで活躍された、もと複合競技選手の荻原次晴さんです
今回は3/13に行われた講演会の際のお話です。
ガチンコ対談したかったなあ(哀
きっかけは実に些細な事ながら
双子といえども兄(健児さん)は長男でしたから、おまえは大黒柱なんだからしっかりしろよ、と。ボクは次男だったのでオマエはカワイイねーで育ったわけです。ですので兄は勤勉でマジメ、オトートはちゃらんぽらんに育ったワケで…。
大学4年のある日、そんな双子の兄が日本代表として金メダル(92年アルベールビル五輪)を取ったわけです。そして凱旋帰国、見送りは数人だったのに成田空港は報道陣でいっぱいでしたね。
僕はスキーはやってましたけど、テレビで観戦&応援。最初は自分のことのように嬉しかったですよ。
兄に当たった光
それ以来ですね、街を歩くとですね、「あの荻原さんですよね?」となるワケです。
「(あの)荻原さんじゃないんです」「え、だってテレビで見ましたよ?!」「…ボクも見てました」ってな具合で。
多小間違われることも最初は嬉しかったりもしたんですが、いつでもどこでもとなると、まあ次第にウザくなってくるわけです。
双子であることとか、親を恨んだりもしましてね、精神的にもサイアクで、ずっとシカトを決め込んでたんです。
そしたら92年の春先のなんですが、私にサインねだってきたオジサンがいましてね、シカトこいてたら「おいてめえ!メダル取ったからっていい気になってんじゃネエ!」とまで言われちゃいましてね。
で、思ったんですよ報いるためには自分も出るしかねえな、と。
出て二人並んでテレビに出て、オレはオレなんだと、世間に間違ってゴメンねと思ってもらおうと、ね。
弟に伸びた影
94年のリレハンメルオリンピックは冬期のオリンピックがちょうと2年繰り上げになった時※だったので、2年間死に物狂いになろう、と。
その間また他人に間違われたら健児として、丁重に接しようと誓いました。
健児のサインも書きました。
他人のサインを書くのはヒジョーに嫌なことでしたが、いつか自分のサインを胸を張って書いてろう、と思ってね。
94年リレハンメル直前、調子はサイコーでした。
しかしいわゆる「内定制度」の存在でオリンピック出場ならず。
「24歳と若いんだから次がある」、と言われマスコミ通じて協会に食って掛かり、会社からは始末書を書かされました。
しかも自分が選ばれなかった代表は金メダル…、もうやめようと思いました。
しかし、98年のオリンピック開催地はナガノ…!もう4年だけ、もう4年だけ必死にやってみようと思いました。
98年ナガノオリンピック直前、調子はサイアクでした。
そんな時、協会から電話が「オーストリアとドイツに行って練習してこい!内定しといてやるから!」ってね。
※夏冬のオリンピックを一度の年で行うのは大変であるため、この年、冬のオリンピックが2年早く開催され、以後夏冬交互に行われるようになった。その最初の年。
次に晴れれば
成功して当たり前、失敗すれば非国民のように言われたりもします。
やるだけのことはやってきたので、技術は今さら変わりません。
できる事と言えば「俺は絶対にやれるんだ」というプラス思考。
ナガノオリンピック複合、ジャンプ成功3位!
15`のクロスカントリー、いつもどうり前半ゆっくり後半勝負でスタート。
後ろから健児が追いついてきました。
メダルがどうのじゃない。、お前がいないとこの6年間が成立しないんだ!
結果、健児4位、次晴6位、ようやく次晴にになれました。
6年間はとても長かったけど、おのおっさんに感謝したい気持ちでした。
他人を羨ましがるのは実に簡単なことだけど、羨ましがられるようになるのは大変なことです
ナガノの後、目的を達した僕はさきに引退し、ウインタースポーツを広める仕事を始めました。
ナガノの熱を広める人がいてもいいんじゃないか、と思ってね。
日本中の全ての人に雪の上に立ってみてもらいたいです。
クロスカントリースキーはつらいものではありません。冬の野山の景色を楽しみながら、自分のペースで楽しむものなんです。
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次晴さんどうもありがとうございました。これからも頑張って下さい! |