リレー小説企画1

far away

#2 異端の常識

 操車場までは五分もかからない。
それなのに、そのたった五分の距離が異常に長く、遠く感じる。
まるで小さい頃によく見た悪夢のような、走っても走っても先に進めず、その場に置いていかれるような感覚。
 それでもこれは現実だから足を動かしていれば先に進むし、五分の距離なら確実に五分で到着する。
 操車場入り口の門は当然閉まっていたが、どうということはない。
手をかけて、軽く跳躍するだけで簡単に乗り越えられる。
帰宅部とはいえ、平均的高校生になら何ら難しいことではない。
 総コンクリート造りの薄汚れた建物の隙間を抜け、巨大な洗車機の脇を通ると、がらりと風景が開けた。
 いわば、線路の海。
 なんて詩的なセリフを吐いている場合じゃない。
「居た」
 視えていたモノが、『見』えた。
黒い狼が三匹。
異装の女の子が一人。
 武器は……残念ながら携帯電話くらいしかない。
「――ッ」
 直感的に思う。
アレは……違う。
 狼ではなく、女の子の方。
 例えば、人形を見てそう思うような。
 例えば、絵を見てそう思うような。
 そんな直感的な、それでいて絶対的な違い。
表現する方法が見つからない。
ただ一つだけ言葉に出来るとすればそれが――
 彼女は、違う。
 無意識に後じさって、砂利を踏みしめた。
「まずっ……」
 後の祭り。
 三匹の中の一匹が、首だけ百八十度回転させてこちらを見る。
カラスの様な湿った黒から、浮き出るような灰色の眼。
その奥に宿った威圧感が殺気と呼ばれるモノなのか、自分には分からない。
 それらと面と向かったのは、これが初めて。
射すくめるような視線。
動く時になれば、しなやかに一切の無駄なく動き、相手を倒すためだけに動くのであろう体躯。
閉じられた顎の奥に宿す、必殺の武器。
 怖い、とは思わなかった。
 ただ漠然と、これなら殺せる・・・・・・・と思った。
 三対一。
しかも相手は人間よりもはるかに攻撃に特化した生物。
一斉に襲いかかられ、腕だの腹だのを持っていかれる様は容易に想像できるが、
三体を蹴散らして追い払う光景は、なかなか思い描けない。
二匹殺したところで、三匹目に攻撃手段を全て奪られてしまう。
せめて、鉄パイプでもあれば……
「……へ?」
 そんな間抜けな声が漏れる。
 狼たちは三匹とも、意外なほどあっさりと退いた。
一度だけこちらと女の子を見定めるような視線を送ってきたが、
それ以上は何もせず、つむじ風のような速さで走り去っていった。
 何がどうなったのか。
まさか俺の見えざるオーラに畏れをなして……なんてことはまず無いだろう。
「ふむ。戦力が拮抗したと見るや即座に退くか。
 主人の命令には忠実だな……躾はなってないが。」
 件の女の子はなんだか凄く偉そうな態度で、フンと鼻を鳴らした。
いや態度もそうなのだが、喋り口なんかも意外というか。
「えーと……」
 なんと声をかけたものか分からなくて、頭を掻いた。
「なんだ? 何か用か?」
 つまらなそう、と言うか明らかに不機嫌そうに聞いてきた。
 そもそも裾の埃を払いながらだから、こっちを見てすらいない。
見た目からして、自分よりも明らかに年下なのだが、何か気圧されるような雰囲気を持っている。
 正直、あの狼なんかよりもよっぽど怖い。
「えと……君にもあれ、見えてるんだよね?」
 女の子は何も答えなかった。
   その代わり、佐光が将平に見せるのを二乗したようなしかめ面をして見せてくれた。
 うん、超怖い。
「あれ、何なの……かなっ……て、思っ……」
 一言喋るたびに、彼女の不愉快オーラが増えていく。
 視線で人が殺せるなら、今頃自分は骨さえも残っていないと思う。
「真神だ」
「マカミ?」
 会話が通じないんじゃないかという疑問は払底されたが、その言葉に聞き覚えはない。
「やはり弩素人か。もっとも、かような時代にまともな術士が居ようはずも……ないな」
 彼女の中で会話は完結したらしく、くるりと背を向ける。
「ちょ、ちょっと待ってよ、まだ聞きたいことが――」
「私には無い」
 さっくりと見事なまでに切り返して、彼女はすたすたと歩き始めた。
 だけどこの程度では引き下がれない。
多分、こんな機会は二度と無いから。
今ここで食い下がっておかないと、絶対後悔するから。
 だから、彼女を追いかけた。
「俺にもあれが見えるんだけど――」
「それは重畳」
「いや、そういうことじゃなくてっ」
 彼女の歩みは速い。
 何の変哲もなくただ歩いているだけなのに、走っても距離がなかなか縮まらない。
「なんで見えるのかって――」
「目があるからだろう」
「他の人には見えないのに――」
「おことには関係あるまい」
