陶芸 屋久島日記 | ||
今日は、工房の中より外の方が暖かい。展示場の温度計で十八度あったから、庭ではおそらく二十度を こえていると思う。小鳥たちも急ににぎやかになって、枝から枝へと飛び回ってさえずり合っている。 春が来た、山にも里にも・・・。そして雨。一雨ごとに緑が濃くなり、枝先の新芽も伸び、水たまりの オタマジャクシもカエルになって、ゲロゲロとにぎやかな事。夕方なんとまあ、気の早い蚊が飛んできたよ。 おいおい、ちょっと早すぎやしないかい。スズの薬だってまだ準備してないぞ。そろそろ、植物の種まきの 計画を立てないと。 2.22 先日、ロクロを教えていたら、一台様子が変な事に気がついた。土に力を加えると、動きが止まって しまう。どうやら、モーターからのパワーが伝わらなくなるらしい。裏返しにして、調べると、ゴムの プーリーと三角形のコーンとの接触が緩くなっているらしい。モーターを取り付けているネジを緩めて、 位置をずらして、ちょうど良い場所をさがす。これが、なかなか難しくわずか一ミリ移動しただけで、 調子が変わってしまう。何度もやり直してなんとか安定して回るところで固定する。このロクロ、購入 したのは四十年近く前だったが、最初から調子がおかしかった。接触が強すぎて、長く回していると モーターが熱を持ってしまった。それで、何度も調整し直したのだが、あれから良く持ったものだと 感心する。それにしても丈夫なもので、まだ一度も部品を取り替える事も無くここまで持ってくれた。 実は最悪、ゴムを変えないとと思っていたのだが、今回もなんとか修理できて一安心。 機械は日頃のメインテナンスが肝心だという教訓でもある。 2.21 今日も水道から。ちょっと出が悪いなと軽い気持ちで上がったら、大変な事になってしまった。 どこかが抜けているのなら、見つけるのは早いのだが、どうやらパイプが詰まってしまったらしい。 距離にしたら何キロあるのか。それのどこか一カ所を特定しないといけない。何度も往復して、パイプを 揺すっては水が来ているか確かめる。ある程度絞り込んだら、途中を何カ所か切って調べる。最後に 場所を特定して、パイプを掘り出して、つなぎ直して、気がついたら昼になっていた。午前中いっぱい、 いったい何をやっているのだろうと自嘲的になったり、もう山水なんていらないと短気を起こしてみたり、 一緒に引いたおなじ年の隣人(すでにこの世にいない)のことを思い出してみたり、春の気配に身を 委ねてみたり、終わってみれば、良くまあ、半日で済んだと、逆に喜んでみたり。昼に家に戻ると、 背中にお土産を背負っていた。春のたより、はらぺこあおむしが張り付いていた。世間ではタンカン ちぎりの真っ最中で、どこも総出で畑に人がいた。あの人たち、いったい何をやっているのだろうと、 いぶかってなかったろうか。もしかして、タンカン泥棒と思ってやしないよねと、あらぬ想像をし てみたり。午後はロクロで削り作業。あー!くたびれた。 2.20 朝、起きたらすでに八時。完全な朝寝坊だ。別に、日曜日だから早起きする必要は無いのだけれど。 どうしたの?と、かみさんに聞かれて、たしか夜中に本を読んでいたけど。二月も半ばを過ぎて そろそろ春眠暁を覚えずと言った季節になった為だろうか。今日は休むぞーと決めて、工房でパソコンに 向かう。ネットに向かって、ヤンセン情報を収集。一気にのめり込んだら、冷めるのも早く、彼の描く デッサンがちょっとつらくなる。それにしても画像で検索すると出てくるのですねえ。六千あまりもあって、 延々、見ていたら一日でも続きそう。インターネット恐るべし。一端とは言え一人の人間の一生の仕事を 見続けるのだからあたるのも当然か。気をつけないと頭がおかしくなりそうだ。前に個展にきた一人の男性。 情報で頭がいっぱいになってにっちもさっちも行かなくなって、がんじがらめになった人。 稚拙だろうが物真似と言われようが、とにかく自分の手を動かして表現する事が大切だと思う。 2.19 最近、気になっているのが、ホルスト ヤンセンという画家。マニエリスムと言ったら良いのか、 北斎の作品にに傾倒して、作風は自由自在にほとばしる線から、ものの形がおぼろげに現れる、幽霊の 絵を見ているような不思議な世界を作りだす。以前、どこかでお目にかかっていたのだけど、そのときは 何となく通り過ぎていた。今になって何故?。