商業界ゼミナールとは   HOME

    故 倉本長治主幹は、まだ太平洋戦争後の混乱治まらぬ中で、「今までの金儲け主義の商人のあり方
   から転換して、お客のための商売に生きよ。」と主張しました。活字を通じて呼びかける以上に、直接、人
   と人とのコミュニケーションによる説得こそ、唯一の理解のはやみちであると感じ、昭和26年2月、箱根に
   おいて第1回の商業界ゼミナールを開きました。
    ゼミナールは、新保民八、岡田 徹といった講師陣を中心に、現金正札論を掲げ、繁昌の道を説き、
   真商道の確立を主張してきました。
    今では、商業界ゼミナールで学び、愛と真実に生きる商人となろうという意識を抱いた人々が各地に
   同友会を作って勉強しています。(全国連合同友会HP参照

 【倉本長治主幹】 昭和57年1月29日永眠

 多数の著作があります。著作一覧を参照して下さい。
 しかし、ほとんど絶版しています。
 
 
   倉本長治著「商人讃歌」より
  『世の中には商業界ゼミナールというのは、お互いに
  ウマク儲ける穴をこっそり知らせ合う集まりだと思って
  いる人もある。そうかと思うと新興宗教のように、何か
  お題目を唱えて、商売繁昌と儲けを願う集会だと思っ
  ている連中もいる。繁昌や金儲けは商売の目的では
  ない。』


  1970年頃の新聞記事より抜粋(日経流通新聞)

  記者 倉本さんは、夫婦二人でやっているような小さな店が好きだそうですね。

  倉本 夫婦二人で必死に働いている姿は、本当に美しいものです。人間的に打たれますね。なんとか
      守ってやりたいな、と思うんです。町を歩いていて、本日開店の店なんかにぶつかると、わずかな
      ものでも何か買ったものです。見ず知らずの私でも、こんなことで励ましになるのならと思いまして。
      しかし、まあ、店の味、企業の味がなくなって、売っているのは同じ規格品ばかりで、ずいぶん不自
      由な国になってしまいましたね。ほんものがなくなってしまった。どこかで間違って、バランスがこわ
      れてしまったんですね。


  記者 長い間、商店主の人たちと接してこられて、いまの商店経営者をどうみますか。

  倉本 前途に望みを失っています。もっと野望を持たないといけません。不景気といいますが、いい店には
      客も協力するし、銀行だって融資しますよ。自分はいいことをやっているという信念がない。自分の
      努力をたなにあげて、理由を他に求めているようなことが多いんじゃないですか。


         

         


 【新保民八先生】 昭和50年12月25日永眠
  
   新保民八先生について(倉本長治主幹のことばより抜粋)

 彼は稀に見る激情家であった。壇上、自ら熱して、卓上のフラスコ
やマイクロフォンを叩き落すほどのことは再三であった。講師である
身を忘れて、聴衆と口論し、遂には上衣をかなぐり捨てて壇上から、
当の男にいどみかかるというような場面すら見せたものであった。
或時はこれほど真剣に説いている事が判らずして、まだ正反対のこと
を考えているのかと怒り狂ったかとおもわれるように、椅子を大上段
に振り上げたりして、あわやと思わせたことすらあった。   
 その説くところは、人間の誠意愛情というものが、必ず人を動かす
という信念を芯として・・・・・・。

 
  著書 愛と真実の商道


                         


 【岡田 徹先生】 昭和32年3月29日永眠

      岡田 徹先生について (講演テープより)

  「君が何を求めて箱根に来たか知らぬ、私は知らぬ、広告
  の技術を求めに来たか、売上を倍にするテクニックをもら
  いに来たか知らぬ。しかし、我々が君に与えようとするも
  のはそんな下らないものじゃない・・・・・・・・・」


 商人の哀歓と、経営近代化に踏み出す情熱や決意を生々しくとらえ
て、圧倒的な支持を得る。商業界ゼミナールでは「怒りの新保、泣き
の岡田」と並び称された。

  「岡田 徹詩集」は皆から愛されています。現在も販売中です。
 
    商業界ゼミナールのことを次のように書いています。

                          「立派な商人をつくる」                                           

                  


    倉本長治主幹著「回想の記」より抜粋

    たった二晩か三晩、一つ部屋に寝食を共にしただけで、永年の親交が保たれるというのは、一体どうした
    ことなのであろうか。
     ゼミナールの同友達の交わりの深さというものは、おそらく、その短い本ゼミの会期中に、真実を吐露して
    語り合い、慰め合い、そして励まし合ったことにより、心が交流して、二人の間に、お互いの心の在り方が、
    よく理解されたせいであろうとおもう。

     親友というものは、雨が降ったとては、ある時の彼を思い、朝早かったとては、その友の今日は如何かと
    案じ、喜びありと感じた時、その喜びを彼にも分かちたいと念じ、彼に悲しみありと知って、それを自分も担
    ってやりたいと祈る、たった二晩か三晩のうちに結ばれた友情であればこそ、本物であることを、お互いに
    確かめ合うためにも、あらゆる誠意で、援け合い補い合おうとする。
          実に商業界ゼミナールは
          友情の坩堝
    とはよくも呼んだものである。

     まことにわがゼミナールとは愛することと信ずることを身につけた商人が逞しくも育つ聖なる道場のことで
    ある。

          
    高崎同友会ではこの原点を大切に皆で正しい商道を学んでいます。
    是非、本ゼミでお会いしましょう

                                                   以上