「っていうか君、なんであれに追われて――」
「おことには関係あるまい」
 会話にすらならない。
「そもそも君、なんなんだよッ!」
 ようやく追いついたと思ったら、何のことはない、彼女が立ち止まっただけだった。
「五月蠅いぞ。つきまとうな」
 更に付け加えるなら、こっちを睨み付けていた。
 だけどそれが、どこか虚勢を張っているように見えるのは、顔がまだ幼いからだろうか。
背の丈だって、自分の胸くらいまでしかない。
 遠目に『視』た割には、中学生くらいというのは間違っていない印象だったらしい。
大人びた、って言うか時代がかった喋り方をしているが、高校生というには遠い。
「俺、知りたいんだよ。この目に視えるモノがなんなのか。この目が……なんなのか」
 その言葉に、彼女は少しだけ表情を変えた。
「知ってどうする?」
「じゃあ知ってるんだな!」
 思わず声のトーンが跳ね上がる。
 分かる。
 この目が、何なのか分かる。
「頼む、教えてくれ。そしたらもう付きまとわない。約束する」
 よくよく考えてみると、中学生くらいの女の子に頭を下げて懇願する図、というのは凄く滑稽な気がする。
 だけどどんなに恰好が悪くても知りたい。
 視えるモノ共を。
 視える、理由を。
 しばらくの間黙って俺の目だけを見ていた彼女は、大儀そうにため息をついた。
「おこと、名は?」
 おこと、というのが「おまえ」の意だって理解するのに少し時間がかかった。
「と、遠近風一」
「では風一。さっきの真神以外に何が視える?」
 ってか、いきなり呼び捨てかよ。
 自分の方が(多分)年上なのに。
「えっと……何か変なもやもやしたのとか、蛍みたいなのとか。
……後は一回だけ河原で蛇みたいなでっかいのが視えた」
「……ならば、この先に何が視える?」
 彼女は真っ直ぐに、学校とは反対側を指さしている。
「んー、駅前商店街の看板くらいなら、なんとか」
 思いっきり集中しても、それ以上は視えない。
 もやがかかって見えるとかではなく、そこから先は純粋に『視えない』のだ
 まるで、景色がそこまでしかないかのように。
「成る程な」
 そこでまた彼女はため息をついた。
 それはどこか、残念そうで――
「おことの目はな、風一。遠目見眼だ」
「トオメミガン?」
「遠い近いの遠に、目に見るに眼だ」
 遠目見眼、ああ、そういうことか。
 彼女は心底面倒くさそうに、こっちを見もせず話している。
「遠くのモノが見える。遮蔽物があっても、その目が届く範囲に在るモノなら視える。 それだけだ」
「それだけ……って」
「それから、おことが視ているモノは妖魔だ。妖怪変化、悪鬼怨霊、この世ならざるものだ。
普通の人間には見えないがな。
おことの目はそれらも、そこに在るならば謹厳実直に捉える」
 遠目見眼、妖魔、普通の人間……
 当たり前だが、全く実感が沸かない。
流石に「非現実的だっ」なんて、こんな目を持っている自分が切り捨てるのは無理がある。
だからといって、それをそのまま信じろと言われても、俄には……
「って、君にも見えてるんでしょ? あれ」
 彼女はふん、と鼻を鳴らした。
「私が普通の人間に見えるなら、真神は仔犬か何かに見えているのか?」
 ということは、やはりそうなのか。
 自分にだけ、『視』えるモノ。
 自分達とは違うモノ。
 いや……自分も、異端ちがうのか。
「千里眼や慧眼、未来視眼、過去視眼ならばまだ術士として見込みはあったがな。
遠目見では奇術師が精々、だな」
 言っている単語の意味はさっぱりだが、なんとなく馬鹿にされていることだけは分かった。
もっとも彼女は、ただ淡々と事実を述べているだけなのだろうが。
「教えたが、満足か?」
 満足、なわけなかった。
「だろうな」
 しかも彼女は、心を見透かしたようなことを言う。
いや、思いっきり顔に出ていたのかもしれない。
 我ながら、今更ながら馬鹿だと思う。
 片目を押さえる。
 これが何か分かれば、何かが変わると思っていた。
だけど、実際はそんなことで何も変わりはしない。
知識を得ることで何かが変わるなら、世の中に不幸も不都合も不条理も無い。
そんな、初歩的な仕組みを分かっていなかった。
 押さえた手に力を込める。
 手の平で押さえたところで、痛いだけだ。
潰れはしない。
「何をそんなに落胆する?」
「何をって……そりゃ、こんなの……」
 こんなの、どうなのだろう。
 視えるのは嫌ではない。
視えたからといって、あれらは自分も他の人も同じように無視している。
不都合はないし、不利益もない。
だけど何か、どこか、嫌だった。
「まぁ、折り合いは勝手につけろ。私はもう行くぞ。また襲われてはかなわん」
 そうだ、そういえば彼女は――
「あ、あのさ、君なんで襲われてたの?