例えば一昔前の宇野亞喜良であったり、渡辺恂三であったり、 金子国義といった、いわば澁澤龍彦ワールドと土俵を共にするような、あの悪魔的な世界が誘惑の手を 差し伸べてくるのだ。本当に、今になって、why。ところで金子国義の世界と題した展覧会を見た事がある。 十年あまりも前の事、東京のデパートで個展を開いた時、隣でやっていた。ちょうど会期が一緒だった ので暇があるとのぞいていた。店員さんが「先生は毎日五時頃に来られます」というので、頃合いを 見て行ってみた。小柄で髪を伸ばして、黒いシャツとジーンズ姿の、ほっそりした人だった。これがあの エロチックな世界を作り出す男だったかと心の中で、つぶやいていた。ガラスの箱に、自ら作ったと 見える少女の人形と、扇情的で蠱惑的な造形物と布で構成された世界はまさしく、マニエリスムの 極地を思わせて、見てはならないものを覗いて思わずドキリとさせられた。ふた回りも年上だったから ちょうど現在の我が年齢だったのだろう。この年になってみて、彼の作り出す世界が恥ずかしくもなく 理解できるようになった。人は年を取るにつれ若くなると言ったのはヘッセだったろうか。 2.18 昨日の夜中、目が覚めてしまい眠れなくなってしまった。そして、つい、何で今こんなところにいる のだろうかと思っていた。仕事の事、何故、焼〆から青釉をやっているのだろう。そもそも絵ではなく 陶をやってるんだろう。何故、東京を出て屋久島で暮らしているのか。本当にこれで良かったのか、 これまでの人生って何だったのか?。次から次へと、負の思考がめぐってくる。暗い地平に一人、ぽつんと 立っているような、不安が体を押し包んでくる。ふと、枕元にある西行花伝を読み始める。人はこの世の 森羅万象(いきとしいけるもの)すべて滅びの中におかれている。この不変と思える山も、永遠に波を 打ち寄せる海も、限りある命。この世に身を受け今ここにあるのも信じられないような運命の不思議・・・ と、今日一日を精一杯生きる事。流れる水のように、悠揚迫らず、運命に託して生きて行けば良いのだ・・・。 読み進めるうちに妙に心が落ちついて、これで良いのだなという安堵が広がって、再び夢の中へと 戻って行く事が出来た。 2.17 また、肌寒さが戻ってきた。今夜から北西の風に変わって、冬型がやってくるらしい。息子が注文品の 皿を一生懸命作り、こっちはロクロで、鉢を挽く。二人ともほぼ無言。お互い口をきく事は無くても、 何となく、有機的に工房が機能して、作品が生まれている。息子ももう十四年、こっちは四十年、 思えば長い時間が経過している。朝、気が向いてロクロ台の脇の棚を整理したら、黄色く変色した写真が 一枚、出てきた。見ると犬が二匹、写っている。以前飼っていたボンとディックだった。おそらく二十年 近く前の写真だと思う。若くたくましい姿で小屋の前で散歩をねだっているのだろう。あの頃はつなぎ放し だった事を思いだして、ちょっと胸が痛くなった。
2.16 雨が多いわねえ。今年に入ってほとんど雨。とかみさんが言う。確かに、ここのところ滅多に晴れ間を 見ない。屋久島は雨の多いところだし、春の木の芽時期は特に雨が多くなるが。それにしても今年は 良く降る。焼き物屋にとっても困り者だが、それにも増してお百姓さんが大変だろう。ちょうど、たんかんの 収穫シーズンで、ポンカンがあまり良くなかったと聞くから、期待するところ大だろう。お天気が おおいに影響するのは農業も陶業も一緒。雨任せ風任せ、何とも心もとない限りだ。夕方、焼き上がった オカリナを取りにきた。早速、音を出して、いくつか気に入ったのがあったらしく、これは五万出されても 売れないと、満悦の様子。ちょっと吹いても、春の風のような、何とも言えない調べが工房を 吹き渡って、ちょうど体験をやっていた夫婦が、フルートの音かと思ったという。土で作った、手の中に すっぽりおさまってしまう、小さな楽器も、吹く人が吹くと、全然違ったものになる。 今朝の散歩で耳にした、うぐいすの声を思い出した。 2.15 夕方には雨になった。それも、かなりまとまった雨。朝方の雨も上がって、、真っ赤な日の出が 拝めたのに。珍しく、掌など合わせて、拝んだのが良くなかったのかしら。午前中は陽が射したり 曇ったり。どうも安定しない天気だったが、やはり、本当ではなかった。何故そんなに天気が気になる かというと、作品があとちょっとで乾燥するところまできているから。