横山健堂
青海島を「海上アルプス」と初めて呼んだのは、横山健堂である。
健堂の『長周遊覧記』(昭和5年刊)に次の一節がある。
―――大正7年8月、大津郡の夏期大学に、わたくしは
諸講師とともに、仙崎町から、慰労として、島巡りの船遊に招かれ、
初めて島の北側を見たが、此日、風浪高くして中途で引き返すの
已むを得なかった。翌8年(中略)初めて全部の風景を見ることを得た。
(中略)わたくしは、「アルプスは陸上にのみあるとは限らぬ、海上
にもある。この風景が即ち海上アルプスである」と言った。
満船の人々、皆、共鳴した。爾来、海上アルプスの名が初めて世に
現われることになった―――
横山健堂(本名、達三)は、明治5年(1872)萩の生まれ。
東京帝国大学卒業後、新聞記者や、大学教授をつとめながら、
黒頭巾の号で評論家として活躍した。昭和18年没。下関市の
東行庵に彼の顕彰碑(碑文は作家古川薫氏)がある。
父、横山幾太は松下村塾の出身。大津郡長や深川村長をつとめ、
その間、深川湯本河原に住んだ。健堂は明治17年(1884)、
現在の向陽小学校に入学、卒業後もよくこの地を訪れた。
また、長男の横山白虹は有名な俳人。青海島船越に句碑がある。
健堂の名筆は「深川仙崎連合耕地整理記念碑」(大津高校前道路わき)
や、「俵山温泉公会堂記」(同温泉閣)などにのこされている。
【長門郷土文化研究会発行『ながと歴史散歩』より】
運航時刻及び運賃表(Service
time and fare table.)
青海島の概要(The
outline of Omijima island.)