俺、あいつらなら何回か見たことあるけど、誰かを襲ってるとこなんて……」
 彼女はもう睨み付けてはいなかった。
ただ、心底面倒くさそうにしているだけ。
「おこともしつこいな。関係ないと言っている」
 その表情と態度に腹を立てたわけではない。
 もういい加減、八つ当たりするのに十分なフラストレーションが溜まっていただけだ。
こんな、他の一切の情報を排除すれば、割と可愛らしい年下の女の子に八つ当たりだなんて、
もしかしたら自分は、俗に言うキレる十代なのかもしれない。
「関係ないことあるかッ!
こっちは君が追っかけられてる所視えちゃって、授業ブッちしてまで助けに来て――」
「助けに来た? おことが?」
 一転して、彼女は不思議そうな顔をして見せた。
なんと言うか、それまでに見ていた顔が仏頂面のバリエーションばっかりだったから、
その普通の顔が凄く新鮮で、怒気から毒気から一切合切が抜かれてしまった。
「術もなく、武具もないおことがどうやって?」
 それは皮肉や冷笑ではなく、純粋な疑問。
 だからこそ余計に、そう答えるのが恥ずかしかった。
「悪かったな……何も考えてなかったよ」
 一瞬、彼女の表情が凍る。
 そこで苦笑でもしてくれれば、まだ可愛げもあったのだが、
「無駄はよせ。私を護って死んでも、誰も褒めてはくれんぞ」
 元の仏頂面に戻ってそう切り捨ててくれた。
 しかも言うに事欠いて、無駄ときた。
確かに、もしあのまま戦闘になっていたら間違いなく無事では済まなかったはずだ。
でもなんとなく、納得いかないものがある。
恩を押し売りするつもりは毛頭無いが、もうちょっと他に言い方が――
「しかし、結果としては助かった。礼を言う」
 だからそれが、意外と言うなら今までで一番意外だった。
 彼女はそのまま、頭を下げたのだ。
 本人は慇懃に深々とのつもりなのだろうが、背丈の関係なのか、
どうにもそれは「ぺこり」という擬音の方が似合ってしまう。
 笑っていない、緩んでいない、上げた顔は相変わらずの仏頂面。
だけどどこか、その顔が今までよりも柔らかく見えた。
まったく、自分って人間は驚くほど現金だ。
「では、本当にもう行くぞ」
 もう自分には彼女を引き留める理由はないし、引き留める意味もない。
 彼女があれらに追いかけられていた理由はやっぱり気になるが、
二度聞いて教えてくれなかったことを三度聞いて教えてくれるとも思えない。
 仏の顔も三度までって感じで、怒られるのが関の山だろう。
「おこと、あの学舎の学徒か?」
 彼女は洗車機ごしにぬう、とそびえる白い建物を見上げていた。
 しかし学舎に学徒とは、やはり古い。
妖魔、とか言ってたっけ、そいつらはみんなこうなのだろうか。
「そうだけど……」
「袖すり合うも多生の縁、助けて貰った礼だがな」
 なんだかさっきとは雰囲気が違う。
なんというか、仲間とまでは言わないまでも、敵ではなくなったらしい。
 ……ということは、さっきまでは敵だと思われてたのか、俺?
「気を付けろ。真神共、あの周りを妙に警戒していた。中か、外か、中身か……とにかく何か居るな。」
「そんなこと言われても……」
 正直困る。
 さっき彼女が言ったように、自分は視えるだけなのだ。
妖魔とか言われてもそれが何かなんて全然分からないし、どうすればいいかはもっと分からない。
「案ずるな風一。私はおことに何をしろと言っているのではない。
 何もするな、そう言っているのだ」
 大まじめな顔で言う。
それは、視えても今日みたいに出しゃばるなってことか。
 正しい、それは全く正しい。
何も出来ないのだから、何が起きても黙って視ていろ、と。
 そんなこと――
「ではな、風一」
「あ、おい、名前くらい教えろよ!」
 咄嗟のこと。
 だから何故そんなことを聞いたのかは自分でもよくわからない。
 知ったところで何も変わらず、世界の歪みは歪みのまま、異端の常識は常識のまま。
知識は所詮知識でしかない。
そんなこと、さっき学んだばかりのはずなのに。
「名前?」
 そう呟いて、彼女は初めて笑った。
 心の底から思う。
 それが自嘲でなければ良かったのに。
 酷く、残念、だと。
「名前、な」
 くっくっと、最早声を出して嘲笑っている。
それは、今まで一番、彼女に似つかわしくない仕草で。
どこか、無理をしているように。
 彼女はふいと、唐突に背中を向けた。
 もうこれ以上会話は無いぞ、と言わんばかりに。
童子切どうじぎり安綱やすつな
 彼女が車庫の影に消えた後。
 残ったのは、胸くそ悪くなるくらい爽やかな春風だけだった。





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