ここのところ、頑張って作り貯めた ので、もう置くところがなくなった。素焼きだけでも終わらせておきたいのだが。ままならないのが、 お空模様とひとの心。午前中は土練機を回して、午後はコーヒーカップに絵付。化粧を施した生地に、 剣先で柄を入れて、下絵の具で色を乗せてゆく。色を付けるのは素焼きの後でも構わないのだが、微妙に 違うのよね。生で描いた方がぴったり定着している気がする。ただ,そんな気がするだけなのかもしれない けれど。その、ほんのわずかなこだわりが結構大事だったりして。 2.14 「みずぬるむ」って春の季語だったかしら。確かに、昨日山に行ってずいぶん柔らかくなったなあと 感じたから。あの、切れるような感じからすると。山で偶然出会った近所の顔見知り。彼と初めて 会ったときは確か中一だったから、十三歳ぐらい。あれから四十年経ってもう五十を越して、髪も真っ白、 眉毛も白くなって、長いのがのびているのを見ると、さすがに年を感じる。親父さんとおふくろさんが、 だいぶ弱ってきて、世話もあって、戻ってきたいのだけれど、なかなか仕事を辞められないとぼやいていた。 大工を長い事やってきたから、きっと腕も良くて、親方も手放したくないのだろう。それでも、春には なんとしても辞めて帰ってくるという。昔みたいに、また楽しくやれると良いなと、つい思ってしまう。 時間の経過って面白いもので、昨日の清盛と兎丸の出会いもそう。ガキの頃、親父を殺した憎き大将の 息子と盗賊の子が、時代を経て、今度は同じ目的で共に戦うというストーリー。血は争えぬというけれど、 カエルの子はカエルで、それぞれの運命をこれからも必死で生きて行くのだなと思ってしまう。 今後の展開が楽しみになってきた。後に西行になる鈴木義清も堀川局と仲良くしてたし。 ラブストーリーありスペクタクルありと、原作者さん、さすがに、ドラマを盛り上げてくれます。 なんだか、ますます、ワンピースかパイレーツオブカビリアンぽくなってきたけれど。 2.13 朝からばたばた動き回っている。五時前に起きだして、パン作りに取りかかると、まずコネ機の 部品が見つからない。去年の暮れに、餅を捏ねてから使っていなかったと思いついて、寝ていた かみさんを起こして、一緒に探してもらう。結局、他の部品に紛れ込んでいたのを発見して、一件落着。 でも嫌あな予感。朝、探し物をすると必ず、一日ろくなことが起きないから。やはり!。水道が止まる。 なかなか原因が分からず、山を歩き回る。十時過ぎまで、かかって何とか修理を終えるが、しぶきを 浴びてヌレネズミになってしまった,。工房に下りて、製作中の作品を外に出して、乾燥させる。 青空が広がって、暖かくなる。午後、打ち合わせをしようと、出かけるが、先方は不在。やはり。 帰りに、木工屋さんへ寄って、雑談して、帰ってくる。夕暮れまで、スリップでマーブル模様を 作って遊ぶ。人の仕事場をのぞくと元気が貰える。仕事たのしく、仕事がんばる!。これって、 百歳万歳に出ていたおばあさんのお気に入りの言葉。アソビヲセントヤウマレケンー だよね。 2.12 西行花伝という小説は、弟子の藤原秋実の目を通して師である西行の生涯を辿るという形式で 描かれている。ところが、解説を読むと、秋実なる人物は歴史上確認されず、実は作者自身を投影した、 創作であるらしい。そう知って、はじめて疑問に思っていたディティールの辻褄があう気がした。 作者の辻邦生さんの西行へののめり込みの深さも。西行に対して、塚本邦夫さんはかなり厳しい見方を していて、歌の甘さ、生き方に於いても、出家をしながらいつも中央への思いを脱せず、ことあるごとに 権力者や中枢との絆を断てず、あるいは寺院の再建の為に諸国を動き回る等、生々しさがつきまとう 生き方についても。しかし、辻邦生はそういう生き方をも含めた、人間西行と苦悩をともにし、歌に 心を寄せ、恋心に涙し、同化したかのように、のめり込んでいる。文中の一言一句が詩であり歌のように 響いてくるのはそのためだと思う。人が一人の歴史上の人物にこれほどに魂を捧げた小説からは、 情念の熱さが伝わり、こちらも我を忘れて引き込まれてしまう。 2/11 もう週末になってしまいました。本当に早い、ものすごい勢いで日が過ぎて行きます。なんだか、 何もしないで人生が終わってしまいそうで怖くなります。まだ、人に誇れるものが何も出来てません。 今日も釉薬をかけて、化粧掛けをして、デザインをして、工房を片付けて、それで一日が終わって しまいました。