山崎美佐子
             鎮魂の譜としての絵画
 

絵画作品を前にしたとき、何が描かれているかを既知の体験に照らし合わせてまずその回路
を探し出す。うまく接続したときに人は具体的なものの名称や存在自体を確認してこれまで
自分が体験してきた記憶を反芻して絵画との往復運動を繰り返す。この頭の中の行動に差異
があるとそれは違う(自分の経験では)この空は青だし太陽もこんないびつな形ではなくも
っと丸い、と主張する。それは具体性の伴ったことについて、という限界をもつ。だから描
かれた猫をみてその細部の一つひとつが合致すれば安心して、かわいいねとかきれいな毛並
みだという。それがこれまで体験したことのない、つまりどこにもいないようなへんてこり
んな猫が曲芸をしたり人間のようにふるまったりするとちょっと気持ち悪いね、とかこうい
うのは全然だめ、と拒絶する。つまり自分のテリトリーの内側にあるうちは安心して絵を見
ていられるのに外れた瞬間、戸惑い、内にあるコンテキストを再び探し出そうとする。それ
でもやっぱりみつからなければ、こういうのは苦手でわからないと放棄してしまう。
しかし作品を描いた画家はふつうの人間と同じレベルで日常生活をすごしている。だからア
トリエや工房で作品に向かっている時にはその中から生まれる断片や総体を切り取ってカン
バスに埋めこむ。描こうとするのは必ずしも身近な静物をありのままにではなく、人間でも
なく具体的なものは何一つ、かけらさえもないかもしれない。

何が描かれているのか、ではなく何を描こうとしているのかを作品を前にして対話をしなが
ら意図を読み解くことが山崎美佐子の場合には必要のようだ。しかしその前に絵からぱっと
入ってくる第一印象も大切だ。画面はたいてい沈んだ色彩で黒を基調としているかもしくは
それに近い。黒い中に何かが塗り込められているのだが、点のような白っぽい存在や引っか
き傷のようなものが目立つ。閉じ込められた枠に仕切られた中に収められた浮遊感を伴った
黒っぽい走査線で走らせ、背景を心象風景としての重いダークグレーで仕上げたり、あるい
は鉛を思わせる金属の光沢がそこだけ盛り上がって立体感を出した異色の作品。いずれも深
い精神性を感じさせる。はるか遠い太古の時が織りなす静寂のたたずまい。あるいは光さえ
届かない鬱蒼とした樹海の下での薄暗く茫洋とした世界。闇の中にあちらこちらに点在し、
または巨大なものの存在をとらえ認識しようとする姿勢。
ずっと昔ヴォルスの版画作品に出会った時のいいようのない、鋭い棘のような線の攻撃にぱ
っくり開いた作家の傷口からどくどくと流れる血をみた。ようやく気持ちを取り戻し冷静に
なって細く薄い線の描き手の内面をかいまみた。今にいたってヴォルスの謎は解けないけれ
どもあの感性の誰も決して再現することの出来ない緊迫感あふれる画面を思い起こす。タピ
エスの場合もそうだった。素材はさまざま。巨大な立体作品にヴォルスとはまた違った圧倒
される存在感に打ちのめされた。しかしこの柔らかな手は次から次へと終わることを知らな
いかのようだった。
山崎美佐子の『心象浄化の世界』は明らかに作家の内面を深いところでえぐりとってみせ
た。これまでもこのようにして自己表現を積み重ねてきたのだろう。大作の三曲一双の祭壇
画を思わせるほとばしりでる情念の力作もあった。中央に大きなごろんとした石のような存
在があって、それが全画面に掛かってどっしりしているのだが見方によってはたゆたってい
るかの印象も受ける。世界の底に鎮座するのは作者自身そのものであろうし、また普遍化し
た人自身のありようかもしれない。ここには鎮魂の意味を込めたおごそかさ、さえもが響い
てくる。音がないのではない。耳を澄ませばかすかにきこえてくるようなそのような種類の
音だ。小品には明るい色調の二点があった。ここでぱっと開かれた空間が拡がった。一見そ
れは救いのようではあったがみつめるほどにこれもやはり連続した作品群のヴァリエーショ
ンであった。明るい、暗いという色調を超越した強い自己主張と持続する緊張感。魂の彷徨
と漂白とを波の打ち寄せる繰り返しのなかで山崎美佐子の存在証明が展開される。この次に
彼女自身がどのようにスタテイックな場から躍動感を伴って世界を表現するか、に絞られる
のではないか、という予感がする。

                      

     山崎美佐子の『呼運』を読む
                   
「从」展('09年)に出品された一連の作品は『呼運』と題され、板にミクスドメデイアと
いっていい、さまざまな画材を駆使した連作である。中でも六曲一双の、いや六枚の縦長の
板材をつなげた作品は堂々として輝いていた。輝くといっても全て基調は黒。黒の中にさま
ざまな色彩が含まれている、とルドンがいったように、微妙な色感の差異が認められる。板
地にまず赤の地を塗り、その上に黒をかぶせると作者は語るのだが、この過程でさまざまな
色が表層をつくって、ところどころ顔を出す色彩が黒の諧調に映えるし、また深まる。その
黒を背景にテーマとなるべき窓のようにしつらえた正方形あるいは長方形が下方に、中央に
あるいは上段に主題として対応する重奏低音を奏でる。精神の内奥を心象風景としてタブロ
ーにのせるためのそれ相応のすぐれた技法に裏打ちされた的確な表現方法がみごとだ。主題
は(背景の黒に対し)赤や青、あるいは銀箔を使って、面としてではなく点在するきらきら
光る破片の集積としての凝縮した形として現われる。和紙を貼った皺の織りなす微妙な線や
背景の中にひそむわずかな色合いの変化がかろうじて読み取れるほどにも繊細さをしのばせ
ている。冒頭に記した、最大の作品六枚を並べた『呼運』は下方に赤や青を散らし、さなが
ら刷毛で流した形跡が、流れるリズム感をかもし出している。
運を呼ぶという意味の題名は運を気といいかえてもよい。大気の見えないうねり、それにま
つわる世界、人間を取りまく環境、ひいては日本に特徴的におこっている社会環境へのメッ
セージとでもいったらこなれるかもしれない。作者は西欧的な抽象画ではなく、日本の今生
きている時代の世界を対象として思い描き、抽象化している。借り物ではない自らの手法が
編み出した様式として受けとめる。が、抑制された色彩の作品の中にはクリムトを思わせる
燦然とした華麗な色彩の集積や諧調が格調高いきらめきとして点在する。真っ黒い画面にわ
ずかに四角く切り取られたテーマは、ささやかながら動きを伴う。ひっそりとしたたたずま
い、あるいは静止した地にはらんだ、胎動の予感を意味している。作者山崎美佐子は表現し
たい事と仕上がった作品との差異はなかなか埋まらない、と語っている。が、精神の深い闇
の中で手探りをするようにして一つひとつ光を点灯するが如くタブローに取り組む姿勢はこ
れまで、そしてこれからも持続してゆくだろう。
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 真空にして、何も見えない宇宙の只中に投げ込まれ、ようやく眼が慣れてかすかに点滅す
る闇の中に散りばめられた光の断片。それが作者山ア美佐子の心の風景と混じりあうとひと
つ一つの星くずが壮大な抒情性の足音とともに美しい心音を響かせる。魂の鼓動がじわじわ
とゆさぶる天空の胎動として呼応するのだ。
 萌芽が大地の潤いとなって、またもう一人の画家山ア美佐子の顔として現われた。
  
 銀座『檪(くぬぎ)画廊」での個展より





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