オフラ・ハザについて   

 オフラ・ハザ(1957-2000)はイスラエルのテル・アビブにて、貧しいイエメン系難民家族の9人兄弟の末娘として生まれ、12歳で地元の劇団ハティクバに入団し、以後7年間団員として数々のレコーディングを行いました。彼女の母親もプロのシンガーで母国イエメンのフォークソングを彼女に教えてくれました。このことが、後に「イム・ニン・アル」など、欧米で賞賛をあびることとなる[Yemenite Songs]誕生のきっかけとなっています。その後、2年間のイスラエル軍隊での兵役義務を終えて、1980年より1〜2年毎に、精力的にソロ・アルバムを出していきます。これらのアルバムがきっかけとなり、1980年から1983年まで4年間、イスラエルの最優秀女性歌手として認められ、イスラエルの国民的歌手になりました。次いで、1988年の[Shaday(神聖)]が全ヨーロッパでヒットしてからは、2000年に亡くなるまでに発表したいくつかのアルバムによって、オフラ・ハザの残した曲は、現在でも世界中の人々に愛されています。

 オフラ・ハザの歌った曲目は大きく以下の2つに大別できます。

 (1)ヘブライ語でイスラエル国民のために歌った曲:

1987年までの代表曲として

 「Goral Echad (共通の運命)」、
 「Gabriel」、
 「Tfila (祈り)」、
 「Shir Ahava La'chayal (兵士たちへのラブ・ソング)」、
 「Kol Yom Matchila Shana」、
 「Chai(Alive)」、
 「Forty」、
 「Jerusalem of gold(黄金のエルサレム)」、
 「This year inshalla」、
 「Hake'ev Haze (この苦しみ)」、

などを上げることができます。
全ての曲はアルバム[Ofra Haza Greatest Hits Vol.1]に収録されています。イスラエルという国に生まれたことで背負わねばならない宿命と苦しみ、そして希望をオフラ・ハザは力強く歌い上げています。

デモ曲は「ハコーテル(嘆きの壁)」。スロー・テンポなメロディーに乗せて、オフラ・ハザの高音が印象的な歌です。

この曲はアルバム[Ofra Haza Shirey Moledet 3]に収録されています。

ハコーテルとは、エルサレムにある神殿跡に残る西側の壁のこと。この壁で祈ることをユダヤ人は1900年間願い続け、イスラエル建国後の1967年、6日戦争でエルサレムが解放されると共に、それが実現した。 繰り返しのフレーズ「石の心をもった人々がおり、人の心をもった石がある」が印象的な歌です。


(2)ヘブライ語と英語・フランス語を混ぜてイスラエルを含む全世界の人々のために歌った曲:

[Yemenite Songs]に収録されていた「イム・ニン・アル」や「ガルビー(私の心)」をディスコ調に編曲し直して収録されたアルバム[Shaday(神聖)]が1988年に発表されると、全ヨーロッパに彼女の名前が知れわたり、このアルバムは100万枚を超えるミリオンセラーとなりました。次いで1989年の[Desert Wind]や、1992年の[Kirya(キリヤとは古代ヘブライ語でエルサレムを意味する)]、1997年の[Ofra Haza]などのアルバムのヒットで、オフラ・ハザは国際的な女性歌手として世界中から認められることになりました。
  この頃の代表曲として

 「Im Nin'Alu (イム・ニン・アル)」、
 「Galbi(私の心)」、
 「Eshal」、
 「Shaday (神聖)」、
 「Da'Ale Da'Ale」、
 「My Aching Heart」、
 「Wish Me Luck」、
 「Mm'Mma (My Brothers Are There)」、
 「Fatamorgana (蜃気楼)」、
 「Kaddish」、
 「Innocent-A Requiem For Refugees(イノセント)」、
 「Sixth Sense」、
 「You've Got A Friend」、

などを上げることができます。いずれも上のアルバム[Shaday]、[Desert Wind]、[Kirya]、[Ofra Haza]に収録されています。彼女のルーツであるイエメンの歌を交えながら、欧米の視聴者のために、西洋ポップス調の曲も伸び伸びと歌い上げるところが、彼女の大きな魅力です。

デモ曲は「Sixth Sense」。いくつもの曲の作詞、作曲を手がけたオフラ・ハザとバザレル・アロニ (Bazalel Aloni) のコンビによる1曲です。

ポップ調のメロディーに乗せて、オフラ・ハザの優しい歌声が印象的な歌です。

これらのオフラ・ハザの曲は、イスラエルだけでなく、アラブ社会にも受け入れられて、多くのオフラ・ハザ・ファンを生み出しましたが、2000年に42才で他界しました。彼女の死が伝えられると全イスラエルのラジオ局が彼女の曲を流し続けて、彼女の死を悼みました。当時のバラク首相は次の言葉をもって、イスラエル全国民を代表して、彼女に哀悼の意を表しました。

「オフラはハティクバの貧民町から身を起こしイスラエル文化の頂点を登り詰めた。彼女は我々全てに偉大な足跡を残してくれた。」



 最後のデモ曲は「黄金のエルサレム」。ナオミ・シェメルの作詞作曲した曲です。

この曲はシュリー・ナタンの歌う曲が有名ですが、オフラ・ハザは神秘的な歌声でこの名曲を歌い挙げています。


○オフラ・ハザについての最も詳しい情報は以下のサイトから閲覧できます。

WikipediaのOfra Hazaのページ

○オフラ・ハザのCDやDVDはアマゾン・ドット・コムを始め、以下のサイトなどから購入できます。

HMVのオフラ・ハザのサイト

Israel Musicのオフラ・ハザのサイト


○オフラ・ハザを含むイスラエル・ソングを集めたCDはミルトスで購入できます。


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