今読んでいる「西行花伝」、佐藤義清がいとこの突然の死とかなわぬ恋から、歌に 人生のすべてをかける為に出家して新たな道を歩み始めるというところまで読み進みました。 つくづく思うのは、どの時代でも生きて行く事は大変な事なんだなあという事。ただ一本の細いロープを、 綱渡りのように、なんとか踏み外さないように、誰もが必死で生きて、命をつないできたんだなあ という事。最近いろいろな人と話をしていて、つくづくそんな事を思うのです。 今日、新しい屋久島の旅の雑誌が出版社から送られてきました。思ったより、大きなスペースで 紹介してくれていました。有り難い事です。でも、ちょっとプレッシャーも感じてしまいます。 まだまだ、誇れるものが無いようで。頑張って、恥ずかしくないレベルに作品を持って行かないと。 なーんだと言われないように。 2.10 一日、本焼きの準備。釉抜きをして釉薬掛けをする。新しい作品なので、新しいデザインをと、始めるが、 上手く行かない。頭で描いたのと実際にやるのとは大違いで、釉薬を重ねて行くとはがれるし、かといって 他の方法をとるとなるときれいに行かない、何とかしようと、ロウ抜きでやってみる。近頃は、便利な 釉抜き材が色々出ていて、昔ながらの方法、(ロウと灯油を混ぜて、湯煎で溶かして塗る、)は手間が かかるのでやらなくなったのだが、やはり利点があって、何よりも釉薬の上に塗る時、筆の伸びが良く、 下の釉薬をはがす事も少ない。温めたときの匂いも懐かしい。シンナーでぼーっとなる事も無く、長年 続けられた技法の優秀さを改めて感じた。この前、日曜美術館で再現していた尾形光琳の紅白梅図の 流水が銀箔だったという発見等は、伝統的な技法の優秀さがあらためて確認できた。銀箔の上から ドウサでマスキングして硫黄で酸化反応を起こさせる。陶芸も突き詰めると化学だし絵を描く行為も やはり化学反応なんだなあと、妙に感心した。そういえばこの前テレビを見ていたら鹿児島でやっている 個展の作家が使っている絵の具が耳なじみが無い。早速ネットで調べてみたらアキーラ絵の具といって、 どうやら新しいバインダーが出てきたとの事。発色が良く堅牢度も高く、おまけに様々な下地にも 使えるという。極端な話、焼き物にも。そのうち彩色には窯が必要ないなんて時代がくるのかもしれない。 2.9 .寒さが戻ってきて、山には雪が積もっている。時折、バラバラとあられが屋根を打つ音に思わず 身が縮こまる。薪ストーブに火を入れたいところだが今日は化粧掛けと削り。片乾きしたら台無し だから、ジャケットを着て仕事をする。休憩時間に息子にペンタブレットの使い方を教わる。 初めて使うというのに、楽々扱うから、有り難いけどちょっと悔しくもある。昨日の晩から、ずっと 考えていた、化粧掛けのイメージが大体まとまる。休み時間には、ずっとマスクのデッサンをして過ごす。 ちょっとだけ、明かりが見えてきた気がする。 2.8 いやあ、難しいですねえ。何が?。パソコンです。もう!新しく入れたフォトショップにイラストレーター、 それからペンタブレット。紙にクロッキー感覚で楽しもうと思ったら、まずドライバーのダウンロード から始まって、起動してファイル開いてなんとかペンで描いてはみたものの、全く思うように動かない。 消しゴムで消そうにもなかなかそこまでたどり付かない。そのうち疲れてしまって、途中で諦める。 自由に使いこなせる日が来るのだろうか。つくづくアナログな人間だと思う。息子なんか、テキスト 見た事無いのに、器用に使いこなしてしまうし。スマホなんて買っては見たものの、最近は使用ゼロで 基本料半額だよ。これって喜んでいいの?。それとも無駄を積み重ねているのかなあ。 気持ちだけは前向きに、そのうちいつか、出来るようになるよね。 2.7 朝から雨。それも土砂降り。時折雷も。まさに春雷。暖かくて工房の温度計が二十度を越している。 これは植物の種まき適温だから如何に暖かいか。体が楽で、気分もうきうき。めちゃくちゃハイ。 鼻歌などうなり、休憩時間にはオカリナを吹く。昔、屋久島の土でオカリナ作家が焼いて送ってくれたのを。 この前のオカリナは饅頭型というか、俵型だったが、こちらはいかにもなクロワッサン型。教即本を 見ながら、ドレミの練習から。今度作り方を習って、自分で作ってみようかな。 今日は、最近息子が調合したターコイズブルーの釉薬用にと器を作る。