マイク・バートン選手の周りの人々

 ブラックジャック・マリガン(ボブ・ウインダム)
1941年11月26日生まれ(45年の説もある)。190cm、120kg ニックネーム 「黒い猛牛」 得意技 ブレーンクロー

 プロのフットボーラーだったが、フリッツ・フォン・エリックにスカウトされて1969年にデビュー、同年のAWA新人賞を受賞した。翌年の1970年、本名のボブ・ウインダムで初来日(国際プロレス)し、11月19日にサンダー杉山、グレート草津の持つIWA世界タッグのベルトを奪取(パートナーはラリー・ヘニング、カート・ヘニングの父親である)。同年12月12日に杉山、草津組に奪回されるまで同王座を3度防衛するなど、デビュー2年目とは思えない活躍ぶりで期待される。
 アメリカに帰国後、ブラックジャック・マリガンと改名してブラックジャック・ランザと「ブラックジャックス」を結成。WWA、WWWFのタッグ王座を取るなど活躍。シングルでもWWWF王座に挑戦するなど、日米でトップレスラーとして活躍した。
 バリー・ウインダム、ケンドール・ウインダムの父親である。

 この人がバートンのプロレスの師匠。この人を慕ってバートンはプロレス界に入ったらしい。(詳細は不明)
 
 ジョニー・エース
1965年7月31日生まれ。194cm、115kg ニックネーム 「暴走狼」 得意技 エースクラッシャー

 98年8月に小橋に反乱を起こし「GET」を解散したエースはウルフ・ホークフィールド、ジョニー・スミスと共に新軍団「ムーブメント」を結成。
 世界最強タッグ決定リーグ戦には新たなパートナーとして「ウイリアムスをKOした男」バート・ガンと共に参戦。三沢をフォールするなどリーグ戦に旋風を起こす。
 「’99スーパーパワーシリーズ」ではガンとのコンビで世界タッグを奪取するが、次のシリーズで、ノーフィアーに敗れ王座から陥落する。その後ベルト挑戦のチャンスもなく、忍耐の日々を過ごすが、「2000スーパーパワー・シリーズ」で4チームによる世界タッグ王座決定トーナメントが行われた際、マイク・バートン(バート・ガンから改名)とのコンビでこれに参加。1回戦で川田、田上組と対戦、ムーンサルトを大失敗して満場の失笑の中敗れる。
 全日本分裂で大揺れの「2000サマーアクション・シリーズ」に参加予定だったが、WCWに招聘されたため直前で来日キャンセル。
 その後、バートンとの関係はないようだ。
 
 ビリー・ガン
1963年11月1日生まれ。190cm、118kg ニックネーム 「ザ・ワン」 得意技 フェイマサー

 91年にブラックジャック・マリガンにスカウトされプロレス界入り。
 IWFという団体でバート・ガンと共に「ロングライダース」というチームを結成。92年2月1日に同チームでIWFタッグを獲得。(当時の名前はビリー・・・Kip Winchester、バート・・・Brett Colt )同団体崩壊後、93年より、バート・ガンと共にWWFに参戦。新たに「スモーキン・ガンズ」を結成して、WWFタッグ王座を3度獲得した。97年に「スモーキン・ガンズ」を解散。”ロードドッグ”ジェシー・ジェームスと「ニュー・エイジ・アウトローズ」を結成して、再びWWFタッグ王座につくなど、タッグ屋として活躍している。
 日本には94年の「WWF マニアツアー」で来日している。
 
 ジム・スティール
1967年5月4日生まれ。190cm、120kg ニックネーム 「鋼鉄狼」 得意技 ターボドロップ

 94年に「ジム・スティール」の名前で初来日。その後マスクマンの「ザ・ラクロス」、ゲームのキャラクター「ウルフ・ホークフィールド」のリングネームで活躍。ウルフ・ホークフィールド時代にはジョニー・スミスとのコンビでアジアタッグを獲得している。
 2000年11月の世界最強タッグ決定リーグ戦からリングネームを「ジム・スティール」に戻し、同リーグ戦をバートンとのコンビで奮闘、優勝決定戦まで進み3位の好成績。その後、「チャンピオン・カーニバル参加権争奪リーグ戦」や「2001チャンピオン・カーニバル」での活躍で存在感を表す。2001年9月にはバートン同様「TEAM2000」に加入。同年12月には新日本プロレス「G1タッグリーグ戦」をバートンとのコンビで準優勝して新日本プロレスのファンにも大きなインパクトを与えた。

トップページへ戻る