まずは馬上盃から。といっても これまでのとは一回りもふた回りも小さい杯。何しろあまり呑まなくなったので本当にお猪口といった サイズ。変われば変わるもので昔のがどんぶりに見えてきた。 2.6 静かな雨の日。日曜日。午前中はカップの仕上げの続き。午後はマスクのマケット制作。今年のテーマ の一つがちょっとアフリカンなマスクを作る事。あれこれ資料を集めて、デッサンして、作り始めるが、 出来ないものですねえ。頭の中で描いていたときは結構格好良いのが浮かんでいたのに、まず紙に描いたら、 ぼやけ始めて、作り出したらどんどん遠ざかるばかり。結局はいつもながら、変わりばえしない、フォルム。 あーあ、アフリカンからおなじ影響を受けていても、モジリアニもブランクーシもピカソもたいしたものだ。 礎となっているところがまず違うのね。あのかた達とは。所詮。まあ、あらがってもどうしようもない のだし、自分を磨いてせいぜい背伸びしてみましょう。 2.5 青空が広がり、風がおさまると、ぐっと春らしくなる。立春を過ぎると三寒四温でだんだん空気が 和んでくる。これまで、作り貯めた器を表で風に当てる。太陽のめぐみを受けて、ぐんぐん乾いてくれる。 器作りもようやく軌道に乗ってきた。ここのところ思いがけない出会いが続いて、何となく動き 始めた気配。ほとんど工房にこもっているのに、それでも新しい風が吹き込んでくるから面白い。 何と穏やかな一日だろう。それにつけても昨日の話を思い出す。本当に大きな地震がやってくる のだろうかと。何が起こるか分からないのがこの世の常ながら、どうかひどい事が起きませんように。 何があっても慌てないように、心の準備だけはしておこう。 2.4 昨日、突然電話が来て、松の木があるから取りにこないかとのこと。有り難いと、早速午後から島の 北側に行く。電話では三十センチぐらいと言っていたのだが、直径四五十センチはある。それも、 既に切り倒されていて、長いまま横たわっていた。重さにしたら何トンあるだろうか。それに場所が悪い。 土手の下で塀との間。逃げが無い。これはとても手に負えない。枝先の細いところを集めて、なんとか 軽トラ一台分、積み込んで戻ってきた。工房で積み降ろしを終えた時、お客さんが一人。何でも最近、 島に越してきてオカリナを焼いて欲しいという。東京でオーガニックのレストランをやっていたが、 震災で店を閉じて越してきたという。打ち合わせを終えての帰り際。話しは変わりますがと切り出した。 古い友人で、徳島県の鳴門で漁師をやっている友人からの話。海の魚の様子が3.11の直前とよく似て いるという。魚が一所に集まってじっとして動かないのだとか。もしかしたら一週間から十日ぐらいの 間に何か災害が起きるかもしれないのではないかという。笑い話ですめば良いのですがと、帰っていった。 東海、東南海,南海と、地震が取沙汰されているこの頃だから注意するに越した事は無いだろう。 本当に、何事も起こらない事を心より願っている。 2.3 さぶーいーよー。今年一番の冷え込み。だけど、北側から来た人は、こっちは暖かいという。 北は七度。南は十三度あったとか。フェリー欠航。海をみれば白波が立って大時化。今日は 体験再開以来、一番のにぎわい。昼から入れ替わり。有り難いやら、なんやら。とにかく、忘れられて なかった様。はや一ヶ月が過ぎて、いつもの生活が戻ってきた。 2/2 今日から二月。朝から気持ちよく晴れ上がる。水源地に上がって水道を修理。工房で、化粧掛けを終え、 ロクロでカップを挽く。雲が広がり、午後から冬型の天候へ。北西の風が吹き出す。二月いっぱいは まだまだ寒さがきつそう。春が待ち遠しい。ビュービューと風が吹いて、海も荒れてきた。気持ちも だんだん暗くなって、なんだか殺伐としてくる。ニュースがそんな気分に拍車をかける。誰々がガンだとか、 誰それが離婚したとか、どこかの官僚がどんなことを言ったとか、何とも後ろ向きで嫌なニュースばかり。 これが日本人のアイデンティティーだとは思いたくないのだが。いったいどこへ向かっているんだろう、 この国は。あの地震で、負けないぞ、元気を出そう、と前向きに頑張りすぎた、反動だろうか。 早く、春が来ないかなあ。一茶の句が思い出された。 世の中は 地獄の上の 花見かな 2.1
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